偏平足

山の石仏を訪ねて放浪中。その折々に出会った石仏を案内。

石仏687三ッ峠・白糸ノ滝(山梨)金色姫

2016年10月14日 | 登山

三ッ峠・白糸ノ滝(しらいとのたき)金色姫(こんじきひめ)三十三観音(さんじゅうさんかんのん) 


【データ】 三ッ峠・白糸ノ滝 900メートル▼最寄駅 富士急行線・寿駅▼登山口 山梨県富士吉田市上暮地の寿駅▼石仏 白糸ノ滝、地図の赤丸印。青丸は「白糸瀧入口」の道標▼地図は国土地理ホームページより

【案内】 この国の養蚕の誕生に二つの伝承がある。一つは東北のオシラガミ様に代表される馬と娘の婚姻の話、これは中国の『捜神記』に出ている(捜神記と蚕神は木曽駒ヶ岳で案内した)。一つは関東の蚕玉神の本山とされる、茨城県つくば市筑波町にある蚕影神社の天竺の娘が舟で常陸の海岸に漂着したという話で、これは日本で創作されたようである。ここに案内する金色姫は蚕影神社伝承の天竺の姫である。
 この伝承を『日本石仏辞典』(昭和50年、庚申懇話会)から案内する。「天竺国の娘が継母の殺害を逃れるが、父王は逃れがたいことを感じ、舟にのせ、桑の木のカイをつけて海にながしてしまう。舟は常陸の海岸に漂着し、姫は助けられるが、間もなく死んでしまう。姫の遺骸を納めた棺の中から虫がわき出し(略)この虫が蚕である」。この伝承がもとになって、桑の枝を手にする女神の蚕玉神が関東甲信地方に造立されてきた。しかし金色姫の石像は普及しなかったようで、これまで見ていない。


 三ッ峠の白糸ノ滝で見た像は陶製で神銘は不明ながら、蚕影神社の木祠に納められていたので、石像でもなく、それほど古い像でもなく、御神体らしくもないが、金色姫として取りあげた。


 白糸の滝へはかつての三つ峠への道。上暮地の十字路の川端に「大正十三年建之」の「白糸瀧入口 從是白糸滝へ拾八町三十間 滝ヨリ三ッ峠マデ約一里十八丁」の道標が立つ。車も入れる舗装された道が滝の近くまで続き、しばしの登りで水量は少ないながら幅のひろい滝に出る。金色姫が祀られた蚕影神社は滝の左岩壁の岩屋に祀られているが、いまは崖崩れで登山禁止になっている。


【独り言1】 昭和15年の『日本山岳案内3中央線沿線・御坂山塊』に、上暮地では「機織機のかまびすしい音がする」と案内されています。私が三ッ峠に通った昭和40年ごろの深夜、三つ峠駅から三ッ峠へ向かう下暮地でも機織機の音が聞こえていました。土地の人の話では、ここでは昼夜の区別なく機織りが行われていたそうです。
 富士吉田、都留、大月の郡内地方は昔から織物が盛んで、いまでも絹製品の〝郡内織〟として知られています。絹織物の素材を作るのが養蚕で、その守護として信仰されたのが蚕影神社でした。富士吉田市の案内では、蚕の害敵であるネズミを捕る猫に期待して「洞窟内にある蚕神神社には小さな招き猫がたくさん奉納されていた」とありましたので、登山禁止ではありましたが確認のため登ってみました。しかし残念ながら招き猫は一つも残っていませんでした。いま神社は滝壺近くに遷座されています。




【独り言2】 三十三観音 白糸ノ滝の西にある尾根がかつての三ッ峠への道です。滝からその尾根にかけて石仏が点々と置かれていました。並ぶ順番はバラバラですが、台座に彫られた番号と尊銘から西国三十三ヶ所観音霊場の石仏=写真上・中=とわかります。造立されたのは、尾根に立つ「三十三観世音」の石塔に「嘉永二己酉(1849)」とありましたから、江戸時代末期のころです。ところが最近立てられたとみえる石仏=写真下=がいくつか混じっていました。それについては別の石塔に「文化年間此の地祖先の寄進する三十三観音は 永年の自然災害により十一観音を失う 依って有志の浄財を得て茲に復元す 平成十二年」とあって、造立年代が食い違っていました。残念なのはこれら新しい石仏が、西国とは関連のない三十三体観音風の尊銘がわからない石仏になっていることでした。


 些細なことはこのぐらいにして、三十三観音で一番の秀作は十一番の准胝観音です。西国を勧請した先の石仏はどこでもそうですが、この三面多臂の准胝観音製作は石工も力が入ったらしく、秀作が多いようです。それから新しい観音造立や白糸の滝を含めこの一帯の清掃と管理は、地元の有志によって行われています。

 
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