偏平足

里山の石神・石仏探訪

石仏752御坂峠(山梨)天神

2017年09月29日 | 登山

御坂峠(みさかとうげ) 天神(てんじん)

【データ】  御坂峠 1520メートル▼最寄駅 富士急行線・河口湖駅▼登山口 山梨県富士河口湖町の御坂トンネル▼石仏 峠の黒岳よりの木祠内、地図の赤丸印。黒丸は登山口▼地図は国土地理ホームページより▼この案内は拙著『里山の石仏巡礼』(平成18年、山と渓谷社)から転載したものです
【里山石仏巡礼34】  道志や御坂の山に天神峠を探したことがあった。この地方では地図には記されていない小さな天神峠がたくさんあり、天神様が置かれていた。天神は菅原道真を祀り、一般には学問の神として信仰されている。しかし古くは雨をもたらす雷神信仰であり、菅原道真の怨霊鎮めの信仰でもあった。したがってこの地方の峠にある天神も、このいずれかの信仰を担っているはずで、学問の神としてなら集落内に祀ればすむこと、峠に祀るには何か別の意味があるのではと考えたが、分からず仕舞いだった。峠にある天神社のほとんどは木祠で、石像の天神は上野原田野入の天神峠と御坂峠で見た。
 御坂峠は御坂山の西にあるのが旧峠で、かつての鎌倉街道。この峠道には石仏が転々と置かれていた。河口湖町側から峠を越えた御坂町側までの間に不揃いの石仏がいくつか残っている。その中の一つ、峠近くの馬頭観音はブナの根にすっかり取り込まれていた。そして天神は御坂峠の黒岳側の木祠のなかに祀られている。
 御坂峠の天神は冠をつけ手に笏を持つ束帯姿、いわゆる平安時代に定着した朝廷の儀礼服姿だ。気品があるおだやかな表情で立ち、背面には「御坂天満大自在天神 元禄三□」と刻まれている。元禄時代は庶民が石仏を奉納しだした時代。時代を先取りするような時期に造られた御坂峠の天神は、この地方で天神信仰が盛んであったことを裏付ける貴重な石仏だ。
この地方の天神の祭は一月二十五日のところが多い。子供の祭で習字や勉強の上達を祈願するのが目的で、集まって食事をしながら遊ぶ日になっている。都留市周辺の天神峠を見ているとき、峠からふもとに降ろされた天神社がいくつかあった。聞くと「お参りに不便なのでふもとに降ろした」ということで、天神を祀った意味どころか、かつての信仰の形すら失われようとしていた。

【追記】 『里山の石仏巡礼』の最後の仕事は、編集の神長幹雄氏から催促されていた表紙とカバーの写真探しでした。「里山の石仏らしい写真がほしい」とう神長氏の注文で、手元にある写真から数枚選びました。しかし写真に関してはまったくの素人ですし、その眼で見てもいいものがありませんでした。そのなかから表紙カバーに選んでいただいたのが御坂峠のブナの根元に取り込まれた馬頭観音。デザイナー・小泉弘氏の装幀によりすてきな本に仕上がりました。なかでも気に入っているのが、私の心情を察したかのような表紙の写真(片曽根山の磨崖仏如意輪観音)です。


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