偏平足

里山の石神・石仏探訪

石仏198小楢山(山梨)

2009年06月05日 | 登山

小楢山(こならやま) 子安観音(こやすかんのん)

198 【データ】小楢山 1713メートル▼25000地図 川浦▼最寄駅 JR中央線・塩山駅▼登山口 山梨県山梨市牧丘町倉科のオーチャーヴィレッジ・フフ▼石仏 小楢山中腹、父恋し路の白雲の滝

1981_21982_3  【案内】小楢山に登るには焼山峠からの道が便利だが、この子安観音石仏を見るにはオーチャーヴィレッジ・フフから沢沿いの林道をたどり、父恋し路に入る。入り口に「父恋し路」の標識、登りだしてすぐ菩薩の石仏がある。その後も馬頭観音や菩薩の石仏がいくつかあり、白雲の滝で子安観音に出合える。両手で小さな赤子を抱いた優しい表情の観音だ。子安観音は子育て観音とも呼ばれ、子授け・安産・子育てを祈願する庶民信仰から作り出された仏説にはない観音である。その背景には、かつて仕事をしながら子供を産み育てた女性たちの厳しい状況があった。さらに流行り病や天災から子供をどう守るか、こうした女性たちの最も身近な願いを「子安講」という組織をつくって祈願したのが、子安観音や子安地藏などの子安神だった。その姿は子供を抱く観音や地蔵1987 1988 1989 尊。千葉や茨城では赤子に乳を与える子安観音が目立つ=写真下=。小楢山の子安観音は小さな石仏。造立された背景はわからないが、この山の山麓一帯は同じような信仰がある道祖神が目立つ地域で、子安観音は見られない土地柄。また「父恋し路」にある石仏は個人奉納が多いので、この子安観音も個人が奉納したに違いない。

【独り言】深沢七郎の『楢山節考』の舞台は小楢山。そう勝手にきめつけていました。この本を読んだのは山に登りだした昭和40年代の始め。こうきめつけたのは次に読んだ『笛吹川』で、深沢七郎が少年時代を山梨の石和ですごしたことを知ってから1983 1984 1985 でした。その街を流れる笛吹川の上流には大菩薩峠や乾徳山があり、小楢山という小説の題名に符号する山がありました。その後焼山峠からこの山を登りましたが、小説のイメージとはかけ離れた明るい印象の山でした。そして今回、「父恋し路」を歩いて、きめつけたことがそれほど的を外していなと思いました。白雲の滝にある「父恋し」「母こひし」と刻まれた石仏や不動や地藏や観音の石仏を見、一帯に転がるまるで石仏のような苔むした石の光景を見て、ここが姥捨ての場所だ、とまたきめつけてしまいました。下の写真は白1986 雲の滝近くの賽の河原のような場所に立つ地蔵菩薩です。いまある「父恋し路」「母恋し路」の名称、昭和20年前後の古い山の案内書にはありません。いつごろからこう呼ぶようになったのかはわかりませんが、地元では戦国時代の悲話伝承が元になっていると伝えています。

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