偏平足

山の石仏を訪ねて放浪中。その折々に出会った石仏を案内。

石仏726志賀城跡(長野)神像

2017年05月03日 | 登山

志賀城跡(しがじょうせき) 神像(しんぞう)


【データ】 志賀城跡 877メートル(地図に山名無し。志賀上宿の北にある877.1三角点)▼最寄駅 JR北陸新幹線・佐久平駅▼登山口 長野県佐久市志賀上宿の雲興寺▼石仏 志賀城跡の山頂、地図の赤丸印。青丸は笠原清繁五輪塔▼地図は国土地理ホームページより
【案内】 かつての志賀村の中心部だった志賀の街の道は、西から下宿、中宿、上宿と街並みが続いて東の群馬西上州へ通じている。その上宿にある雲興寺が志賀城跡への登山口。戦国時代に山城があった街の裏山といった感じの小さなピークだ。山頂下の岩壁が要害となり敵の侵入、当時の武田の攻撃を拒んだという。その山頂に石祠が祀られている。
 石囲いの基壇を造り、その中心に二段の台座を設えた上に石祠を建てる構造は、藪に隠れているが厳粛な雰囲気の石祠である。台座を含めた高さは140センチ。銘はなく祭神も不明。山麓の人の話も荒船山、三峰山などとあいまいである。石祠の室部内部はくり抜かれ、正面に長方形の小さな窓が三つ。内部をのぞくと石像の一部が見える。全体を把握することはできないが、室部の大きさからしてその高さは30センチ前後である。かろうじて見える頭部に冠らしきものが確認できるので、神像としておく。

【独り言】 笠原清繁 雲興寺から登り出してすぐ、左手墓地の中央に覆屋に納められた墓碑があります。「當山開基隆基雲興大禅定門」銘墓碑は、最近発見されたもので、戦国期の志賀城主・笠原清繁の墓碑と地元の人が教えてくれました。戦国期に佐久を攻略した武田に最後まで抵抗した国衆がこの笠原で、志賀の要害と東の山向こうの上州や関東管領・上杉のバックアップを期待して持ちこたえたそうです。しかし、たよりの上州や上杉勢を国境でせん滅した武田はその首級3千を志賀城の山麓に並べ、これを見た笠原はこれまでと討って出て玉砕したそうです。

 笠原清繁の供養塔が上宿のはずれの田んぼの中にありました。笠原清繁の首塚と呼ばれている小さな五輪塔で、銘は水輪に種字(ア)一つだけ。いつ頃の造塔かはわかりませんが、戦国期のつわものにふさわしい五輪塔です。

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