偏平足

山の石仏を訪ねて放浪中。その折々に出会った石仏を案内。

石仏番外 武生山(茨城)武生神社

2017年03月13日 | 登山

武生山(たきゅうさん) 武生神社(たきゅうじんじゃ)

【データ】 武生山 458メートル▼最寄駅 JR水郡線・常陸太田駅▼登山口 茨城県常陸太田市下武生▼石仏 武生神社境内、地図の赤丸印。青丸は武生山▼地図は国土地理ホームページより

【独り言】武生神社は山の上に建つ大きな神社。境内には社殿とともに仁王門や鐘楼も同居しています。この神社は「鎌倉時代(佐竹時代)には、東金砂山東清寺の僧が奉仕し、江戸時代には、徳川光圀の命により、修験道の旧に復し、武生山岩谷寺大王院を別当職とし、明治初年の神仏分離の太政官布告による実施まで続いた」と『水府村史』(注)にある神仏混淆の建築物が残る神社です。


 木彫仁王は正徳六年(1716)に建立されたもの。最近彩色されたようで、厚化粧の仁王になってしまいました。鐘には「昭和三十八年」とありました。この時代に神社に鐘を造るということはよほどの因縁があってのことなのでしょう。そこには「神鐘」銘も。お寺は梵鐘、神社は神鐘になるんですね。
 武生神社がある茨城北部の山中には、中世に建立された天台宗の古刹が神社となって今に歴史をつないでいるところがたくさんあります。武生神社がある旧水府村には東金砂神山、旧金砂郷町には西金砂神山、常陸太田市には真弓山、高萩市の竪破山、北茨城市の花園山などで、いずれも天台宗の寺院とともに天台の守護神・山王権現を祀っていた山でした。武生山もこれらに匹敵する山だったのでしょうが、水府村史に「鎌倉時代に東金砂山東清寺の僧が支配」とあるように、東金砂山の末寺になってしまったので、独自の活動ができず日の目を見ることがなかったような印象です。
 武生神社までは東山麓の畑中から舗装された道が続いています。武正山は神社の北側、車道の近くの山頂に三角点があるだけです。
(注)『水府村史』昭和46年、水府村史編さん委員会
【参照】東金砂山・種字不動明王
    西金砂山・羅漢
    真弓山・猿
    真弓山・三十番神
    竪破山・記念碑
    花園山・仁王

『茨城県』 ジャンルのランキング
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 石仏番外 高崎山(茨城)記念碑 | トップ | 石仏番外 雷神山(茨城)雷神... »

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。