偏平足

里山の石神・石仏探訪

石仏250源氏山(神奈川)

2010年04月02日 | 登山

源氏山(げんじやま) 層塔(そうとう)

250 【データ】源氏山 93メートル▼25000地図 鎌倉▼最寄駅 JR横須賀線・北鎌倉駅▼登山口 神奈川県鎌倉市山ノ内の北鎌倉駅▼石仏 浄智寺から源氏山の中間にある小ピークの天柱山

2501 【案内】源氏山の北にある小さなピーク・天柱山に重厚な層塔が建つ。このピークへは北鎌倉の浄智寺からの道が本道である。なぜならかつてはこの山一帯まで浄智寺の領域であったからで、層塔の傍らに立つ石碑には「竺僊梵僊和尚は元の來朝僧なり建武元年浄智の詔を受け天柱峯下に楞伽院を剏む」とある。浄智寺は臨済宗の寺で鎌倉五山の一つに数えられた名札。『日本仏2502 2503 教史辞典』(1999年、吉川弘文館)によると竺僊梵僊(じくせんぼんせん)が来朝したのは元徳元年(1329)、5年後の建武元年に浄智寺に住して楞伽院を開いている。その後「長きにわたって五山禅林で指導的役割を果たしたので、その高雅な学芸は宋元文化移植の面できわめて大きな影響をもたらし」、石碑には「正平三年疾を以て事を謝し再び楞伽院に回りて寂す」とあった。その竺僊を供養して建てた層塔は屋根が五層、相輪の上部が欠けている。層塔の塔身には金剛界四仏を配するのが一般的だが、ここでは二仏と火灯窓が二つで異型。二仏は風化がひどく尊名はわからない。火灯窓は禅宗建築を代表するもので、竺僊の供養塔にふさわしい装飾である。石碑には「紀元二千六百年 建供養五重石塔并天柱峰石標 発願者 サアジョルジサンソム」とあり、サンソムの提案でこの層塔が建ったことになる? とすれば異型もうなずけるし、相輪が欠けているものの基礎も単純な造りで全体的に新しい印象を受ける。サンソムについて浄智寺の案内に「この地に住んだ英国の日本文化史研究家G・Bサンソム」と紹介されている。天柱山から源氏山へは若干の登り降りがある。

 【独り言】源氏山から尾根続きに歩いて江ノ電の極楽寺へ出る途中、狐の石像を見るため佐助稲荷に寄りました。そこで出合ったのは野性のリス。毛並みのいい3匹が逃げる様子もなく餌をもとめて動いている光景は、狐の石像よりはるかに魅力的でしばらく眺めて2504 2505 2506 いました。傍にある看板には「アライグマやタイワンリスが増えています」とあって、投棄を戒めています。それでもリスに罪はありません。台湾産らしいリスは警戒しながらも寄ってきました。鎌倉のリスといえば、鶴岡八幡宮の入り口にある大銀杏を思い出します。この銀杏にもリスが住み着いていてときどき姿を見た記憶があります。その大銀杏が根元から倒れたのはこの春の3月10日。どうなっているかと帰りに寄ってみると、元の場所には残りの根の部分がそのまま保存され、倒れた部分の根元から5メートルほどが丸太状になって少し離れた場所に植2507 えてありました。こちらにも根の一部がついていたらしく、それを頼って根づいてくれ! とうい願いを込めた移植だそうです。それにしても丸太が一本立っている光景は異様でした。住んでいたはずのリスは山に帰ったようです。

コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 石仏249青葉・東山(宮城) | トップ | 日本の石仏133 »

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。