偏平足

山の石仏を訪ねて放浪中。その折々に出会った石仏を案内。

石仏733御嶽山(宮城)鬼瓦

2017年05月26日 | 登山

御嶽山(みたけさん) 鬼瓦(おにがわら)

【データ】 御嶽山 162メートル▼最寄駅 JR気仙沼線・本吉駅(気仙沼線は一部バス運行中)▼登山口 宮城県気仙沼市本吉町津谷桜子▼石仏 御嶽山山頂の御嶽神社、地図の赤丸印。青丸は浄勝寺▼地図は国土地理ホームページより

 【案内】 御嶽山の登山口は、本吉町谷津桜子の道端に大きな鳥居と石塔が並ぶところ。鳥居の奥には、源義経の家臣・佐藤兄弟の墓石が残る浄勝寺がある。御嶽山はそのさらに奥にある小さな山。山頂に祀られた御岳神社は、鎌倉期に吉野の金峰山の蔵王権現と水分神社を勧請したものと『本吉町誌』(注)にある。この地方に金峰山の蔵王権現が勧請されたことは、このブログの田束山(南三陸町)や男保呂羽山(南三陸町)でも案内したが、平安時代末期から奥州では藤原氏庇護のもと、金峰・大峰の真言系修験道の行法が盛んに取り入れられていた。また金を産出するこの地方では、金の御嶽と呼ばれた吉野金峰山を勧請するのが流行ったようで、小さな里山ながらもこの御嶽山もその一つだったに違いない。

 山道をたどるとまず鐘楼が迎えてくれる。神社に鐘楼があるのは明治の初めまで続いた神仏混淆のなごりで、山中に建つ神社ではときどき出くわす。御嶽山の神社を管理した別当寺は、古くは浄勝寺、中世に大光院、近世には金剛寺だった(注)。取りあげた鬼瓦は御岳神社の社殿床下に置かれている。屋根の吹き替えによって不要となった鬼瓦を床下に置いたものと思われる。粘土で素焼きされた鬼瓦は素朴ながらも荒々しい。永年の風雪から社殿を護り、そのなかで醸し出された風貌なのだろう。役目を終え感謝を込めて置かれて鬼瓦は、登山口にある浄勝寺でも見た。
 御岳山の社殿には秘仏の蔵王権現が祀られているという。
(注)『本吉町誌』昭和57年、本吉町誌編纂委員会
【参考】田束山(南三陸町)
    男保呂羽山(南三陸町)

【独り言】 登山口に建つ安養山浄勝寺は、御嶽山の別当だった寺です。別当を離れたのは天台宗から臨済宗に宗派替えをしたときのようです。寺の案内によると、建立したのは福島県福島市飯坂の領主佐藤氏の妻・乙羽。その子が義経の家臣として西国で戦った佐藤次信・忠信兄弟。兄の次信は屋島で、弟は義経が追われる身となってからの京都で最後を遂げ、さらに福島の佐藤氏は奥州藤原攻め頼朝勢と戦い討ち死に。乙羽だけが御嶽山がある本吉に落ちのびました。そこで住んだ館を信夫館と称したそうですが、信夫はかつて住んだ福島の郷名です。
 佐藤兄弟の墓は五輪塔です。この地に寺を建てた乙羽は、尼となって夫と子供の菩提を弔ったそうです。その五輪塔、『本吉町誌』では室町時代造立としています。
 境内には御嶽山と同じように、本堂の建て替えによって降ろされた鬼瓦が保存されていました。

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