偏平足

山の石仏を訪ねて放浪中。その折々に出会った石仏を案内。

石仏番外 上稲子・桜峠(静岡)身延道

2017年06月16日 | 登山

上柚野・桜峠(さくらとうげ) 身延道(みのぶみち)

【データ】 桜峠 360メートル▼最寄駅 JR身延線・稲子駅▼登山口 静岡県富士宮市上稲子の新稲子温泉ユー・トリオ▼石仏 桜峠、地図の赤丸印。青丸は石神峠、緑丸は佐野峠、紫丸は内房の本成寺▼地図は国土地理ホームページより
【独り言】  日蓮と身延道 静岡県富士宮市内房の本成寺から白鳥山への道の入り口に題目塔が立ち、その側面に「身延道」=写真上=とあります。本成寺は他宗から法華宗(日蓮宗)に改宗した最初の寺といわれています。ここは興津から富士見峠を越えて、河内路と呼ばれた冨士川沿いに身延から甲府に出る道筋にあたります。この道は法華宗の人たちにとっては本山への参道でもあったので、「身延道」銘の題目塔を立てたのでしょう。身延道は日蓮が開いた身延山参詣への道で、いくつか知られています。
 日蓮が佐渡流罪から赦免されて鎌倉に戻り、居場所を求めて身延に入った道は、冨士川を渡った内房から(注1)とされ、以後9年間身延山で過ごしています。晩年に体調を崩して山を降り、常陸へ向った道は甲州路。鰍沢、黒駒、御坂峠、山中湖、三国峠、足柄、相模と馬で移動した日蓮は、武蔵野国池上郷(東京都大田区)の池上宗仲の家(後の池上本門寺)で入滅しています(注2)。
 ここに案内する富士宮市の桜峠も身延道の一つでした。富士宮市から身延への道は三つありました。一つは冨士川の右岸沿いの日蓮が歩いた道。二つは冨士川の左岸沿い。三つは桜峠、石神峠、佐野峠などを越える山中のコースです。三コースの分岐になる富士宮市には、江戸時代の文政期(1818~1830)前後に、深沢安兵衛が立てた身延山への道標がいまも残っています。安兵衛が立てた道標は百基以上といわれ、そのうちの27基が確認されているそうです(注3)。
 桜峠には「駿州富士郡上稲子村題目講中」が「文久二壬戌歳(1862)」に立てた題目塔=写真上=があります。台座を含めた高さが170センチもある大きな題目塔で、台座に「これより見のぶ江七り」とありました。題目塔は大きいのが多いようです。それは文字の左右が大きく跳ねる独特の書体のためでしょうか。石神峠にも佐野峠にも大きな題目塔が立っています。桜峠には、他にも上柚野村銘の馬頭観と、勝軍地蔵など10基の石仏がたたずんでいました。上柚野は桜峠の東、上稲子は峠西の集落です。

 身延道は桜峠から西へ下り、さらにいくつかの峠をこえて冨士川の上流に出て身延に向います。その峠の一つ石神峠=写真上=このブログの白水山で、佐野峠=写真下=は思親岳で案内しました。
(注1)『芝川町誌』昭和48年、芝川町誌編さん委員会
(注2)『日本の名著8日蓮』昭和45年、中央公論社
(注3)富士宮市HP「身延道」

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