偏平足

山の石仏を訪ねて放浪中。その折々に出会った石仏を案内。

石仏690亘理・愛宕山(宮城)愛宕大権現

2016年10月24日 | 登山

亘理・愛宕山(あたごやま) 愛宕大権現(あたごだいごんげん)


【データ】 愛宕山 148メートル▼最寄駅 JR常磐線・亘理駅▼登山口 宮城県亘理町の亘理駅▼石仏 愛宕山山頂、地図の赤丸印▼地図は国土地理ホームページより



【案内】 亘理(わたり)町の愛宕山は阿武隈山地最北の山の一つ。阿武隈山地の西山麓を流れる阿武隈川もここ亘理で太平洋にそそぐ。その街の西外れにある小さな山が愛宕山。山頂には愛宕大権現を祀った大きな石祠が鎮座する。石で縁取りした土檀の中央に祀られた石祠の高さは台座もいれて175センチ。品のある石祠である。登山口は東側の亘理と角田を結ぶ街道側で、鳥居をくぐってすぐ急な石段が始まる。
 愛宕山の本山は京都の西にある愛宕山で、本尊は勝軍地蔵。戦の神でもあるが、古くから火伏の神としての信仰が厚い。江戸時代初めに江戸に勧請されたことにより、地方の大名もこれに倣って勧請されたことから全国に広まった。勧請先は本山と同じ街の西の山とすることを基本とし、急な石段を設けているのもこの山の特徴である。
 亘理は伊達藩の出城(要害)の一つの亘理要害があった町。愛宕山に愛宕大権現を勧請したのは、領主の「伊達安房守成實」と登山道の途中に立つ「石碑」に説明されていた。成實が亘理要害に入ったのは慶長7年(1603)、同じ頃江戸には愛宕山が勧請されていた。
【参照】 愛宕山の本山は京都の愛宕山で、勝軍地蔵は福島の天栄村・愛宕山で、愛宕の猪は栃木の瀬尾・愛宕山で案内した。

【独り言】 一国一城であった江戸時代に、伊達藩は仙台のほかにも多くの出城を構えた特別の統治形態で成り立っていました。出城では都合が悪いので要害と呼んでいます。これが広大な伊達藩の各所にあり、北部の大和町の但木氏については七ツ森・鎌倉岳で案内しましましたが、なかでも亘理の伊達成實は戦国期より正宗を支えた武将で、正宗の九男・宗実を養子にむかえたことから、伊達直径の一族でした。亘理の街の人もそれを誇りとしているようで、山を下りてから会った散歩中の初老の男に、亘理伊達家の墓地がある大雄寺の見学を勧められました。




 しかし散歩の男が話すには、愛宕山の信仰は薄れるばかりで、中腹にあった社殿は潰れたままなのは情けないと嘆いていました。確かに登山道は荒れ気味で、途中にあった「元禄十一年寅(1698)」銘のある阿弥陀の石仏は倒れていたので、立てておきました。写真上は愛宕神社社殿、中央は阿弥陀如来、下は大雄寺の亘理伊達家墓地。

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