偏平足

里山の石神・石仏探訪

石仏514迦陵頻伽岡(岩手)

2014年05月09日 | 登山

迦陵頻伽岡(かりょうびんがおか) 神武天皇(じんむてんのう)

 5140_2 【データ】迦陵頻伽岡 215メートル▼国土地理院25000地図・千厩北部▼最寄駅 JR大船渡線・千厩駅▼登山口 岩手県一関市千厩町磐清水の北山集落▼石仏 迦陵頻伽岡の山頂。地図の赤丸印、青丸は永澤寺

5141【案内】迦陵頻伽岡という名前に誘われて立ち寄った場所は、北山の集落はずれにある山というより丘だった。山頂一帯はだいぶ前に公園として整備されたようで、くたびれた歩道や建物がある。その中央の小高いところに「神武天皇」銘の石塔が立っていた。高さ60センチの自然石に刻まれたもので、造立年の経緯はわからない。古事記や日本5142 5143 書紀に登場する神武天皇は、日向から大和に入って天皇に即位する。明治になって神武天皇即位年をもって皇紀元年(西暦紀元前660年)とし、即位日(2月11日)を紀元節としたのを機に、銅像や石造物が立てられようである。神武天皇はこのブログの遠ノ平山(埼玉)でも案内した。
 迦陵頻伽は仏教で、上半身が人間で下半身が鳥の姿をした極楽浄土に住むという想像上の動物。その鳴き声は仏の声ともいわれる美しさだとされている。岩手の小さな山にこのような名が付けられた理由はわからないが、近くの中尊寺には迦陵頻伽を透かし彫りにした華鬘(けまん)が見つかっていて、その影響があるのだろうか。『日本石仏図典』(日本石仏協会)には、山梨県北杜市小淵沢宮久保の皇大神宮の迦陵頻伽が紹介されている。迦陵頻伽とは逆に、上半身が鳥で下半身が人間の姿をした迦楼羅(かるら=仏法を守護する八部衆の一員)がいる。

5144 【独り言】永澤寺三十三体観音石仏 迦陵頻伽岡の近くに、三十三体観音石仏を祀る永澤寺があります。観音は本堂の、向かって右側の棚に安置されていました。案内していただいた奥様の話では、先の東日本大震災のときは棚から転げ落ちた石仏もあったとか。室根山(岩手)の三十三体観音石仏のなかに、本来含まれない聖・千手・馬頭などの七観音や小安観音があることはすでに案内しましたが、そのヒントがこの永澤寺の石仏にあました。実はこの永澤寺の三十三体観音も七観音と子安漢音が入っているのです。
5145 5146 門前にある案内には、「聖・十一面・千手・如意輪・馬頭・准胝・不空羂索の七観音と子安観音が入っている。これは、三十三観音の選定に当たって我が国に馴染みある観音を入れたことを示している」とありました。これにより外されたのは徳王・一葉・馬郎婦・合掌・一如・不二・持蓮・灑水の各観音でした。これらの石仏は江戸中期の享保年間(
171636)に、京都で造られものを船で、石巻経由で運ばれたそうです。石仏が朱・緑青・金などで色彩されているのは、当初から室内に安置するためだろうと、これの案内にありました。これに対して室根山の三十三体観音は圓光・白衣・威徳・阿麼堤・葉衣・普悲・馬郎婦・合掌の各観音が、外されていました。この観音の一番聖観音に「安永五丙申天(1776)」とありますから、室根山の三十三体観音は、永澤寺の石仏を参考にして七観音と子安観音を入れながらも、三十三体の選択は独自に選んだ、こう考えられます。また三十三番の遊戯観音にも「安永五年」銘があります。三十三体を安永五年に一挙に祀ったということなのでしょうか。なおこの【独り言】は、永澤寺の宇津野弘徳住職からいただいた、『永澤寺の歴史』(平成9年)、『永澤寺石仏三十三観音調査報告書』(平成13年、千厩町教育委員会)を参考にしました。

 

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