とめどもないことをつらつらと

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草稿に近く、人に読まれる事を前提としていません。
引用OKす。

中国人、ノーベル賞報道から見るジレンマ

2016-10-29 18:09:56 | 海外・国内政治情報等
片一方は大喜び、片一方は大反発、どっちが本当なんだ? と言うと、どっちも本当で、混濁している巨大国家が中国なのだろう。


ノーベル賞、中国が(今回は)大喜びの理由
China's Great Booster
5年前の人権活動家の受賞は完全無視だったが、自然科学分野初の受賞となる今年は国中が大フィーバー
2015年10月16日(金)17時30分
http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2015/10/post-3993.php

 科学技術によって国の再活性化を図る──。ここ10年ほど、中国の指導者たちは「イノベーション立国」を合言葉のように唱えてきた。口先だけではない。政府研究開発費は13年には日本の約2倍、アメリカの4分の3近い3365億ドルに達し、今後も増える勢いだ。

 それなのに、中国からは自然科学分野のノーベル賞受賞者がいなかった(10年には民主活動家の劉暁波[リウ・シアオポー]が平和賞、12年には作家の莫言[モー・イエン]が文学賞を受賞)。独創的な考え方を重視しない教育システムや、硬直的な研究開発体制に問題があるからではないか──そんな指摘は少なくなかった。

 確かに、1957年に楊振寧(ヤン・チェンニン)と李政道(リー・チョンタオ)がノーベル物理学賞を受賞しているが、2人は中国が共産主義体制に移行する前の中華民国に生まれ、20代でアメリカに移住し、以来ずっとアメリカで研究生活を送っている。

 中国人が自然科学分野でノーベル賞を取るには、楊や李のように外国に行くしかないのか。中国人が子供を外国の大学に留学させるときも、何人のノーベル賞受賞者を輩出したかが学校選びの重要な決め手の1つになっているではないか......。

 そんな疑心暗鬼にとらわれていた中国にとって、屠呦呦(トゥー・ヨウヨウ)(84)がノーベル医学生理学賞を受賞したというニュースは、この上ない朗報となった。これは「現代中国の自然科学研究における重要な節目」であり、「中国人科学者に新たな可能性を示す」とともに、中国の研究体制に対する「疑念を払拭する」ものだと、共産党機関紙傘下の環球時報は報じた。

 楊や李と違って、屠は中国本土で教育を受け、研究者としてのキャリアも北京にある中国中医科学院で積んだ。受賞理由となったマラリアの治療法を研究し始めたのは、文化大革命の嵐が吹き荒れていた60年代だ。

 屠のノーベル賞受賞のニュースに、李克強(リー・コーチアン)首相も大興奮しているようだ。いわく、受賞は「中国の国力と国際的影響力が引き続き高まっていること」を示したと、鼻高々だ。
中国科学院の白春礼(パイ・チュンリー)院長も、屠の偉業は「中国の科学界全体にとっての誇り」であり、「中国の科学者(の研究活動)を一層刺激するだろう」と語った。
なるかイノベーション立国

 それでも屠のノーベル賞受賞は、中国の研究体制に疑問を投げ掛けたと、環球時報は指摘する。中国では伝統的に、研究者が重要な仕事をするには、大なり小なり政治家の後ろ盾が必要だと考えられている。だが、「屠は、(中国最高の研究機関で莫大な予算のある)中国科学院の会員でさえない。この事実を、よく考えるべきだ」。

 屠が初めて国際的な注目を集めたのは11年、アメリカ版ノーベル賞ともいわれるラスカー賞を受賞したときのこと。それまではほぼ無名の存在だった。

 今回の受賞について屠は、「驚いたけれど、ものすごく意外というわけではなかった」と語っている。また、この賞は「すべての中国人科学者」に与えられたものだと思っていると言う。「何十年も一緒に研究をしてきた仲間だから」

 実のところ、漢方薬に基づき、マラリアの治療薬アーテミシニンを発見する突破口を開いたのは、本当に屠なのかをめぐっては、少しばかり議論がある。74年にこの薬の有効性を最終的に証明したのは、別の中国人研究者だとの指摘もあるのだ。

 だが屠の受賞が、中国人研究者の精神的な励みになったのは確かだろう。「中国人研究者が二流ではないことが証明された」と、復旦大学国際問題研究院の沈丁立(シェン・ティンリー)副院長は胸を張った。

 環球時報は、40年前の研究にノーベル賞が贈られるということは、「他の領域でも(中国人による)ノーベル賞級の功績が既に存在し、世界的な確認や承認を待っている」だけかもしれないと期待を示した。

 これを機に、欧米諸国で中国医学に対する見方が変わり、西洋医学と同じように受け入れられることへも期待が集まっている。屠の同僚によると、アーテミシニン発見につながった研究は、4世紀の中国医学書にヒントを得たものだという。

 イノベーション立国を進める中国政府にとっても、屠のノーベル賞受賞のニュースは絶好のタイミングでもたらされた。政府は、安いモノを大量生産して輸出する経済から、独創的な技術に基づく付加価値の高い経済への移行を図っている。

 屠のノーベル賞は、独創的な研究活動を推進したい政府にとって、何よりの説得材料になりそうだ。屠自身も受賞のニュースを聞いてこう言ったとされる。「新しいものを見つけるためには、私たち科学者に独創性が必要であることの証拠だ」






それでも中国はノーベル賞受賞を喜ばない
100年前に魯迅は拒否し、今年は医学生理学賞の屠呦呦が批判にさらされる――ノーベル賞の理念とは無縁の国内事情
2015年12月4日(金)11時05分
http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2015/12/post-4193.php

 ノーベル賞授賞式を間近に控えた11月末、スウェーデンの首都・ストックホルムの気温は昼間でもマイナス4度に下がり、寒さが骨身にしみる。午後2時半には空が茜色に染まり、3時半には日が暮れた。厳しい冬が5カ月も続くというスウェーデンでは、毎年12月のクリスマスとノーベル賞授賞式が、1年でもっとも華やぐ祭典になっている。

 ノーベル賞授賞式は毎年12月10日のアルフレッド・ノーベルの命日に、物理学、化学、医学生理学、文学、経済学の5分野がストックホルムのコンサートホールで行われ、平和賞がノルウェーの首都オスロの市庁舎で行われる。

 ストックホルムでは、授賞式に続いて市庁舎の「ブルーホール」(青の広間)で祝賀晩餐会があり、スウェーデン国王夫妻や王族の列席のもと、各選考委員会の関係者ばかりか地元スウェーデンの大学生らも抽選で参加でき、総勢1300人にのぼる大晩餐会となる。800万個のレンガ作りの市庁舎はスウェーデン屈指の荘厳な建造物で、受賞者たちは列席者の見守る中を、2階のテラスから大理石のらせん階段を下って「ブルーホール」へ降り立つとき、いやが上にも晴れがましさと興奮に包まれるにちがいない。

 スウェーデンの王宮に隣接するノーベル博物館には、すでに2015年の受賞者たちの一覧パネルが展示されていた。医学生理学賞のパネルには、「河川盲目症」の特効薬「イベルメクチン」を発見・開発した北里大学特別栄誉教授の大村智氏(80)と共同受賞者の米国ドリュー大学名誉研究フェローのウィリアム・キャンベル氏(85)、マラリアの特効薬「アルテミシニン」を抽出した中国の漢方医学研究院研究員の屠呦呦(トウ・ヨウヨウ)女史(84)。物理学賞のパネルには、素粒子の一種ニュートリノに質量があることを発見した東京大学宇宙線研究所所長の梶田隆章教授(56)など、解説とともに似顔絵が描かれている。

 日本では、日本人科学者2人の受賞の喜びに沸き立ち、惜しみない拍手と称賛を送っている。受賞された2人も「亡き妻」や「亡き先輩研究者」に感謝し、真っ先に受賞の報告をしたいとコメントした姿が麗しい。

 だが、中国ではどうだろうか? 大村智氏と同じ医学生理学賞を受賞した屠女史は、平和賞の劉暁波氏(2010年)、文学賞の莫言氏(2012年)に続いて、中国人では3人目のノーベル賞受賞者であるばかりか、中国初の科学分野の受賞者だ。今後の中国の科学の発展を期待させるに十分だが、実のところ、称賛よりも批判と疑問の声のほうが大きいのである。

 中国「財新網」(2015年10月5日付)によれば、屠氏は2011年、すでに「アルテミシニン」を発見した功績で「グラクソ・スミスクライン(GSK)賞」を受賞し、その1カ月後には医学賞のラスカー賞も受賞している。だが中国ではほとんど無名に近い存在で、博士号も海外留学の経験ももたず、中国の科学者として最高栄誉の称号「院士」の資格も得ていない「三無科学者」である。

 関係者の分析によれば、彼女がこれまで「院士」に選出されなかった理由は、彼女の社交下手と独善的な性格が災いしているという。また彼女の功績を疑問視する理由としては、もともとマラリアの特効薬の研究開発は、1967年に中国の国家プロジェクトとして始まったものだからだ。当時はベトナム戦争のさなかで、ベトナム国境へ派遣する兵士のマラリア予防対策が急務であり、「523工程」と命名されたプロジェクトには60の研究機関と500余名の研究者が参加した。屠氏は当時まだ実習研究員(実習生)だった。それゆえ、特効薬の発見を彼女ひとりの功績として認めるわけにはいかないと考えるのである。

 確かに、1967年といえば中国では文化大革命の真っただ中であり、政治闘争によって社会全体が大混乱に陥り、その犠牲者は5000万人とも1億人ともいわれている。だから国家プロジェクトでもなければ、研究者はとても研究などしていられる状況ではなかったはずである。

 しかし、米国立衛生研究所(NIH)の調査によれば、屠氏は多くの研究者の中でただひとり、晋代の医師・葛洪(紀元前283年~343年)の書『肘後備急方』の処方箋にヒントを得て独自の実験手法を思いつき、「アルテミシニン」の抽出に成功したという。つまり、多くの研究者が考え付かない方法で成功したのだから、彼女の知性と努力と研鑽の賜物だということなのである。

 その一方、中国では「漢方医学の素晴らしさが証明された」と自画自賛する声も上がっている。だがノーベル賞委員会の選考委員のひとりは、はっきりと釘を刺した。「肝心なことだが、我々は中国の伝統医薬にノーベル賞を贈ろうとするのではない。あくまで伝統医薬にヒントを得て、全世界で幅広く使える新薬を発見した人に贈るのである」

 ところで、ノーベル賞の創設以来、受賞を辞退したのはたったひとり、実存主義を唱えて「哲学の父」と呼ばれたフランス人作家のジャン・ポール・サルトルだが、彼は1964年にノーベル文学賞を辞退した際、フランス国民に向かってこう述べた。

「私がノーベル文学賞を辞退したのは、自分が死ぬ前に神聖化されることを望まないからです。......もしノーベル文学賞が私を名誉の絶頂に押し上げてしまったら、私は自分が現在取り組んでいる事柄を遂行し完成させる自由を失い、新たな行動や挑戦もできなくなってしまいます。ノーベル文学賞を受賞した後は、すべてが回顧的な価値となってしまうからです。栄誉を得て堕落する作家と、栄誉はないが常に一歩ずつ前進する作家と、どちらが真の栄誉に値するでしょう。......人間は、その人が成し得たことこそ、真の価値であるのです」

 厳しい自己への戒めを含んだ文学者の言葉だが、20世紀に中国が生んだ文豪・魯迅も、実はノーベル賞候補になるのを辞退した事実はあまり知られていない。1927年9月25日、魯迅が友人の作家の台静農に宛てた手紙が残っている。

「8月17日のお手紙を受け取りました。(劉)半農先生にはなにとぞ、私に対し、また中国に対してのご厚意に感謝している旨をお伝えください。しかし申し訳ありませんが、私はそれを望んでおりません。ノーベル賞は、梁啓超は当然のことながら値しませんし、私も値しません......あるいは、私が得をしているとしたら、それは私が中国人だからであって、『中国』という二文字のおかげでしょう......笑止千万です」(『魯迅書簡』上海青光書局、1933年)

 文中にある梁啓超とは、清朝末期の改革運動の指導者だったが、「戊戌政変」で日本へ亡命し、『新民叢報』を発行して新時代の先駆けとなった知識人である。劉半農は1919年の「五四運動」の火付け役となった陳独秀主宰の雑誌『新青年』の編集人で、北京大学教授だった言語学の大家。『魯迅全集』の注釈によれば、スウェーデンからノーベル賞選考委員が訪中し、劉半農の推薦によって魯迅を正式な候補者として決定する際、魯迅本人に受賞を打診したのだという。魯迅の手紙はそれに対する辞退の返事であったのだ。

 なぜ、魯迅はノーベル賞の候補者になることを辞退したのだろうか。魯迅は言う。「中国はまだ政治的混乱と後進性の中にあり、ただ中国人だという理由から特別扱いされて受賞するのは望みません。中国人にはまだノーベル賞は値しません。もし中国人にノーベル賞など与えたら、ただでさえ傲慢な民族がますます増長して手に負えなくなってしまいます」

 さすがに「中国人の魂」と尊称される文学者である。そして今でも彼の予言は生きているようだ。

 2010年にノーベル平和賞を受賞した劉暁波は、いまだに中国の獄中にある。今年、医学生理学賞を受賞する屠女史は、海外での称賛とは対照的に中国では批判と疑問の声に取り巻かれている。いまだ中国では政治性に重きが置かれ、ねたみ嫉みの大合唱なのだ。人類への貢献や創造的で革新的な考案や進歩とは、まるで無縁の世界のようである。

 自国のノーベル賞受賞者に対して、日本のように国民全体が喜び、祝福する日が、いつか中国にもやってくるのだろうか。
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