とめどもないことをつらつらと

日々の雑感などを書いて行こうと思います。
草稿に近く、人に読まれる事を前提としていません。
引用OKす。

暴力を受けるとなぜつらいのか

2016-10-18 22:45:59 | 哲学・社会
暴力を受けるとなぜつらいのか。
そこにあるのは身体的な痛みだけではない。精神的な痛みも存在する。この内訳を考えて行こう。

暴力を受けた時に、どういう風に心が痛むのか。書き出してみた。
・暴力と言う理不尽を受けたという認識から、主観的に社会的な相対的不幸を感ずることにより痛みを感じる。
・理由もないのに暴力を振るわれるという理不尽に耐えなければならないという憤慨と悲嘆により心理的なマイナスを感じ、そこから精神的スタミナを浪費し、疲労する。
・片方が殴り、片方が殴られるという社会的地位が、自分の意思とは無関係に決定し、固着される予見、それによる絶望感。
・そうした状態が固着化するのではないかという未来的な恐怖。
・そしてそこには通常の人間関係や、肯定的、友好的な人間関係として期待した社会関係が、「恐怖を与え、与えられる」という関係性のあるべからざる社会的モデルとして存在する。その動揺と煩悶。
・暴力を振るう方が暴力を振るわれる方に対して、そうした精神的な傷をつけても構わないと思っている。それは暴力を振るう度にその意見が表明されるようなもので、それに対するショックが更に精神的スタミナを浪費させ、疲労させる。

これらにより暴力という物理的作用は、相手の精神力を浪費させ、倦厭させ、疲労化させる。

思えば私は暴力という暴力を受けたことが無い。
しかし受ける側の心理的なロジックは多少分かる。

これは言葉の暴力にも表れる。
面罵や罵倒をして論破と言っていた会社はそれに気づいておらず、むしろそれを肯定していたが、作用する精神的影響は同様だ。
物理的に殴っていなくても、彼らは精神的に社員を殴っていたのである。
殴っている方は、さしてそのロジックを気にしないというのが特徴だ。
悪意なくとも殴ることはできるし、相手の精神的効果も引き出すことはできる。

私はこの意味でも人に無用な言葉を吐いては人を傷つけていた。本当に申し訳ないと思う。
念のために書いておくと、私の先輩であったSさんは「だろ~反省しろよ」とか言うとは思うのだが、Sさんに関してだけは別で別に傷つけたつもりもなければ、逆にお礼参りをしたいくらいだ。
よくぞ色々やってくれたな、と。

それはさておき、傷つけた人に謝りたいのは本当だ。
私は野人で狂人だった。無用の言葉を吐いては人を傷つけた。
それはあってはならないし、今後もするべきことではない。
ただ、私の体にみっちりそれが染み付いてしまっていて、ことあるごとに言葉として出そうになる。
私はどういう風に人生を送ってきてしまったのだろうと思う。
ジャンル:
ウェブログ
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« シュタゲのアダルトビデオが... | トップ | フランス人男が“ごみに火”疑... »
最近の画像もっと見る

コメントを投稿


コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。

あわせて読む

トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL
  • 30日以上前の記事に対するトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • 送信元の記事内容が半角英数のみのトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • このブログへのリンクがない記事からのトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • ※ブログ管理者のみ、編集画面で設定の変更が可能です。