とめどもないことをつらつらと

日々の雑感などを書いて行こうと思います。
草稿に近く、人に読まれる事を前提としていません。
引用OKす。

資本主義の世界史(ミシェル・ボー)の読中感想

2017-05-20 20:02:54 | 貨幣・財政・会計・経済
序文を読み終わったが、序文だけで三時間くらいかかった。
と言うのも、序文なのにやたら中身が濃いというのもそうなのだが、分量がとにかく多いのである。しかし面白い。
本文だけで469ページ(巻末の索引を入れると543ページ)の内、

・日本語増補新版への序文 ・・・8ページ
・日本語版への序文・・・4ページ
・謝辞・・・1ページ
・はしがき・・・1ページ
・第六版(仏語版)への注意書き(二〇一〇年)・・・2ページ
・総序 初版序文・・・2ページ
    第五版序文(一九九九年執筆)・・・8ページ
・第Ⅰ部 金銀から資本へ (の序文らしきもの)・・・1ページ

があって、やっと「第一章 資本主義への長期の歩み」の本文が始まるのだが、いや、資本主義に入る前に序文からして相当長い(&長文でわかりにくい)。
ちなみに併読している中野剛志さんの新説・企業論の序文は2分くらいで読み終えた(だからと言って悪い本ではなく、読み易い、という点をアピールしておきたい)。

ちなみにこの厚さが4cmくらいあるぶ厚い書籍を読み始めたのは理由があった。

元々マルクスの資本論を読みたかったのだが、マルクスに入る前に、マルクスの資本論での前評判から受ける印象にはどうも部分的な誤謬があるような気がしてならなかったからである。

今知りうる限りでの私の知識だと、マルクスは社会の貨幣の動きを、商品における相対的価値のやり取りとして分析し、貨幣、及びそれの集積である資本の理論と、更なる社会構成に至るまでの理論を、それとして確立した、という感じである。

そんな資本論を事前に読みもしない私の読前感想をするのだが、貨幣を語る上で、この「相対的価値のやり取り」で貨幣の本質が本当に語れるのか、という危惧、即ちそれはマルクスの誤謬なのではないのか、という疑問が私にまとわりついていたのである。
マルクスが仮に間違っていたとして、そのマルクスを鵜呑みにして、間違った方向へ転がって行ってしまわないかという危機感があった。

ので、私もマルクスと同じ道を辿るかもしれないが、しかし資本主義の性質をつぶさに観察する必要があった。
それで法則を見出した後に、その結論やプロセスそのものでさえも、マルクスと同じであったなら、それでいい。

要は人が出している「これが真理だ! 」みたいなものを、私のような門外漢が「本当にそうなのー? 」と疑っている状況が今なのである。
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