とめどもないことをつらつらと

日々の雑感などを書いて行こうと思います。
草稿に近く、人に読まれる事を前提としていません。
引用OKす。

現在の右肩下がりと歴史学習

2016-10-15 17:58:24 | 雑感
つらつらと書く。

「現在の右肩下がりと歴史学習」とは書いたが、大体聞こえてくるのが「だからお前のそれは何の役に立つってんだよ」という言葉である。
私につっかかる必要は無い。こういう人たちには関係の無いお話であるので、ブラウザの戻るボタンをクリックして頂ければ幸いである。我々は互いに幸せな道を選ぶべきである。

さて、本題に入る。上記のタイトルは「右肩下がり」「歴史を学ぶ」の二つに分かれる。
まず前提がどうなっているのか、そして歴史を学ぶことでどうなるのか、というのを考えてみよう。

前提として、現代の日本は右肩下がりが必然である。どういうことか。
これは経済、特にGDPに限ったお話であることにまず留意しておきたい。
日本のGDPが高かった理由とは何か。戦後高度経済成長をした理由とは、元々教育があったのと、人口が増大した、そしてアメリカが融資したことが大きい。
それが最近落ち込んでいるのは、人口が減じているから総合的なGDPが低下するのである。

日本が優秀なのは間違いなかった。それは真面目な国民性の他に、教育熱もあったからである。
よく、日本の技術力や優秀さは関係ない、GDPとは一人当たりの購買実態に国内での経済活動人数をかけたものだから、人口動態の減少に伴って日本のGDPが凋落するのは当たり前だ、という言い方がある。これは全体的な経済活動量と見れば同意するのだが、日本の総合的なGDPが減る=幸福でなくなると言うような論調は同意できない。
GDPがGDPがというが、何もGDPを基準にしなくてもいい。GDPとはその国の経済活動が総合的にどれくらい活発か(あるいはどれくらいものが売れるのか)、という対外的な観測なだけなのであって、主体的にはそうではない。

GDPが総合3位の日本は、GDPが総合19位のスイスよりも経済活動的に多くのものが買えたりして、幸せなのだろうか? 答えはNo。
一概にそれとはいえないが、これは経済としてのやり取りの総合順位なのであって(平たく言えば企業がどれくらい設けられるかなど)、個人の経済的余裕とは異なる。
日本は平均年収が日本円で平均456万円だが、スイスは日本円で平均1,140万円だ(1ドル=120円換算)。
※但しスイスは物価がかなり割高ということなので、これもさっぴく必要があるが・・・。

ルクセンブルクなんてGDPランキングが74位なのに平均年収が日本円で955万円だぞ(無論物価も考慮する必要があるが・・・)。
これをして3位の日本が74位のルクセンブルクよりも相当経済的余裕があるだとか、経済活動ができるだとかいうのはおかしい話で、GDPとは個人が目指す目標値ではなく、企業や、あるいはそこから税収を得る国家観点の話である。企業が市場として魅力を感じるか否かというだけの話で、そもそも個人に関係の無い話なのだ。
この場合は、一人当たりの経済活動量である、「一人当たりの名目GDP」を見る必要があって、それを見ると、先ほど74位であったルクセンブルクは1位(101,994.09 USドル)、スイスは2位(80,675.31 USドル)である。GDP世界3位の日本はなんと26位(32,485.55 USドル)、GDP世界2位の中国はなんと75位だ(7,989.72 USドル)。
個人の経済活動、即ち”購買できる余裕”というのがここに反映されている。

それがどうも最近はおかしい。GDPが落ちるから国力も落ちる、だから僕たちは右肩下がりになるみたいな話があって、確かに税収と連動するからそれは重要なファクターであるのだけれども、GDPが落ちることが、個人の経済的幸福に直結するような印象の文章が並んでいるように見える(有力な証拠は得られてないけれども、そういう印象がある)。それは企業や国が困ったりするだけの話で個人には関係のない話だ。
市場が低下し、商売規模が小さくなるなら大きいところに出かけていって商売をすればいい。
映画産業が困るなら、これから伸びるインドやナイジェリアに進出すればいいのだ。あるいは世界を相手にすればいいのだ。市場は必ずある。

昔、私が受けた授業の中で、「これからインターネットを利用した商業活動が始まる。そうするとどうなるか。野球で左利き用のグローブと言うのは、その人口に比例して売れるから凡そ右利き用のグローブと比較すると1:9の割合でしか売れなかったが、世界を相手にすると、日本人口の10倍以上の市場を相手に売ることができる」と授業があってけだし名言であった。
それまで左利き用グローブは細々としてしか売れてなかったものが一気に生産量、販売量がアップするのである(右利きグローブにいたっては言わずもがな)

なので、もし仮に「GDPが下がって日本人が不幸せになる」とか言う論調(まだ目にしたことがないが)が出てくればそういうのは一蹴すればいい。
「それは企業の都合でしょ? 」と。我々が目指すべきなのは人口動態を移民などによって増やすことではなく、一人当たりの名目GDPを増やすことなのだ。

全体としての人口減衰があるから、トータルの経済活動量が日本国内では落ちて、GDPが落ち込むからだ。
確かに日本だけを相手にしていればそうかもしれないが、人口が増加傾向にある世界を相手にすればパイは広がる一方なので、そこを見ればいいのである。

さて、右肩下がりのことは分かった。ただ、もう一つ、右肩下がりの原因はある。資本主義である。
ピケティの指摘したとおり、資本主義による経済活動では、労働者賃金よりも資本増殖量が大きいので格差が広がるということである。

これをして我々は手をこまねいて口に指を加えて座して待っているだけでいいのか? 答えはノー。


富の獲得とそれに関わる社会のルールは、不公平感や閉塞感を打開する為に、度々変更や追記がなされた。
均田制、墾田永年私財法、太閤検地による中間搾取の廃絶などなど・・・
勿論中には失敗もあって、九公一民をした島原藩松倉氏(後に島原の乱へ)、2:8の搾取をしたフランス革命前のフランス(後にフランス革命へ)など、政策での失敗は存在するが、成功例も勿論ある。

経済活動とはそれ単体が社会正義ではなく、政治によって若干の軌道修正をされるべき代物なのだ。

今の日本人の多くが望むのは、家族を持って、子供を学校に行かせ、平穏な人生を送る、ただそれだけである。
それが実現できないから家庭を持てないとも言えるのだ。

社会によって不平等が発生する、それを政治で是正する。この認識を持たない限りは社会の不平等が是正されることはない。
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