とめどもないことをつらつらと

日々の雑感などを書いて行こうと思います。
草稿に近く、人に読まれる事を前提としていません。
引用OKす。

魔王、2500円の靴べらを買う

2016-10-17 01:50:27 | 雑感
昨日は靴べらとマンガ雑誌のハルタを買った。

ハルタの方は別途書いたのでそちらに記述を任せるが、問題は靴べらの方である。
この靴べらがなんと2500円。決して騙されて買ったのではない。自分が探して、これだ! と思うものを買ったのである。

それにしても2500円とは・・・お前は貧乏なクセしてその散財癖はどうにかならんかというお叱りもあるとは思うのだが、順番的には恐らく逆で、散財しているから貧乏なのである。

と前置きは置いておいて、なぜこれにしたのか。そもそもなぜ靴べらなどを今更買おうと思ったのか。

と言うのも、今まで履きなれていた靴であれば靴べら無しにひょいひょい脱ぎ履きできていたものが、先日購入した革靴のかかとが硬く、どうも簡単に脱ぎ履きできない。
そんな時、私の家に靴べらは無かったのかというと、実はあったのであるが、20cmほどの山吹色のプラスチック製のもので、これには難があった。
この靴べらは使えないことはないのだが、短いがゆえに使うときは腰をかがめなければいけない。
そんな折に昨今の秋口にさしかかる冷え込みのせいで腰痛になった私は、これを痛みを伴いながらも腰をかがめて使用せざるを得なくなったのである。
勿論使用する時には腰が痛む。これではいかん。
長い靴べらならばこういうことはない。腰をかがめずに立ったまま使用することができるのである。
ならば長い靴べらを買おう、と思い立った経緯が動機背景にあった。

実を言うと、本当は昨日に至るまでの間、別途長い靴べらは既に買っていたのである。既に用は済んでいた。
透明プラスチックの350円である。いやいやそれで十分ではないか。
しかしながら何か違う。いや、一回も使用していないどころか、その買い物で店員さんが包んでくれたビニール袋からも出してさえもしていない。
というか、どうにも違和感があるのはこの買い物だけではない。
この透明プラスチックの350円の靴べらだけでなく、それを買ったM駅の店全体が何かおかしいのである。
いや、その駅の駅ビルとそこに入っているお店は大変な活況ではあるのだが、私にとっては違和感しかない。
食事は高いクセにまずいし、売っているものも何か表面的で薄っぺらだ。中身がない。
本屋に入れば、中身が無い本ばかり。売れ筋のものばかりで骨のある書籍がない。一体どうなっているんだねここは。
表面的にはいいのだけれども、何か売っているものの背景に一本通った思想が無いのである。
80年から90年代ファッションを見れば分かると思うのだが、あの時代のファッションには思想があって、そして思想が無かった。
当時の肩パッドなどは、今から見ればダサいことこの上無いファッションなのだが、当時はあれが最新で最先端だった。皆それが格好いいと思ってそれをしていたのである。
(ちなみに60~70年代ファッションにはそれがなく、洗練されている)。
そしてこのM駅で売られている商品もそういう臭いがする。今はかっこよくても薄っぺらでペラッペラでフワッフワのこの商品たちは時間が経てばデザイン的嫌悪に変わるのではないか。
そうだ、北欧家具や雑貨のように、いつまでも廃れないデザイン的センスが本来であれば商品に備わっているべきはずであるが、しかしこのM駅の店と商品には、壊滅的にそういうセンスが存在しない。
靴べら一つで何を言っているんだお前はと言われるかもしれないが、いや私も何を言っているのか分からないが、しかし、デザインとして許されざるものあるべきか。
いや、これはこれで一つの正解だと思うし、商売的、集客的にはこれがベストだろう。ただ私個人が利用すべきものかというとそれは違う。

ということで、当座のしのぎとしてその透明靴べらを買ったはいいものの、これは使う気になれなかった。
何よりちょっと嫌な予感がする。別に風水などにこだわるわけではないのだけれども、自分が使う靴べら、玄関に置く靴べらが透明というのは何か変な感じがする。
買ってきた靴べらくんには大変申し訳ないとは思うのだけれども、何だろう、この言葉にできない妙な感覚は。

私はたまに、非合理的理由の衝動が発生する。
この道を行くと何か悪い予感がするので別の道を行こうだとか、験担ぎとか占いを気にしたりとかである。

そんなこんなを経過した折、半ば衝動的に靴べらを買いに行った。
デパートを三件回って数十分歩き回り、やっと目的の靴べらを探し当てたのである。
私的にはもっと
http://www.free-park.jp/?pid=50001643
こういうのデザイナーズのものよりも、更にデザインを凝っているものが欲しかったのだが、そこまで行くと自作とかオーダーメイドになって万単位になる。
流石にそこまで金持ちではない。
5000円の靴べらもあって、あれも中々デザインが良かったが、長さがそもそも足りていなかったのでNG(あと値段が高い)。
よって、適正解である2500円の靴べらにしたのであった。

私が求めるあるべき靴べらは、非対称で金属光沢があり、人体工学に基づいていて、曲線があり、触り心地が良く、軽くて丈夫で履きやすくて長い(あと細い)、というのが理想であったが、そういうのは無いらしい。うーむ。
長さ的には一番長いプラ製のものが1000円程度で売られていたので、長さ優先であればあれが一番良かったのであるが、しかしこれも何か違和感があった。
何か靴べらは妥協してはいけないような、良く分からない感情が湧いてくるのである。なぜだ? 


さて、そうこうしている内に買い物終了、やはり人間というのは価値判断の時に、それ単一の絶対的評価(ex:私が求めるあるべき靴べら)ではなく、様々なものを比べての相対評価(現実に求めることの出来る範囲での比較判定)が働くのだ、いや、現実的社会で運用をするには、そうした判断を働かせざるを得ないのだ、と思いつつ歩いていた。

帰りの電車で、各駅停車で乗り換えなければならないところを、いつも乗り過ごしていたのが、昨日はなぜか直前になってそれに気づき、電車を乗り換え、自分の家の最寄り駅を乗り過ごさずに済んだ。
ただの靴べらを買うだけであったのに、家に帰ってどっと疲れが出て3時間ほど眠ってしまった。
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