とめどもないことをつらつらと

日々の雑感などを書いて行こうと思います。
草稿に近く、人に読まれる事を前提としていません。
引用OKす。

1+1=2が分からなくてパニックになる話 → 解説します

2017-03-18 15:01:24 | 哲学・学術・教育







そうだね、数学というのは「理解すべき」「認識すべき」世界の真理なんかじゃなくて、
人間が人間の認識の限界内で「これが真理なんじゃないかなー」と認識しているに過ぎない「便利な理解の体系」「ものごとの捉え方の取り決め」なんだね。


アプリオリという語義に見る、人間の認識能力の低さ、及び物理と数学と度量衡 - とめどもないことをつらつらと
http://blog.goo.ne.jp/booter/e/80962bad4818a79e1a36adbe607f89f6


よくある子どもの素朴な疑問で、「1+1は2になるって言うけど、どうして泥団子を二つ合わせると1つになるの? 」ということで、大人たちは大抵「そんな屁理屈言ってないで、きちんと勉強しなさい! 」だとか「先生の言うことをきちんと聞きなさい」とか面倒な質問から逃げる。
この「面倒」という語句が文章上に現れる理由というのは、この質問にはある種の真実がそこに潜んでいて、こんな簡単な問題こそは大人としてはきちんと回答してあげるべきだし、大人としてはそれをきちんと知っているべきであるはずが、それを知らず、そして回答できない、という理想と現実のギャップがあるからで、そこから大人は大人なりに「理屈」をつけて逃げるからである。

こうしたことに「1はなんで1であるか」という、そもそも考察不要であったはずの疑問について、その疑問の回答を長年考えていた私から回答したい。

1というのは、人間が認識する数量概念のことで、人はものが並んだ時、特に、同じ同質のものが複数並んだ時に数を数え出す習性を持っている。
その開始する最初の数量が1である。(後述の度量衡の話しとも併せて考察したいが、結果としてこれが基準になる。)

1が1たるゆえんは、人間が勝手に決めた分割や区別の尺度が1なのであって、それをもう一つくっつけると次の値の2になるという人間側の理解の取り決めなのである。
(中略)

二つくっつけて一つの泥団子にしたものは、最初に「これが一つですね」と決めた泥団子の二つ分の物体、ということになる。この為、分割の尺度を最初に取り決まっていればいいので、コップ1杯でも、ガソリン1ガロンでも、プール○杯分であっても構わない。
また、こうした「数え」の取り決めは、「分割や区別の尺度」を取り決めているだけなのであるので、○○の何分の1とかでもいいのだが、通常、そういう風に人間社会は数えない。そういう本能を持っていないからだ。

だから、泥団子の回答としては、
「最初に1つって決めた泥団子があるよね? 今、二つの泥団子をくっつけて一つにした泥団子は、最初の1つって決めた泥団子の二つ分あるっていうことなんだよ。」
とまずは言えればOK。

ちょっと脱線しよう。
子供達は止まらない。世界のルールや仕組み、取り決めやからくりに好奇心旺盛(そしてかなり意地悪)な彼らはこういう質問を言うかもしれない。
「でもここにあるのは二つ分って言っても、実際にあるのは1つじゃん」
もし優しく答えたいなら次のように言えばいいかもしれない。
「そうだね、取り決めとして、これが一つって決めれば一つだね。でも他のものと比較する時に、これはこれの何個分だったっけ? という時に大変になるから『どこかで決めた基準の値の何個分』って決めているだけなんだよ。」
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