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チェルミス・ロープウェイ切断事件(1998年)

2016-10-17 02:05:07 | 海外・国内政治情報等

チェルミス・ロープウェイ切断事件 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%9F%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%97%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%82%A4%E5%88%87%E6%96%AD%E4%BA%8B%E4%BB%B6

チェルミス・ロープウェイ切断事件(チェルミス・ロープウェイせつだんじけん)とは、1998年2月3日にイタリアのチェルミス山で発生したアメリカ海兵隊航空機によるロープウェイのケーブル切断事件。トレントの北東40kmに位置しスキー・リゾート地として知られる山村カヴァレーゼが事件の舞台となった。ロープウェイのゴンドラに乗っていた20名全員が死亡した。

航空機のパイロットである海兵隊のリチャード・J・アシュビー大尉とその航法士ジョゼフ・シュワイツァー大尉は軍法会議にかけられた。過失致死の罪については無罪となったものの、機に搭載されていたビデオテープを破棄していたことから司法妨害および将校および紳士にあるまじき行為について有罪となり海兵隊を不名誉除隊となった。

事件および一回目の裁判における無罪評決はイタリア国民の感情を刺激し、アメリカ合衆国とイタリア間の外交問題に発展した[1]。

経緯

1998年2月3日の現地時間で14時13分に米海兵隊のVMAQ-2に所属する電子戦機のEA-6Bプラウラー(BuNo 163045, 'CY-02', callsign Easy 01)が低高度飛行訓練中に、チェルミス山の山頂と麓を結ぶロープウェイのケーブルに接触した。機は時速540マイルで260から330フィートの高さを低空飛行していたが、アメリカ国防総省の指針ではこの地域における最低高度は1000フィートであった。地点北緯46.283733度 東経11.467237度において機の右翼がケーブルと接触し、20人の乗員・乗客が乗りこんで山頂から下降していたゴンドラが落下、80メートル下の地面に激突した。乗員・乗客は全員が死亡した。機は翼と尾翼に損傷を負ったものの、所属基地であるアヴィアーノ郊外のアヴィアーノ空軍基地に帰還した[2][3]。
犠牲者

落下したゴンドラには1人の乗員と19人の乗客が乗車していた。乗客は全てヨーロッパ諸国の国民で、ドイツ人が8人、ベルギー人が5人、イタリア人が3人、ポーランド人が2人、オーストリア人とオランダ人が1人ずつだった[4]。
反応

当時アメリカ合衆国大統領であったビル・クリントンは公式に謝罪するとともに[5]賠償金の支払いを確約した。駐イタリア大使のトーマス・M・フォグリエッタは事件現場に赴き跪いて祈りをささげ、謝罪を行った。

イタリア国内では事件を「チェルミスの虐殺」(Strage del Cermis)と呼称され反米抗議デモが発生した。イタリアにおけるアメリカ軍の駐留に反対する意見やNATO加盟への疑問も見られた。デモの参加者にはイタリア語でnatoが「生まれる」を意味することから「Born to kill」(生来必殺)と掛けて「NATO per uccidere」とのプラカードを掲げるものもいた。[要出典]
裁判

イタリアの検察当局は4人の海兵隊員をイタリアの司法で訴追することを望んだが、イタリアの裁判所は事件の司法権はNATO条約の規定によってアメリカにあると判断した。

当初は機に搭乗していた4人全ての訴追が検討されたが、最終的にはパイロットであった海兵隊大尉のリチャード・J・アシュビーとその航法士ジョゼフ・シュワイツァー大尉のみが20人の非故意故殺と過失致死容疑で裁判にかけられることになった。アシュビーの裁判はノースカロライナ州のラジューン海兵隊基地において開始された。裁判において、携帯していた航法地図にケーブルが記載されておらず、またEA-6Bは軍の規定よりもやや速く、また著しく低い高度を飛行していたことがあきらかとなった。当時の規定最低高度は2,000フィート (610 m)であったが、パイロットは事故当時1,000フィート (300 m)を飛行していると考えていたと主張した。実際にはケーブルは高度360フィート (110 m)で切断されている。パイロットはまた機体の高度計が適切に機能しておらず、また速度規定についても知らなかったと述べた。1999年3月に裁判長は無罪判決を言い渡した。これを受けてシュワイツァーについての起訴も取り下げられた。
二回目の裁判と再調査の要請

二人はこの飛行を最後にボスニアにおける任務を終了しアメリカの基地に帰還することになっており、それを記念するために機体にビデオカメラを搭載していた。二人はこのビデオテープを事故当日に破棄しており、司法妨害および将校および紳士にあるまじき行為で再び軍法会議にかけられた。アシュビーは事故後にビデオテープをシュワイツァーに手渡したことは認めたが、その後どうなったかについては何も知らないと主張した。シュワイツァーは裁判において、ビデオテープは飛行時には録画されておらず事故後にも再生していないと涙ながらに訴え、自分が破棄したテープには自分が笑っている姿が映っていたためイタリアのメディアにより扇情的に利用されるのを恐れたために破棄したのだと主張した[6]。

裁判は規定により海兵隊士官により構成される陪審員団により裁かれ、1999年5月に二人は不名誉除隊となることが決定された。海兵隊の広報担当官は不名誉除隊は十分に重い刑罰であるとコメントしている。パイロットについては6か月の禁固刑も言い渡され、服役態度が良好であった為4か月半で釈放された。アシュビーは釈放のすぐあとにラスベガスのカジノにおいて不法侵入の容疑で捜査を受けている[7]。

2007年になりアシュビーとシュワイツァーは事件の再調査を要求した。彼らは以前の裁判において検察官と弁護士が密約を交わし、イタリア世論を考慮して過失致死罪を取り下げる代わりに司法妨害で裁くことにしたのだと主張した。彼らの要求は同年11月に却下された[8]。
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