とめどもないことをつらつらと

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草稿に近く、人に読まれる事を前提としていません。
引用OKす。

歴史の転換点に作用するのは人間だけではない。

2016-11-05 21:33:32 | 哲学・社会
歴史の転換点に作用するのは人間だけではない。
いや、むしろその他の要因が主要原因となりうるかもしれない。

心臓病失陥が郵便番号に相関するというイギリスの調査のように、人間社会のターニングポイントは他の予期せぬ事項と連動する。
台風被害が野菜の市場売値を高騰させていることを考えれば分かりやすい(ちなみに先日、キャベツが1玉だいたい200円が相場のところが400円まで高騰していた)。

自然現象は人間の社会活動に影響を及ぼし、時には社会そのものの破壊や体制転覆が行われる。
その一つは火山活動である。


夏のない年 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%8F%E3%81%AE%E3%81%AA%E3%81%84%E5%B9%B4

夏のない年(なつのないとし、英: Year Without a Summer)は、北ヨーロッパ、アメリカ合衆国北東部およびカナダ東部において夏の異常気象(冷夏)により農作物が壊滅的な被害を受けた1816年を指す[1][2] 。この年の気候異常は太陽活動の低下と前年までの数年間、大火山の噴火が続いたことによる火山の冬の組み合わせにより引き起こされたと見る向きが大多数である。1815年のインドネシア中南部、スンバワ島に位置するタンボラ山の噴火は過去1600年間で最大規模である。歴史家のジョン・デクスター・ポストは「夏のない年」を「西洋において最後で最大の危機」と呼んだ[3]。

概要

1816年の気候異常はアメリカ北東部、カナダ東部および北ヨーロッパにおいて多大な影響を及ぼすことになった。アメリカ北東部やカナダ南東部は春から夏にかけての気候は比較的安定している。平均気温は20℃から25℃ほどであり、気温が5℃を下回ることは稀である。夏に雪が降ることは極めて稀であるが、5月に吹雪が起こることはある。

1816年5月[4]、霜が発生したため農作物の大部分が壊滅的な被害を受けた。6月にはカナダ東部およびニューイングランドにおいて2つの大きな吹雪により多数の死者が出た。6月初めにはケベックにおいて30cmもの積雪が観測され、農作物が被害を受けた。夏に栽培される植物の大部分は霜がわずかに発生しただけでも細胞壁が破壊されてしまう。まして土壌が雪で覆われてしまえばなおさらである。この結果、この地域では飢餓や伝染病が発生し死亡率が上昇した。

7月と8月にはペンシルベニア州の南にて湖や河川の凍結が観測された。気温の急激な変化が頻発し、わずか数時間で平年以上の気温である35℃あたりから氷結するほどまで気温が低下することもあった。ニューイングランド南部においては農作物はある程度は成長したが、トウモロコシや穀物の価格が急騰した。例えば、エンバクの価格は前年は1m3あたり3.4ドルだったが、これが1m3あたり26ドルまで上昇した。

清(中国)においては特に北部で、寒さのために木々が枯れ、稲作や水牛も被害を受けた。残りの多くの農作物についても洪水によって壊滅した。タンボラ山の噴火によって季節風の流れが変化したため長江で破滅的な大洪水が発生したのである。ムガル帝国(インド)においては、夏の季節風の遅れにより季節外れの激しい雨に見舞われ、コレラが蔓延した[5]。

影響は広範囲に及び、翌年以降も続いた。1817年の冬は特に厳しく、気温が-32℃まで低下したこともあった。アッパー・ニューヨーク湾は凍結し、ブルックリン区からガバナーズ・アイランドまで馬そりで渡ることができた[6]。


原因

現在では一般的に、1816年の気候異常は前年5月5日から同月15日までのタンボラ山の噴火により引き起こされたと考えられている[7]。過去千六百年間で最大規模の噴火であり、火山爆発指数ではVEI=7に分類されている。噴火により莫大な量の火山灰が大気中に放出された。タンボラ山の噴火が起こった時期が、太陽活動が低かったダルトン極小期(1790年 - 1830年)であったことも重要である。

同時期に発生した大規模な噴火は以下の通り。

1812年:カリブ海セントビンセント島のスフリエール山
1812年:インドネシアサンギヘ諸島のアウ火山(英語版)
1813年:鹿児島県鹿児島郡十島村の諏訪之瀬島
1814年:フィリピンルソン島のマヨン山

これらの噴火により既に相当量の火山灰が大気中に放出されていた。これにタンボラ山の噴火が加わり、大量の火山灰により太陽光が遮られたため世界的な気温の低下が引き起こされた。


結果

火山の噴火が続いたことにより、農作物の不作が数年間続いた。アメリカでは、「夏のない年」によってニューヨーク中部や中西部、西部への移住が進んだと多くの歴史家は見ている。

ヨーロッパでは、ナポレオン戦争が終結しつつあったが、今度は農作物の不作による食糧不足に苦しめられることになった。イギリスやフランスでは食料をめぐって暴動が発生し、倉庫から食料が略奪された。スイスでは暴動があまりにひどく、政府が非常事態宣言を発令するに至った。食糧不足の原因はライン川を始めとするヨーロッパにおける主要な河川の洪水をもたらした異常な降雨であり、1816年の8月には霜が発生した。BBCのドキュメンタリーではスイスにおける1816年の死亡率は平年の2倍と推定しており、ヨーロッパ全体ではおよそ20万人もの死者が出たとしている。

タンボラ山の噴火はハンガリーに茶色の雪を降らせた。イタリアでも同様で、1年を通して赤い雪が降った。これらは噴火により大気中に放出された火山灰が雪に含まれたためと考えられている。

清では、夏の異常な低気温により雲南省では稲作が壊滅的な被害を受け、広範囲にわたって飢餓が発生した。黒竜江省では、霜によって畑が壊滅的な被害が発生したことが報告され、徴兵から逃れる者もいた。国内でも南部に位置する江西省や安徽省においても夏に雪が降ったことが報告されている。台湾においても、新竹市や苗栗市で雪が降り、彰化市では霜が報告された[8]。


類似の出来事

7万年前から7万5千年前にインドネシア・トバ湖の大噴火により気候が寒冷化し、ヴュルム氷期(7万年前 - 1万年前)へと突入したために総人口が激減した(トバ・カタストロフ理論)。
2.6万年前、ニュージーランド・タウポ火山(英語版)で大爆発を起こした(Oruanui eruption)。
紀元前3123年、アルプス上空にアテン型小惑星が落下。破片が地中海一帯降り注ぎ、急激な気温の低下を引き起こした。この時期には、シュメール文明でジェムデト・ナスル期(英語版)が始まり、エジプトでもエジプト初期王朝時代が始まった。両地域で青銅合金の製造法が発見され、シナイ半島の銅山はエジプト王家の独占とされた。シュメールへの銅の供給地はバット遺跡である。
紀元前1628年から紀元前1626年までの気候変動は、ギリシャ・サントリーニ島(Santorini caldera)の大噴火が原因と考えられている(ミノア噴火(英語版))。中国では二里頭文化(夏王朝)から二里岡文化(殷)に移行した(鳴条の戦い(中国語版、英語版))。
紀元前1200年の前1200年のカタストロフは、アイスランド・ヘクラ山の大噴火が原因と考えられている(Hekla 3 eruption)。
535年から536年にかけての535年から536年の異常気象現象(英語版)はインドネシア・クラカタウの大噴火と関連していると考えられている。ヴァンダル戦争直後の異常気象。以後、東ローマ帝国と東ゴート王国が18年間に渡って戦争を行い、東ゴート王国が滅びたものの東ローマ帝国も国力を使い果たし、ランゴバルド人がイタリア半島を征服しランゴバルド王国を建国した。
800年頃、パプアニューギニアのニューブリテン島・Dakatauaの噴火による影響でモンゴル高原では異常気象が頻発し、モンゴル高原は諸部族が割拠する時代に入り、モンゴル帝国が登場する舞台となった[12] 。
9世紀に白頭山で噴火があったことが明らかになり、渤海滅亡との因果関係が指摘されている[13]。
800年頃、富士山の延暦大噴火が起こった。
806年、磐梯山の大噴火が起こった。
864年から866年にかけて、富士山の貞観大噴火が起こった。869年には東北地方で貞観地震が発生。
915年(延喜15年)に十和田湖も過去2000年間で日本国内最大級の噴火をした[14]。日本では承平天慶の乱が起こった。
10世紀(969年±20年[15])に再び白頭山の天池 (Heaven Lake) は過去2000年間で世界最大級とも言われる巨大噴火を起こし[16]、火山灰は偏西風に乗って日本の東北地方にも降り注ぎ、白頭山苫小牧テフラ(B-Tm))として現在も確認出来る。
1257年5月から10月にかけて、インドネシアのサマラス山で過去3700年間で最大規模(1883年に起きたクラカタウの噴火の8倍、1815年に起きたタンボラ山の噴火の約2倍)と推定される噴火が発生[17]。中世ヨーロッパの記録文書によると、この噴火の翌年にあたる1258年の夏は異常低温で、大雨による洪水が頻発したことにより農作物が不作だったという記述が残されている[17]。
1315年から1317年にかけてのヨーロッパでの大飢饉 (1315年 – 1317年)(英語版)はニュージーランド・タラウェラ山の五年間続いた火山活動(カハロア噴火)が引き起こしたと考えられている[18][19]。
1452年から1453年にかけてバヌアツの海底火山クワエ(英語版)の大噴火が複数回あり、1453年の5月にはコンスタンティノープルが陥落して東ローマ帝国が滅亡した。日本では長禄・寛正の飢饉から応仁の乱に繋がり、戦国時代を迎えた。
1600年2月19日にペルーのワイナプチナが噴火し、日本では9月15日に関ヶ原の戦いが起こった(慶長地震がこの前後に多発した)。翌1601年は、北半球で過去六百年間で最も寒冷化し、ロシアではロシア大飢饉(英語版)が起こり動乱時代につながった。
1707年に富士山の宝永大噴火が起こった。49日前に宝永地震が発生していた。
1783年から1784年にかけてアイスランドのラキ火山とグリムスヴォトンが噴火し、ヨーロッパに大きな災害をもたらし、フランス革命を引き起こした。日本では浅間山の噴火と天明の大飢饉が起こった。

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