とめどもないことをつらつらと

日々の雑感などを書いて行こうと思います。
草稿に近く、人に読まれる事を前提としていません。
引用OKす。

ドワ川上氏「“人類最後の職業”はプログラマーだ――プログラミングを学ぶ意味とは」

2017-06-14 22:51:10 | 雑感

“人類最後の職業”はプログラマーだ――プログラミングを学ぶ意味とは
デジタル時代の「コミュ力」を養おう
http://bunshun.jp/articles/-/2810

プログラマーが“人類最後の職業”に

 私はコンピューターのプログラミングを義務教育に取り入れるべきだと考えています。それは、プログラマーが〝人類最後の職業〟になりうるからです。プログラミングをマスターしていれば、世界中どこに行っても食いっぱぐれることはないという「実益」が第一の理由です。

 進駐軍の時代なら、英語ができる人間は、より有利にビジネスを進めることができました。今の時代であれば、プログラミング言語ができて有利になる世界のほうが広いでしょう。

 人工知能はどんどん進化しています。恐らく世の中にある仕事のほとんどが今後、人工知能でカバーできるようになるでしょう。それはかつて手工業で作っていた品々を機械が作るようになったのと同じようなものです。従来は機械化が難しいと思われていた熟練した職人のノウハウも人工知能が得意なものとして置き換わっていくでしょう。官僚が行っている仕事や医者による病気の診断なども人工知能がとってかわる可能性が高いです。

 ただ、税理士や会計士という職業は、生き残るかもしれません。税務申告や会計処理はルールが多く複雑なので、仕事自体は人工知能が得意とするところです。しかし、そのような仕事を職業とする場合には資格の取得が義務づけられています。人工知能がいくら発達していても、こうした法律で保護されているような職業は、なくならないのでしょう。

 究極的には人間の仕事は儀礼的なものしか残らなくなる可能性があります。ただし、過渡期においては、人間の仕事を肩代わりしてくれる人工知能に指示を出す人間が必要になります。それがプログラマーです。ですから、プログラミングは人間がおこなう最後まで残る仕事のひとつになるでしょう。もっとも、プログラミングを全ての人間が学ぶ必要があるかについて異論があるのは当然です。いくら人間にとって最後の仕事だとしても、全ての人類がプログラマーになるようなことは起こらないだろうからです。
デジタル時代の「コミュ力」を向上させる――プログラミングを学ぶ意味

 プログラミングを学ぶ意味とは、必ずしもプログラマーになるためではなく、コンピューターとのコミュニケーション能力を向上させることにあると思います。プログラミングを覚えることで、コンピューターがどのように動作するかが理解でき、なにが得意で、なにが苦手なのか、いわばコンピューターの“気持ち”を理解して、コンピューターに的確な指示を送れるようになります。

 私たちは、ふだん他者とのコミュニケーションにおいて、常に相手の行動や思考のパターンをシミュレーションしています。それと同じことをコンピューター相手に行えるのが、これからの時代の人間に必須の能力となるでしょう。プログラミングは、デジタル時代の「コミュ力」を向上させるのです。

 プログラミングというのは万人に適性があるわけではありません。ある一定の割合で、いくら教えてもプログラミングが上手くならない、というひとは存在します。それでもプログラミングを必修科目にすべきというのは、プログラミングを学ぶことがコンピューターの動作原理を理解するのにもっとも近道だからです。私たちは、小学生のころ、乾電池と豆電球を使って、電気がどのように流れて、明かりが灯るかを学びました。しかし現在、スマートフォンやタブレットPCがどんな原理で動いているか、理解している人がどのくらいいるでしょうか。最近の電化製品は取扱説明書を見なくても、感覚的に操作できるようになっています。その製品のなかで、どういう作業が行われているのか、まったく分からなくても望んだように動かすことができます。

 しかしそれは機械に人間とコミュニケーションをしてもらっているだけで、人間が機械とコミュニケーションしているとはいえません。ですので、コンピューターの動作速度が突然遅くなったり、動かなくなったりした場合、どう対処すればいいか分からないということが起きるわけです。コンピューターの動作原理を知らないと、メモリがいっぱいになっているだけというような基本的なトラブルでも、素人には何が起きているのか想像ができません。


これに補足する必要がある。
プログラミングは確かにそうなのだが、これをもっと分割して細かい世界に入っていく必要がある。

単なるプログラミングであると、現実の世界ではどんどんとコード数が少なくなっているのが実情である。

例えばCでネットワークソケットを書くと30行くらいだと思うが、後発のjavaになると2行で書けるらしい。
つまりは部品単位でどんどんと便利なモジュール部品が用意されていき、最後は組み立て屋がいればいいことになる。
(無論、組み立てに専念したサムスンと、ディスプレイの角の丸い描写まで数学的に徹底した最適化・最速化を図ったアップルで命運が分かれたという事実も併記せねばならないが・・・)

実態として、「人の理想とする要求(要件定義)」→「設計」→「実装」のプログラム開発の中での最後の部分がどんどんと簡略化されている。それでは設計と定義は残るのかというとそうでもない。

最初の「人が欲する要求」は、人間的な感覚は人間によってしか定義できない、と言うのは甘い。
それがプログラムによって定義される未来も到来する。

人工知能と吉本の若手芸人が大喜利対決 その結果は… 審査員の千原ジュニア「これはやばいな」と危機感募らせる
http://www.sankei.com/economy/news/160920/ecn1609200028-n1.html


さて、それでは人に残された仕事は? 
答えは判定とメンテナンスである。

自動車で考えると、それを購入する時の判定と、それをメンテナンスする際の要員が残る。
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