とめどもないことをつらつらと

日々の雑感などを書いて行こうと思います。
草稿に近く、人に読まれる事を前提としていません。
引用OKす。

アニメやマンガにおける諸定義(伏線とは何か、画力とは何か、社会現象を起こしたものは何か、歴史に残る物は何か・・・)

2017-05-14 12:24:45 | 映像作品
アニメやらマンガにやらで、「こうすればヒットする」と言うような模範解答はあるにはあるが、しかしそれは往々にして現実の社会には適用されない。

「こうすればヒットする」というのは、よくよく「王道」と呼ばれる、アニメやマンガでヒットする金枠、雛形であるのだが、それを踏みすぎると今度は視聴者が飽きるため、意外性を狙うのが常道となり、昨今に至っては、それが一週回って、わざわざヒットしない危険地帯である王道路線を踏むと逆に評価されるという始末で、何が何だかよく分からない状況になっている。

そんな中、そうした創作における議論もネット上で百家争鳴、一つのおとしどころさえ見つけられずに、いつまでも議論が続くような形になっているのだが、しかし、私からそうした混沌の中に、「こう考えた方がいいのではないか」という、仮で立てた評価基準、判断基準をここに書いておきたい。

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1.伏線とは何か


ふく‐せん【伏線】 の意味
https://dictionary.goo.ne.jp/jn/191777/meaning/m0u/

1 小説や戯曲などで、のちの展開に備えてそれに関連した事柄を前のほうでほのめかしておくこと。また、その事柄。「主人公の行動に伏線を敷く」
2 あとのことがうまくゆくように、前もってそれとなく用意しておくこと。また、そのもの。「断られたときのために伏線を張る」


これをして、最後にその状態が明らかになる前振りのことを複線と呼んだ場合、ワンピースのあれは伏線だとか伏線じゃないとかそうういう議論がやむことがない。それでは何が伏線で何が伏線でないのだろうか。

ここでは一歩下がってみてみたいのだが、「読者は何に伏線だと思って何に伏線だと思わないのだろうか? 」という角度で考えて見たい。

私が個人的に思うに、伏線とは、「回収した時に物語の厚みが増したように感じられる設定」のことではないのか、ということである。

例えば、物語における人物の行動の行動理由が描写されないまま物語が進行して行き、後程その理由が分かった時点で、今迄そのような思いで行動してきたのか、とストーリーの裏にある設定や登場人物の心理描写を読者自身が補完する事によって、物語の厚みが増すように感じられる作品中の箇所やその技法を指す。

よって、ワンピースのアレやソレは伏線であると言う人がいたり、あるいはそれは伏線ではないと言い出す人がいたり、というのは個人の感覚で伏線が定義されていて、伏線としてどれだけ優秀であるかどうかというのは、受け手の人によってまちまちなので、一定の定義ができない、というものである。

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2.画力とは何か

これも伏線と同じく、あの作家は画力があるだとかないだとかで議論がやむ気配がない。
それでは画力とは何かというのをつぶさにコメントを追って見て行くと、「細かいところまで書けている」「写実的である」「迫力がある」ということになる。

これも私が個人的に思うに、画力とは、「絵によって、受け手側にインパクトを与える力」のことであるように思われる。
よって、画力の有無の定義もまた、受け手によってベクトルが変化するものなので、一定の答えが出ない。


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3.社会現象を起こした作品は何か

上記2例と同様に、これも個人的主観の産物が物差しになってしまうので、それを排する必要がある。
社会現象とは、経済活動に影響を及ぼしたり、あるいは認識する人数の範囲が広範囲になったり、あるいはそれに接する機会が増えたり、あるいは行動基準や倫理基準、判断基準に影響を及ぼしたりする作品のことで、数値化できるものは比較的理由として確立しやすいが、基準醸成に至るまでの判断はどうなったのかということが判定しずらい。

例えばエヴァンゲリオンであるが、エヴァは社会的ムーブメントを引き起こしたが、行動基準まで変化させたかと言うとそれは考えづらい。

私の周囲では、ワンボックスカーの天井の窓を開けてそこから身を乗り出して「ウェーイ」と言っている若干不良のリア充軍団が、流行っているから、という理由だけでエヴァンゲリオンの映画を見に行っていたらしいが、「どうだった? 」と私が聞くと「よく分からなかった」と言っていた。そりゃそうだ。元々エヴァはオタクの内向的気質を持ったインドア派の男性向けに作られていたのだから、その真逆の人が見に行っても基本分からない。しかもテレビダイジェストとあの結末で、元々の対象ターゲットの人達もよく分からないという感想を持った始末だったから、それも当然だ。

また、私が電車に乗っていると、どう考えてもアニメは見なくて、休日は釣堀か競艇か競輪か競馬に行ってそうな初老のおじいちゃんたちが「エバは出ねえな」と言っていた。どうも話しを聞くに、パチンコ台で、エヴァンゲリオンをモチーフにした台が出ていて、それを打っても球は出ない、ということを言いたいのだらしい。

こういう意味においてエヴァは社会現象になったが、その作品基準が社会に浸透したかというとどうも怪しい。

行動基準や判断基準に影響を及ぼしている作品であればクレヨンしんちゃんだろう。
世の中の子どもはこぞって真似をし、野原家の生活ぶりは一つの判断基準になった。

サザエさんはこの意味で逆の基準になっている。つまり社会現象を起こせず、社会に受け容れられない為、視聴者に選択されない。
原作が昭和を描いており、それが基になっているので、今でも昭和を引きずっている。
よって、視聴者はこの作品を徐々に見なくなっていってしまっている。
この作品はドル箱だっただろうが、時代の潮流にフレキシブルに対応できない作品となってしまった。
(ひょっとしたら時代劇っぽい方向、つまり、時代が違っても、こういう笑いや人情はあったんだよ、という方向に転ずることが可能になるかもしれないが・・・)
いずれにせよ、サザエさんを現代風にアレンジすることにはもう無理があるようになってしまった。

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4.歴史に残るものは何か。

これは「今でも秀逸なものとして鑑賞に耐える」だとか「後の世の作品に影響を及ぼした」だとかの、背後に隠れた意味を皆言わずして語っているのでチグハグがおきてしまう。

要は個人的主観によって評価基準が皆異なるので、それを改めて評価基準として言明化するのと同時に、それを皆が認識すべきなのだ。


まずはとりとめのない議論をする前に、評価尺度の細かい方向性を決定してから、それを十全に満たす作品を列挙し、部門ごとに並べていくべきである。それをして、総合的に判断できればいい。

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