とめどもないことをつらつらと

日々の雑感などを書いて行こうと思います。
草稿に近く、人に読まれる事を前提としていません。
引用OKす。

繰り返しが無い経験については慣れや経験による行為効率におけるメリットがない(子育て)のメモ。

2017-07-15 10:55:07 | 雑感

【衝撃的】 ニート3人育て上げたうちのカーチャンの教育法がコチラwwwwwww

1: 名無しの捨て猫さん 2017/02/03(金) 13:00:24.576 ID:wObbd38+d

漫画ゲームテレビは一切禁止
友達の家に行くこと禁止家に連れてくることも禁止
成績は全教科9割以上学年一位以外認めない達成できなければビンタ説教反省文(ノルマを達成しても褒め言葉の一つもない)
そのくせ大学には行かせてくれない
習い事は塾
修学旅行は欠席させる
家事全般やること
お小遣いはなし、何か必要なものがあれば説明する(大体必要ないと言われる)
お年玉は全部親預かり(俺らの将来のために貯めてるらしいがどうなってるのかは不明。使いたいというと怒られる)
ヒステリー理不尽に怒鳴る叩く当たり前(父は見てみぬふり)

昨夜なんでうちの子はこうなってしまったのと嘆いていた模様wwwww
ざまあみろwwwww


と言うことで、子供は適当にしておけば、皆適当に育っていくその一方で、他方面、他人の大人の観点から見れば、子育てを見れば、圧倒的に子育てが上手い親と下手な親がいる。これは誰しも大人になればそうなのだが、これはどういう違いがあるのだろうか? 

というと、ありきたりの論ではあるが、自発的な子供を育てたり、あるいは子供の心そのものを育てることに失敗したのだと思う。

つまりは「あれやりなさい、これやりなさい」と言うのは、懲罰的になりがちで、子供の立場からすれば及第点に達すればいい形になる。
そうではなく、及第点に達した上で、「これ面白いよ」と子ども自身の探究心を育てたり、あるいは「○○ができたんだね、えらいね、そしたら次って何ができるんだろう」と言うような感じだ。

リベラルアーツでは、詰め込み懲罰的な科挙とは異なり、時代の更にその先へと自発的に行くことを教育体系的に要請する。
翻って科挙的試験とは、とある完全点に達すればそれで十全という思想なので、到達点以上の社会を構築できない。

さて、こういう経験上の失敗と成功というのは、反復的な流れがあるのであれば、次回に活かすことができるが、多くの場合、出産から成人まで至ったら、その成功・失敗経験を次に活かすことはできない。
長男を出産後に成人させ、その後に次男を生むということはできないからだ。

つまり、親単体個人の経験とその反復で言うと、成人過程に至るまでの反省が次に生かせず、誰しも、経験的に子育てが上手い、という状態が形成できないのである。

そこで伝統的知識の登場、あるいはウェブに頼ってもいい。
○○の時にどうすればいいのか、と言うのは地域のご高齢者が経験則的に知っている。
あるいはその横の情報のつながりとしてウェブを使っていい。

要は、経験したその人にリアルタイムで情報を教えて貰えばいいわけだ。
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