とめどもないことをつらつらと

日々の雑感などを書いて行こうと思います。
草稿に近く、人に読まれる事を前提としていません。
引用OKす。

移民導入で本当に経済は良くなるのか? 

2017-08-05 17:32:27 | 労働
作業仮説のメモを記載する。

移民導入で本当に経済は良くなるのか? 
私の答えはイエスでノーだ。これを考える。

2010年以前のアメリカは、今のアメリカのように、移民と言うものを制限しようとはしていなかった。
米民間情報会社のストラト・フォーは、メキシコからの移民流入は、様々な問題を引き起こすが、しかし米国経済を支える根幹を為すので、問題を見て見ぬふりをするしかないと予測していた。
尚、同社はこの傾向は長らく続き、アメリカの基礎根幹を成し続けていくだろうと予想したが、この予想は外れた。
トランプ政権誕生による、移民の抑止である。

規模の経済を考える場合、国土の単位面積あたりの人口比が増えることによる経済規模拡張という面では、移民の存在は必要不可欠で、これの導入を増やすことが題目として挙げられるが、果たしてこれは今後の先進国で必須の義務なのであろうか。

通常、人口が増えるといくつかの副次作用が生まれる。
人工増によるGDP増産が見込まれるがそれだけではない。大量に労働人口・就業人口が増えた場合、地価と家賃が高騰する。
一方、需要と供給のバランスにより、労働者賃金は下落傾向を示す。
労働者がフラッドして(溢れて)、労働者自身が賃金をディスカウントせざるを得なくなるのは経済史の示す通りだ。
(このプロセスが分からない人は、スタインベックの「怒りの葡萄」をどうぞ。労働者供給が多すぎて、労働者自身が自分の賃金をどんどんディスカウントしていく様子が生々しく描かれる。)

この場合、移民導入を声高に叫ぶ人の言うことを聞いた場合、どうなるか。
移民によって人口が一定に保たれた場合、国家経済規模、GDPなどは下落せず、消費市場として機能する。つまり企業側の恩恵がある。
翻って、労働者は賃金の増加が見込めず、仮に移民によって人口が増えた場合、その賃金の低下を見込まねばならない。

簡単に言えば、資本家・企業・経営者が得をし、労働者が損をするということになる。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

日本はきれいで日本は汚い--物質的衛生の完備と精神衛生の不備

2017-08-05 13:03:45 | 国内社会批判
日本はきれいで日本は汚い。どういうことか。

外国人が日本に来たときや、あるいは外国に長くいた日本人が、日本に戻ってきた時に一様に言うのが「道路がきれい」である。
これは公衆衛生が完備しており、日本の特徴、あるいは長所として挙げていい箇所になるだろう。
この意味で日本は発達している。

但し、これが労働環境ともなると途端に悪臭を放つようになってくる。
こうした労働環境の不備、あるいは精神的文化においては、外国人は横並びに非難轟々であろう(仕事が好きな中国人と韓国人は除く)。
この意味において、日本と言う国は完全に遅れている。

日本で今後整備すべきなのは、労働環境の保全、健全に働ける為の環境整備なのだ。
この労働環境完全後進国である日本の今後を考え、そして実装していく必要がある。

これらの要素を列挙していくと次のようになる。

・残業礼賛文化の是正
・残業をすべきという同調圧力意識の改革
・早く帰る人間への非難・批判意識の改善
・健全な労働時間の保全と言う、人間の昨日時間を部品と見立てた場合の、機械全体(その人の人生)のクリーン運用。
 組織運用の観点から、決してレッドゾーンには踏み込ませない(命をかける職業の人は除く)。
 命をかける職業の人は、なるべく機械化、自動化の運用を導入し、危険性を減らす。
・ハラスメントを減らす。
 このハラスメントは日本の民族的悪習であり、これからの健全なる国家を運営するのであれば喫緊の課題である。
 無論、上司から部下に厳しい注文や命令をしなければいけない時もままあり、そこから逃げてはならない。
 ただ、その上意下達の職務を遂行するに当たっての、いたずらな嫌がらせ、不毛なハラスメントと言う、組織運営上の不要なコストは減らしていくべきである。

・上司から部下への無用な恫喝、開いた質問での問い詰め、あるいは部下の人生を精神面摩耗から既存せしめるような営為の数々はやめていくべきである。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

無賃乗車親子

2017-08-05 05:37:49 | 最近の出来事
昨日、軽く衝撃だった経験をしたのだが、電車を無賃乗車したと思われる親子がいたことだった。

私が自動改札を通ろうとすると、事情のよく分かっていないであろう男の子(小学生くらい)が一緒に改札を通ろうとした。

親らしき女性が止める「あっ、こらやめなさい! 」と言って制止するのかと思ったら、親も一緒に私と一緒になって改札を通過した。

ちなみにこの男の子と母親の他には、もう一人男の子の兄弟らしき子がいて、その子も母親と一緒に改札を通過した。

「え? あ? あれ? 」と言っている間に、その親子三人は何食わぬ顔でホームへ。
駅員の方を見ると、「私は何も見てません」みたいな顔をしている。

「???」とその状況に疑問を持ったが、あれは無賃乗車だ、と気づくのに数秒かかった。

どうも手慣れているようだった。
あの親子はああやって電車を無賃乗車して移動しているんだろう(そもそも改札を出る時どうするんだ? 同じやり方で出るのか。)。


まあ無賃乗車自体は法的にはあれだが、損害とかも無いに等しいので、別にその辺はどうでもいいのだが、
あの子どもたちが、そういうことを当然の経験として育ってしまうことに大変な問題がある。

願わくば、親元から離れた時に、「あれは異常だったのだ」と気づいて欲しい。


・~・~・~・~・~・~・~・~・
また、関係ない話だが、別件で軽く衝撃を受ける光景を目にした。

最近駅前を根城にしている女性のホームレスのおばあちゃんだが、塀の排水パイプから出る排水をペットボトルに詰めていた。
そんなの飲んだら体に悪いよ・・・とは思いつつも、何もせなんだ私はそれなりに悪である。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

「子どもいる家は禁煙」条例 都民ファ、9月提出へ

2017-08-05 04:17:37 | 国内社会批判

「子どもいる家は禁煙」条例 都民ファ、9月提出へ
2017年8月4日01時01分
http://www.asahi.com/articles/ASK8366XPK83UTIL04J.html

 小池百合子・東京都知事が率いる地域政党「都民ファーストの会」は3日、子どもの受動喫煙を防ぐための条例案を9月開会の都議会に提出する方針を明らかにした。子どもがいる自宅や自家用車の中、通学路などでの禁煙について、罰則規定を設けず、努力義務を課す案を検討中だという。

 同会は7月の都議選の公約で受動喫煙対策を掲げ、飲食店などの屋内を原則禁煙とすることや、子どもがいる自宅や自家用車内での喫煙制限を条例で定めるとした。このうち、まず子どもに関する部分を条例案として出す方向で、内容を詰めているという。

 一方、屋内禁煙は条例で罰則を定めて規制したい考えだが、同会の増子博樹幹事長は3日、報道陣に「関係当局との協議が必要で時間がかかる」とし、条例案の準備が9月開会の都議会には間に合わないとの見通しを示した。

 都議会では、同会や公明党など小池氏の支持勢力が過半数を占めており、条例案が提出されれば、可決される可能性が高い。


私自身はタバコを吸わないし、隣の上長がタバコ臭いので(最近はそんなでもない)、タバコは好きか嫌いかで言うと嫌いな方に入る。

ただし、この条例はちょっとやりすぎのように思える。

現在においては、電車の中でプカプカやっていた30年前とは異なり、かなりの分煙化が進み、そして禁煙意識もある。
例えば、駅のホームではタバコが吸えないので、野外の喫煙ゾーンと言う黄色い道路ライン用塗料で四角く記載されたところで、喫煙者が皆集まって吸っている。
大変なのは台風の日である。喫煙ゾーンでのところに屋根や壁なんかないから、皆傘を差しながら、暴風雨の中でタバコを吸っているのである。

と言うような状況で、よほどタバコ臭くなければ、別に個人の自由でやっていいように思うのだ。
別に社会問題化していないし、普通の家庭であれば奥さんがうるさく言うだろう。

ちなみに私が昔付き合っていた女性は半年か1年に一回くらいの割合でタバコを吸う時があって、その時については、吸わない私の方がギャースカ文句を言っていた。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

買収と社会的変貌と、トータルで見る搾取状況

2017-08-05 03:58:47 | 会社での出来事
うろ覚えであるが書く。
確か2014年の1月だったか3月だったか、あるいは2015年だったか思い出せないが、会社で懇親会をした。
その時、社長が来ていたのであるが、その真正面に私が座った時のことである。

宴席が始まるか始まらないかくらいの、酔いがまだ回らない酒の席で社長が私に言う。
「君らの安い給料をまず何とかしたいんだ」
と熱弁を奮った。
私と隣りにいたMさんは苦笑いした。それは構造上できるわけではない、と。

なんでこう言うセリフが出てきたのか。これについては、順を追って説明する必要がある。

上記の社長は三代目に当たる。
遡ってこの会社の企業当初から見てみよう。
1代目はどういう人であったか。

1代目のFさんは、日本の大企業をスピンアウトして社長として創業した。
この会社は、その大企業の構造傘下の二階層下の会社として開始し、そしてそこから会社の立場的に向上・改善することは何もなかった。
と言うのも、私は後から知ったことだったし、入社した当時、それを知っても何のことやらと分からなかったのだが、設立趣意書からして、「大企業の構造傘下として存在する」と言うような趣旨の文言で設立趣意書を書いていたのである。私個人の今の意見ではあるが、これはよくないように思われる。それはなぜか。


丁度、この会社に入社したあたりで、私は書籍を読み出した。福沢諭吉の「学問のすすめ」である。
丁寧に読んでいったので、1年とちょっとぐらいの期間で読み終えた。

私はこの本の内容にいたく感動し、生涯に読む本はこれ一冊でいいと思うくらいまでになり、それ相応に、相当に影響されたのだった。

この学問のすすめの中では一貫して通底するテーマがある。
そのテーマとは「独立」である。

ここで簡単に「独立」とは書いたが、ここで言う(この本の中で言う)「独立」の本旨、本義はどういう意味だろうか。
これは単に世間的に起業をする、と言うお話なのではない。
私なりに噛み砕いて表現するが、「学問のすすめ」の中には次のように書いてあった。

「日本男児たりしもの、男として生まれたるならば、他人にペコペコ頭を下げるようなことは、本質的に絶対にあってはならない。
 はっきりと自分の意見を確固として自分の腹の中に持ち、そして他者には存分に自分の意見を通すべきだ。
 ただ、世の中、多くの人は誰かに雇われている。こういった誰かから給金をもらうような状況では、頭をやはり下げざるを得ない。
 そうすると自分の意見が言えなくなる。しかしそれはやはり男が進むべき道ではない。
 だから、給金を貰わぬよう、自分の意見を言えるよう、自分自身が自分自身の方法で金銭を稼げるよう、経済的に独立すべきなのだ。
 そこで初めて、自分の意見を貫き通すことができる。
 自己個人の経済が独立すれば、自分の意見を言い通すことができる。」

と言うことである。
私はこれにいたく共感し、そして納得し、そして自己の行動結果に一致までは至らなかったが、しかしこの哲理哲学は相応に私の形を構成した。
よって、私の中では、「起業をする人は自分の意見を言いたい人なんだ。男としての意地を貫き通したいんだ」と言う考えが、「学問のすすめ」の読後に生まれた。

さて、それでは前述の会社の設立趣意書に戻ってみよう。
「起業をする人は自分の意見を言いたい人、男としての意地を貫き通したい人」と言う考え方ならば、「大企業が何と言おうが、俺たちはそっちの言いなりになりたくない。大企業にも渡り合えるくらいの独立独歩の精神で我道を行く」くらいは書いてあってもよかったのだが、しかし、設立趣意書を見る限り、そこには、そうした理念とは真逆のことが書いてあった。
大企業の傘下にあることを前提とし、そこにあるおまんまを、コバンザメのコバンザメみたいな感じで食っていきます。と言うようながっかり文章が設立趣意書の中にあったのである。

そこまで愚痴っておいて、じゃあなんでお前はそんな企業に就職したんだと言う話であるが、これは私が悪い。
一つは「学問のすすめ」を読んだのが、その企業に入社して一年目で読んだことである。
一つは、「設立趣意書」の重要性を当時の私が知らずに適当に就職してしまったことである。
更に一つ、正直に言うと、当時の私が仮に学問のススメを先に読んでいて、この会社のスーパー後ろ向きな設立趣意書文章を読んでいたとしても、やっぱりこの企業に就職していたんじゃないかとは思うのだ。
何故かと言うと、私は今も昔も安定を求めているので、あまりに独立の気概が激しい設立趣意書の文章を読めば「ちょっとヤバいな、安定はしないな」とは思って忌避すると思うのだ。
「大企業のコバンザメのコバンザメでやっていきます」と言う趣意書は、小さいながらも安定しているなとは思うのである(その後、会社的には超安定しているが、雇われている社員的にはそうでないという事実もやがて明らかになる)。


さてそんなこんなで後ろ向きスタートで起業をした社長の会社は小規模ながらも順風満帆であった。
構造的に大企業の二個下の企業なので、貰えるお金も少ない。少ない給料の上で社員の人生を犠牲にしながら、なんとか皆で手を取り合ってやっていった。

そんな中、社長が一人の男性を会社に連れてきた。後に二代目の社長になるAさんである。

Aさんは、大企業の子会社の本部長まで行った人で、真摯で熱血、とにかく真面目で優しくもあり厳しくもある、人間的に魅力ある人だった。
私はこのAさんが社長になった後、Aさんが連れてきたYさんと言う人と一緒に何とかして経営改善しようと懸命に頑張っていたのは知っている。

ただ、私がそこで知ったのは、個人的努力の営為は、構造を超えないということだった。
大企業の二階層下であるという構造上の縛りというのは、どうやってもそれ以上の成果を望めないのである。
その構造内で頑張ると言うよりも、その構造そのものに変革をもたらさないと、抜本的な経営改革はできないのだ。

Aさんも、私達の給料を上げたいと苦心して、あちらこちらに足を運んでいた。
Fさんが構築してきた、超後ろ向きな経営体制は、Aさんを苦しめ続けた。

初代の社長であるFさんは、Aさんが社長になった時に、自分は会長に退いた。
が、これは名目上のことであって、実権は、実質的に初代社長のFさんが握り続けていたのである。

さて、Fさんも老齢になり、釣りが趣味であったFさんも「釣りはもういいかな、今は散歩かな」と言い出した頃、体力の減衰を感じたFさんは、自分の生涯をまとめる準備をしていたようだ。
FさんがAさんのいる前で、私に向かって「そろそろ新しい社長も探さないといけないから」みたいなことを平然と言っていて、そういう空気が悪くなる発言はやめてくれ~とは思っていたが、これがあらぬ方向へ展開することになる。

この会社はとある大企業傘下の会社の体として運営されていたが、Fさんはその数年後、同業界ではあるが、その大企業とは系列が全く関係ない別の会社に株式を売り渡した。会社の売却である。
この時期を前後して、出来る社員も出来ない社員も大量に退職者を出すことになる。
Fさんが船長になって曳航していた小さい船は、Fさんが船長になっていたからだとか、あるいは大企業傘下で何とか頑張っていただとか、そういう精神的なつながりがあってやっとこさ運用されていたものなのである。
そうした精神的なつながりを、Fさん自身が断ち切った。

やめていった皆は、それぞれの思いがあったとは思う。
私個人が、個人的に思うには、安い給料で、せっかく皆のために、と言う気持ちで頑張っていたのに、なんでそんなことをするんだという、裏切られた気持ちが強かった。


買収後、その買収は良かったか悪かったかと言うと、確実に良い方向へ向かった。
新しく来た社長は、その買収元会社にいた人であり、その社長が、この記事の冒頭で記載した三代目の社長なのである。

三代目社長の号令の下、それまであった企業体については、全く新しい会社と言えるほどに変貌を遂げた。
まず収益が出にくい構造から出やすい構造に変化した。会計の状態も改善した。
つまり構造の中で勝負しようとしているのではなく、収益構造そのものを変化させようという試みである(そしてそれは当たった)。

この中の過程の一つにおいて、社長は「社員の安い給料を高くしたい」のだという。おそらくこの試みも上手くいくだろう。


さて、このような変化の中で、我々は絶対的に変わることのない社会的抑圧そのものが、変貌するのを感じた。
我々はどちらかと言うと搾取されていたのである。それも体のいい言葉によって。

以前の抑圧していた彼らは、彼らが言うほど、我々を守ってくれなかったし、人生を保証してくれもしなかった。
もう少し踏み込んで言えば、トータルで見れば、むしろ我々の人生を傷つける存在であったのである。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加