とめどもないことをつらつらと

日々の雑感などを書いて行こうと思います。
草稿に近く、人に読まれる事を前提としていません。
引用OKす。

テレビドラマについて(デスノートから考える)

2015-07-03 00:49:45 | 映像作品

放送目前!日曜ドラマ「デスノート」キラVSLの戦いが幕を開ける
https://www.youtube.com/watch?v=5oWxI1C2dj8


正直言えば、私はデスノートを通読していない。アニメもオープニングしか見ていない。
ただ、マンガの第一話だけを読んだだけで、これは面白いと私のお薦めマンガ殿堂入りを果たす快挙を成し遂げた作品である。

万人が認める名作中の名作なのだとは思うのだが、この度これがテレビドラマ化した。

なぜマンガを映像化すると失敗するのかという問題は昔からあって、例えばマンガキャラクター中の美男美女がイメージと違う、あるいはイメージどおりの配役が得られなかったというようなものの他、脚本上におけるストーリーの取捨選択が働いてしまうということなどの制限がある。

ある。

と思っていた。
だが、私は若干の疑念を持っている。
そうした制約である種ばっさり切り捨てなければならない部分があることは承知するにしても、ひょっとしたら、テレビドラマはわざと映像作品レベルを落としているのではないかという疑念が出てくるのである。


簡単に考えるとデスノートのデザイン芸術性である。
マンガの表紙は次のようなものだった。




これらのことごとくが、神がかりのごとく芸術性を放っている。

が、これがテレビドラマになると




残念なことにこれは恐らくわざとやっている。
もっと作りこみができるはずであり、技量は絶対的にあるはずなのに、わざと、あえてレベルを落としているのだ。何のために? そう、あまり作りこみすぎると視聴率が取れなくなるから、あえて簡素にしている、そう疑惑を抱かざるを得ないのである。

ただ、当初の下馬評を覆す作品というのは、世の中にいくつもある(と勝手に思っている)。個人的ではあるが、なんであれ映像作品を作っている人にエールを送りたい。世間の批評に負けてはならない。頑張れ! 

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家入さんの本について

2015-07-03 00:32:13 | 雑感
IT起業家である家入一真さんの自著「わが逃走」を読んでいる。

始めは何も考えずに読んだが、そこそこ面白い。今は書籍の半分ほど読んだ。

・浪費家家入さんとこれまた浪費家職人のケンさんがまったくもってまずいことに妙にウマがあってしまって、華麗な乱舞をしながら、危険な方向へと転がって行っていく。それにしてもケンさんは気風がいいやら、羽振がいいやら、あるいは情け無いやらで妙に人間として魅力的だ。かなりの危険人物なのだろうが、しかしある種の正義が流れていることには変わらない。ただ、社会的にダメなんだということも踏まえて。平成のこの世にこんな人物がいるだなんて信じられなんだ。そして破滅へ向かうのだろう。ハチャメチャぶりがとにかく面白い。

・ネットの製品は、とにかく不出来のものでも一旦発表し、その後修正を加えていけば良い、という思想。これは西村博之氏のニコニコ動画でも、辻野晃一郎氏のCOCOONの思想でもあった話しだ。これはネットの製品に全て共通する。
完璧な精度よりも何よりも、サービスの開始時期の早さが勝負になるという認識である。

・家入さんの浪費は、恐らく「躁」(気分の異常な高揚。精神疾患の気分障害と分類される)だったのだろう。ただこの躁とは、精神疾患とは言えども、戦争指導者にはよく見られ、私が思うに本田宗一郎もこの気配があった。
 度重なる浪費はこの躁によるものだと私は考える。

 躁は単なる気分高揚の為に、本人としては、自分の意気や士気が上がっているように見え、そこから仕事のモチベーションも上がりまくるために、能力が上がっているようにしか見えない。
ただ、それと同時進行で、判断の誤りだとか、認識が上滑りしていることもまま併発する。そしてそれになかなか本人が認識しない。そして他人もこれに対して迷惑がかかっていることが言いずらい。
 そう、この「躁」にかかっている人の周囲は、躁の人の激しい喜怒哀楽や浪費癖、観念奔逸(かんねんほんいつ:考えが次から次へと浮かび、話題の方向性が変わる)などで非常な迷惑がかかるので反省をせねばならない。自制をせねばならないことに気付くべきである。




私が躁状態にあると見ている人をここに書いておこう。

江川達也
https://www.facebook.com/profile.php?id=100005789020536&fref=nf

さっき、渋谷のガストで少年サンデーの編集者と新連載の
打ち合わせをしてきた。連載になるかどうかはわからない。
何を描くかを決定した。ストーリーも決まった。題名も決まった。
いろんなことが突然、数分で電撃的に決定していく。
いつも、オレの仕事は早い。普通の漫画家の100倍の速度だ。
どんどん口からおもしろいアイディアが溢れ出て来る。
編集者はただただ、「お、面白い。す、凄い。て、天才だ。」と驚いていた。
さあ、今日は寝て、明日から、どんなキャラを出すか、
イメージを絵にする作業をしよう。



968 名前:名無しさん必死だな@\(^o^)/[sage] 投稿日:2015/04/03(金) 14:33:42.68 ID:SWkvJIvK0
>>948
■島本和彦のラジオより sm2765310参照

島本
「特撮エースに載ってる、この江川達也先生が描いた『仮面ライダーTHE FIRST』ですが…これ、どう思う?」






女:絵が‥シンプルですねぇ…

島本
「コマが大きいです。背景が写真です。台詞は映画とほぼ同じです
 ・・・つっかさぁ・・・描きたくねえなら描くなよ! !!・・・あっいや」

島本
「知り合いの編集者とこの漫画の話したんだけど、彼が言うには、
 自分だったらこんな原稿受け取らないって。
 マトモな編集者なら、私が編集者なら・・・こんな原稿叩き返してやりますよ!」



私は江川さんを否定するつもりは無い。
誰であれその努力や才能は大切にすべきだ。

今回の例はそれとは関係なく、「おそらく江川さんは躁状態なのでは」という作業仮説を立てた上で、その症例が絵に表れている珍しい例として考察を加えたいのである。

躁の状態の場合、自身が行っている仕事量が極大化するように感じられ、レスポンスも速くなるように感じられる。
一方で、その仕事が空回りしていたり、作業量は増えておらず、むしろ単位辺りの作業量は減っている(相対的に大量の仕事をブン回していると認識するので、消化できている総仕事量が全体的に増えていると認識する)。
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