このブログを始めて746日だそうで、その記事数は800件以上(下書き含む)。
つまり1日に一個以上のペースでたらたら書いているのだが、まあよくもここまで書いたのだと思う。
そもそも私がこのブログを書き出したのは、自分が持つ記憶に苦しめられていたのと、次から次に思考が沸いてきては私の頭がパンクしそうになっていたのを解決する為だった。
それには仕事に関する記憶や、あるいは雑多な考察があり、仕事でつぶれた私がストレスプレッシャーから逃れる為には、どうしても自分の思考をアウトプットせざるを得なかったのである。
なのでこのブログを書いて苦痛に思ったことは一度も無い。というより今、どうしてブログの記載で苦痛を定義しなきゃならないんだ? とふと思ったが、世間一般的には日々の更新を義務感によって疲労しているのが一般的であるかと思ったからである。
むしろこのブログは私の身体を健全な方向へ導いてくれるツールである。
まあ始めた当初は1年に1回更新すればいいかなと思ってやりだしたのが、きままに書くにつれ、その頻度が段々と増えてきたのも一因だろう。
病状が回復するにつれ、段々と普通に話せるようになってきたし、思考もきちんとしてきた。
今思えば6年前は異常だった。よく生きていたな、と思う。
そしてそれを引き起こした職場も私も、あれはよくなかったと今更ながら反省する。
今年の1月に入って投稿した記事は58件。
記事を振り返って、ここまで言いたいことがあるのであれば、そりゃあ頭もパンクするわ、と思った次第。
つまり1日に一個以上のペースでたらたら書いているのだが、まあよくもここまで書いたのだと思う。
そもそも私がこのブログを書き出したのは、自分が持つ記憶に苦しめられていたのと、次から次に思考が沸いてきては私の頭がパンクしそうになっていたのを解決する為だった。
それには仕事に関する記憶や、あるいは雑多な考察があり、仕事でつぶれた私がストレスプレッシャーから逃れる為には、どうしても自分の思考をアウトプットせざるを得なかったのである。
なのでこのブログを書いて苦痛に思ったことは一度も無い。というより今、どうしてブログの記載で苦痛を定義しなきゃならないんだ? とふと思ったが、世間一般的には日々の更新を義務感によって疲労しているのが一般的であるかと思ったからである。
むしろこのブログは私の身体を健全な方向へ導いてくれるツールである。
まあ始めた当初は1年に1回更新すればいいかなと思ってやりだしたのが、きままに書くにつれ、その頻度が段々と増えてきたのも一因だろう。
病状が回復するにつれ、段々と普通に話せるようになってきたし、思考もきちんとしてきた。
今思えば6年前は異常だった。よく生きていたな、と思う。
そしてそれを引き起こした職場も私も、あれはよくなかったと今更ながら反省する。
今年の1月に入って投稿した記事は58件。
記事を振り返って、ここまで言いたいことがあるのであれば、そりゃあ頭もパンクするわ、と思った次第。