「本の町プロジェクト」ブログ

日本にも「ヘイ・オン・ワイ」のような本の町があったらいいな、から始まった物語。高遠での活動を経て次のステップを準備中。

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谷根千の『一箱古本市』を覗く

2007-04-29 00:01:20 | Weblog
※以下の文章は、古本屋「書肆月影」大塚が書きました。

谷根千で春秋二回開催されている古本イベント『一箱古本市』に出かける。
神田や高円寺の即売会には、開場と同時くらいに行くこともあるが、このイベントではさすがに気が引け、着いたのは午後の一時も廻ってから。
まず、根津駅前の『オヨヨ書林』に寄ってみる。すごい人だかりだ。店主の山崎くんがいたので、挨拶。腹が減ったので「メシは?」と聞くと、「いや、北尾トロさんから一緒に食べようよ、と誘われたんですが、電話がかかってこないんですよ」という。北尾さんの携帯に電話をすると、「ゴメン、忘れてた、食べちゃった。謝っといて」とのこと。仕方なく、山崎くんの案内で、蕎麦屋『鷹匠』という店に入る。私は、田舎蕎麦を注文。ここは、朝の六時から開いているそうだ。組合のこと、知りたかったZenCartのことなどを聞く。
店を出てからは、各会場を巡回する山崎くんのうしろについて、箱のなかの古本漁り。途中、ブラブラしていた北尾さん、下関マグロさんに遭遇、一緒に廻る。マグロさん、久しぶりにお会いしたが、健康そうで何より。すっかり良くなったそうだ。流しの着物と下駄が、板に付いている。

根津界隈はすごい人出だったが、大半は根津神社の「つつじまつり」目当てとのこと。でも、『一箱古本市』もずいぶん賑わっているように見えた。
少し疲れたので、北尾さんと喫茶店でお茶にする。今日買ったのは、六千円くらいだから、平均よりちょっと多いくらいだろうか。「本の町」の今後のことなどを少々話す。「谷根千は文化の厚みがあるから、イベントをやっても映えるね」というのが、一致した意見。
その後、ふたりで『オヨヨ書林』にまた戻る。終了時間なので、店の前の売り場は撤収作業をしていた。店内を覗くと、「新装版柳宗悦選集・全一〇巻」が揃いで安かったので、求める。さらにオマケしてくれた。

追伸:今日の山崎くんは、何やらキレイどころに囲まれて、チヤホヤされていて、決して愉快ではなかったが、あとで実行役員の南陀楼さんのブログ「ナンダロウアヤシゲな日々」を拝見したら、チョンボも多かったようだ。ヨシヨシ、そうでなくちゃ。

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書き忘れた高遠の分校

2007-04-27 20:52:52 | Weblog
※以下の文章は、古本屋「書肆月影」大塚が書きました。

昨日の帰宅後、メーリングリストで現地に行かなかったメンバーにも物件の紹介をする。そのあと、若干のやりとりがあり、それらをまとめて大家さんのご自宅にファックスで送っておいた。あとは、返事待ちである。

書き忘れたが、昨日は古民家からクルマで10分ほどのところの「高遠町荊口(バラグチ)」にある廃校利用施設も観てきた。
「御宿 分校館(おやどぶんこうかん」という名称の宿泊・喫茶施設で、もとは木造平屋の分校の小学校である。宿の前を山室川(天竜川の上流)が勢いよく流れ、山もほどよく迫り、なかなか良い環境だ。客室四室となっているが、このこぢんまりとした親密さは、分校の木造校舎でなければ出せない味だと思う。元は講堂だったようなアップライト・ピアノの置いてある部屋で、珈琲をいただく。
資料を見ると、開業は1986年とあった。ここを二十年以上も維持しているわけだ。廃校が見つかるかどうかは今のところ未知数だが、やはり木造で、このくらいの規模の校舎に心が動く。「本の神様」も居心地が良いのじゃないだろうか。

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続々 有望物件あらわる

2007-04-26 04:31:13 | Weblog
※以下の文章は、古本屋「書肆月影」大塚が書きました。

いざ、有望物件視察の日。目指すのは、信州伊那谷の名所「高遠」である。城址公園と桜で、春先は特に賑わうところ。
集合場所は、藤野行でいつも待ち合わせる八王子駅前、今回の参加者は、「ハートランド」斉木さん、李さん、そして私(他に一名病気欠席)、運転手は斉木さん。
中央高速道を茅野で降り、国道152号を通って、高遠の町に向かう。まだ桜が残っていて、空気もひんやりと肌に心地よく、実に気持ちが良い。風景ものんびりしている。途中のバス停には「古屋敷村」なんていうのもあった。(遠い日に観た「ニッポン国・古屋敷村」をふと想い出す)
現地待ち合わせが午後いちばんなので、先に高遠の中心街にまわり、このあたりの地理にとても詳しい斉木さんの案内のもと、クルマを停めて、歩き回る。町そのものはこぢんまりとしているのだが、蔵が多く、どの建物も立派だ。全体として、歴史に支えられた風格がある、といった感じ。地元の人に紹介してもらった店、『食事処 もりた』で少し早めの昼食をとる。

今回借りようと思っている古民家の持ち主は、この古民家のすぐ近くで食堂を営んでおられ、そこを集合場所に指定されていた。着くと不動産屋さんもすでに来られていて、皆で物件までクルマで分乗して行く。
ウェブサイトに掲載されていた物件の外観写真からだいたいのイメージは掴んでいたのだが、実際の建物は想像以上に立派なものだった。大家さんの説明によると、この建物が建てられたのは江戸末期、もともとは旅籠だったそうだ。それから何度か補修が重ねられたのだろうが、入手する前はそれなりに傷んでいた、という。自分のものになると、「あそこを直したい、ここはこうしたい」と欲が出てきたそうで、何だかんだ手を入れているうちに、その費用は家の購入金額の三倍近くまでふくれあがってしまったそうだ。それは、素人目にも良くわかった。古屋と古民家は違うのであって、後者に仕立てるためには、それなりに金を食われる。

裏にまわると立派な土蔵がある。これは予想外だった。無理を言って、この土蔵のなかを見せていただく。土蔵は二階建ての堅牢なもので、二階部分の大きな梁には昭和八年建造の文字が見える。私たち三人とも同じことが思い浮かんだようだが、ここはどう考えたって書庫だ。それも客を招き入れることができる書庫だ。さらに、母屋と土蔵をつなぐ動線は、ちょっとしたユーティリティになっていて、ここにテーブルを置いてビールでも飲んだら実にうまそうだ。実際、気持ちの良い風が吹き抜けていった。いやこれは使える。ぜひ、ここも借りたい!

溜め息ばかりつきながら、ひととおり古民家を見せていただいた後、また最初の集合場所の食堂まで戻る。ここで、お互いに簡単な自己紹介、それと「本の町」の構想のことなども聞いていただく。大家さんもこの古民家をどう活用するか思い悩んでいたようで、私たちの構想にも一定の理解をいただいたように見受けられた。
新たに土蔵を借り入れる場合の条件のことなどもあるので、帰ってからファックスでやりとりをすることで、辞する。

帰りのクルマの中は、三人とも「アイデアのひとりごち」状態で、互いに他人のことなど聞いていない、そんな感じだった。
せっかくだから温泉でも、ということで、諏訪の「片倉館」に寄る。この湯舟の深さが胸の近くまであり、足下に玉石が敷き詰めてある特異な温泉に浸かったのは、たぶん二十数年ぶりのことだ。

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視察旅行の準備

2007-04-25 23:09:07 | Weblog
※以下の文章は、古本屋「書肆月影」大塚が書きました。

昨晩いろいろ考えたのが、思い悩んでいても仕方がない、明日視察に行きます、とその信州の古都にある不動産屋さんに、朝いちばんで連絡を入れた。
「廃校」で「本の町」を展開する、という基本方針は変わらないのだが、まあとりあえずその古民家を視察してみよう、ということだ。その不動産屋さんは、都会からの田舎定住者へ住まいを提供することを主力にしていて、電話の感じもすごく良いのである。

せっかくだから、近郊に廃校があれば見てみたい、と思い、市役所等に電話をかけまくる。電話をかけているうちにわかったのは、どこに廃校があるか、その廃校は現在活用されているのか、活用されていないのならばその方法を外部から求めているのかなどといったことは、村単位の教育委員会に聞いてみなければわからない、ということだ。市の単位の上部組織になると、そこまでは把握できていない感じだった。
そこで今度は村役場の教育委員会(というものがどこにもあった)に電話をかけてみる。そのうち、廃校を活用している施設をふたつ、現在廃校になって空いたままになっている校舎をひとつ、聞き出した。どこも応対は親切で、地図をファックスくださるところもあった。
明日、時間はあれば立ち寄ってみよう。

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本棚長者

2007-04-24 23:31:03 | Weblog
※以下の文章は、古本屋「書肆月影」大塚が書きました。

「本の町」の計画を話していると、ぽつりぽつりと「良かったら使ってください」と本棚やラックの寄贈を受けることがあって、それが少しずつ溜まってきた。今日も、高円寺の某新刊書店が移転するのに伴い、本棚什器を下さるという話があって、その店に集合する。李さん、「ハートランド」斉木さん、「れいど・ばっく」平野さん、そして私の四名。
社長さんに挨拶をし、お客さんの邪魔にならぬよう、端から採寸していく。「要るモノだけ持って行けば良い」というありがたいお申し出に甘え、サイズや機能的に使えそうなモノだけをピックアップしていく。

その後、中華料理屋でメシを喰い、喫茶店に場所を移しながら、これらの移動方法・保管方法を考える。
メンバーの「文雅新泉堂」さんが「自分の倉庫を使ってもいいよ」と言われたので、私も城山の倉庫まで視察に行ったのだが、如何せん詰め込む本棚の量が多すぎる。はて、どうやって保管しようか。「ハートランド」の店舗は、五月末には閉まってしまうし、北尾トロさんの事務所にいつまでも預けておくわけにもいかない。

ここで、ちょっと「本末転倒」的な匂いがするウルトラC案が浮上した。信州方面に、格安の古民家の賃貸物件があって、一度は他で決まってしまったのだが、キャンセルされた、との連絡が不動産屋さんからあったのだ。安くて広いから、ここに全部持って行ってしまおうか。

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「日本の幟旗」展

2007-04-18 04:15:20 | Weblog
※以下の文章は、古本屋「書肆月影」大塚が書きました。

雨のしょぼ降るなか、駒場の「日本民藝館」で開催されている『日本の幟旗(のぼりばた)』展に出かける。前回の展示会「柳宗悦と丹波古陶」に続く特別展。「幟旗」の美術館での展示自体が非常に珍しいことらしいので、ぜひ見ておきたかった。

「幟旗」とは、旗竿に括り付けられた細長い旗のことで、現代ではスーパーマーケットなどの店頭によく掲げられているアレを思い出してもらえば良いかもしれない。武田信玄の「風林火山」の幟も思い付くが、あれは正しくは「旗指物」というようだ。今回展示されているのは、金太郎や七福神などが描かれている「絵幟」と、神社などに奉納される「奉納幟」が中心で、もっぱら江戸期の庶民のもの。ここでいう江戸期とは、明治三十年代までを指し、型染や化学染料で幟旗製作が簡略化される以前の時代をいう。

一階と二階の途中までは、たぶん「日本民藝館」の所蔵によるもので、幟を展示した下のスペースに盆や片口を組み合わせたり、吹き抜けの高さを利用して、長尺の幟を垂らしたりと、展示に変化があって楽しい。驚くのは野外に置かれて、はためいていたにしては、どの幟も思ったより傷みや色落ちが少ないことだ。

そして、二階の奥の大部屋に足を踏み入れる。・・・思わず声を出して唸ってしまった。美術館の展示室に入った途端、その迫力に押されて声が洩れる、なんて経験は一生のうちにそう何回もあるものではない。

この部屋は、幟旗のコレクターである北村勝史さんのコレクションが集められていて、正面に文字中心の「奉納幟」、側面と背面に色鮮やかな「絵幟」が展示されている。部屋の高さは5メートル近くあると思うのだが、正面の「奉納幟」などは収まりきらず、下の部分が折れてこちら側に伸びている。それがまた、何とも力強い。

今日はたまたまコレクター(大学の非常勤講師もされているようだ)の北村さんが会場にいらしていて、眼を白黒させている男が気になったか、近づいて来られ、「私が集めたものですから、何かご質問があったら何でも聞いてください」とおっしゃる。まず、圧倒された旨を告げると、「民藝館さんが長年蓄えられた展示のノウハウがありますからね。私もうれしく思います」とのことだった。確かにこういう展示をしてもらえるというのは、コレクター冥利につきる、と思う。加えて、少し気になった素人じみた質問をいくつか。こうした拙問にも、懇切丁寧に答えてくださった。

北村さんが書かれた「江戸期の絵幟について」という文章を拝読すると、

〈江戸期の絵幟の魅力の根源は、一言で表現すれば、「江戸期民衆の祈りのこころの発現」にある。生活上の祈願のこころが、幟の絵から滲み出て、見る人の心を揺さぶるのである〉

とある。
紐を通して旗竿と結ぶため、幟の脇に縫いつけられたいくつもの耳のような木綿を〈乳(ち)〉というそうだが、子どもの健康を祈願して贈られた幟に、その〈乳〉を縫いつけるのは女たちの仕事だった。そして、その〈乳〉には「叶」「大吉」などの文字や、「☆」といった呪符が縫い付けられている、という。また「奉納幟」だが、そこに記されている文字も、吸い込まれそうに大きく、そして力強いのだが、実際に村人たちはこの「奉納幟」に日夜手を合わせていたそうなのだ。

考えてみると、この空間を支配している圧倒的な何ものかは、一本一本の幟旗に何十年ものあいだ捧げられた民衆の祈りのようなもの、それが時空を隔てて浸みだしてきているのかも知れない。

本館の展示を見終わったあと、向かいの柳宗悦邸が公開されているので、そちらも寄って帰る。はて、こんなに明るい家だったか。

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軌道修正

2007-04-13 11:28:17 | Weblog
※以下の文章は、古本屋「書肆月影」大塚が書きました。

少しあいだが空いてしまったのだが、物件を見に行った夜、ずっと考え込んでいた。仮にあの家に住んでからの自分の生活を。
あの家はごく普通の民家であって、本を置いて他人に公開できるような場所ではない。藤野の小学校だって、いつ借りられるようになるかは全く未定だ。そんななかで、あの家に住んでいて何になるのか。何を「待って」いるのか。
そんなこんな、最近考えていることのあれこれを、メーリングリストに流したところ、しばらく皆で会っていないので、会合を持とう、ということになった。場所は西荻窪、タイ料理屋『ぷあん』。
今日都合のついたメンバーは、「杉並北尾堂」北尾さん、「れいど・ばっく」平野さん、「ハートランド」斉木さん、紅一点李さん、それに私の五名。

今回、皆で決めたこと、軌道修正の方向はざっと次のようなことだ。

◎「本の町」のテーマを「廃校活用」に絞り、対象地域を広げて考えてみる

ここ半年ばかり、地域を「藤野」に絞り、そこでの廃校利用や古民家展開の道を探ってきた。しかし、合併の問題などがあって、小学校の活用がどこまで可能かは全く未知数だし、程度の良い古民家を借りるのもなかなかむづかしいことがよくわかった。だったら、いつまでも藤野にこだわっている必要はないのではないか。
いろいろな資料を見ても、過疎化や児童数の減少などで、これから廃校になる小中学校は全国にたくさんある。また、行政もこの廃校の活用には頭を悩ましていて、アイデアを欲しがっている。それならば、企画書を作成して売り込めばいいではないか。
古民家はどこかに良い物件があれば買うなり借りたりすれば良いが、とりあえず最初は「廃校活用」でいこう。

◎地の利は多少不便でも良いから、「本の町」ができることによってそこが輝く場所を探そう

すでにその町に何か大きな特長があって、「本の町」が新たにできてもそのことが埋没してしまうような土地は避けよう、ということだ。別にそこに特産品やら名所旧跡があってもいいのだが、「本の町」の存在意義が主張できるような土地を探そう、ということ。

◎「藤野」につくる計画は中止するのではなく、長い目で見よう

以前として、「藤野」は魅力ある土地であることに変わりはない。細いながら、多少の人脈ができたことでもあり、継続的に可能性を探ろう。

大きな方向性が決まったせいか、心なしか皆の表情に安堵が。私自身、ここしばらくのモヤモヤが少し吹っ切れた感じ。
料理はどれもおいしく、値段も安かった。

※ということで、もしこのブログをお読みの全国の市町村の地域政策課、企画振興課等のご担当者様で、興味をお持ちの方がいらっしゃいましたら、一度ご連絡をいただけますでしょうか。宜しくお願いいたします。

連絡先:「書肆月影」大塚 okiyo@tsuki-kage.net

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牧郷小学校の花見会

2007-04-01 03:07:32 | Weblog
※以下の文章は、古本屋「書肆月影」大塚が書きました。

牧郷ラボ(旧牧郷小学校)のサイトを覗いていたら、小さく4月1日(日)に花見会をやります、という記事を発見。屋台などもいろいろ出るようだ。
確か北尾トロさんの知人の知人がここの教室を借りている、と聞いていたので、北尾さんに電話してその方の名前を教えてもらう。花見がてら、廃校を借りている先輩から、話を聞きたいと思ったわけだ。

今回の参加者は、私と「れいど・ばっく」平野さん。いつもは平野さんの車で八王子経由で藤野に入るのだが、今回は趣向を変えて南から宮ヶ瀬ダム経由で入ることにした。途中、目にした桜の木がほとんど満開だったで、藤野も満開かと思ったのだが、入り口の篠原に差しかかったとたん、急に花の量が少なくなった。まだ二分咲きくらいだろうか。やはり藤野の春は里より遅いらしい。

牧郷小学校に着くと、同じく桜は二分咲き程度だった。まだ少し花見には早い感じ。それでも歌のステージや、物売りのテントのまわりには人だかりがして賑わっている。牧郷ラボを訪れるのは、昨年の「ひかり祭り」以来のこと。

テントのなかにいる人に、北尾さんから紹介された人の名前を告げると、あそこにいますよ、とすぐ教えてくれた。この方、都内に事務所を構えるカメラマンのYさんは、教室の一室をスタジオに利用していて、都内と藤野を行き来する生活を送っているそうだ。
Yさんは牧郷ラボが設立される時から活動に関わっていて、初対面の私たちに、藤野で小学校を借りる際の心構えのようなものをいろいろと親切に語ってくれた。フーン、そういう苦労もあるんですか、エェ!、それはないですよねえ、などと相槌を打ちながら、とても参考になる話が聞けた。これはあとで仲間に教えてあげよう。

Yさんに礼を述べて辞し、まだ少し時間が早いので、十日ほど前に不動産屋さんから図面をFAXで送ってもらっておいた吉野の貸家を見てみることにする。
途中、物件の近くの蕎麦屋に入り、蕎麦を啜りながら店の方にFAXの地図を見せると、甲州街道をどこで曲がるかはわかるが、そこから先は現地で聞いてくれ、とのこと。言われた角を曲がり、山道を登っていくが、何だかよくわからなくなってしまった。歩いている人、軒先で日向ぼっこをしている人、都合四人くらいに聞いたが、近くには来ているようなのだが、誰に地図を見せてもわからない、という。大人ふたりが一時間半ほど迷ったすえ、やっとその物件にたどり着いた。そこは山の中の細道が入り組んでいて、行き止まりが多く、かつ目印になるようなものもないので、確かにわかりにくい場所ではあった。
探し出した貸家は、集落の端にあって、後ろは荒れ地、それに墓地を背負っていて、何とも陰気くさい。あまり心が躍らなかった。

疲労感と徒労感がないまぜになったような気持ちで甲州街道を走っていると、相模湖駅近くで今まで気付かなかった不動産屋を発見した。念のため、車を止めて、壁に貼られた物件を眺めてみる。小淵に手頃な貸家が出ているではないか。中の営業マンに声を掛けると、まだ空いている、良かったら案内する、とのこと。車で先導してもらって、その物件を内覧することにした。
その一軒家は、小淵の高台の開発団地の一角にあった。築年は平成になってから、室内も比較的きれい、家賃もまあまあというわけで印象は比較的良かった。藤野のはずれであることと、すぐ近くに焼却場の煙突があることが少し気になるが、さてどうしたものか。

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