※以下の記事は古本屋「書肆月影」大塚が書きました。
今日は、藤野の炭焼きグループ『炭遊舎』の活動の日。※残念ながら、このブログで参加者を募集したが、結局応募者はいなかった(泣)。引き続き募集するので、希望者は連絡を。
今回は、先日クルマに同乗させてもらった伊勢原のオジサンが遠方にいて欠席なので、電車で行くこととする。九時半の開始に間に合わせるために、五時起きの六時半出発という、一流サラリーマンのような起居になってしまった。外に出ると、昨日に比べて今日は格段に寒い。やや薄着だったかと後悔するが、引き返すともう間に合わないので我慢することにする。旅の伴は、金子光晴の自叙伝三部作の第一部『どくろ杯』。
藤野駅から終点の「奥牧野」までバスに乗り(結局乗客は私一人だった)、そこから十五分ほど歩いて、炭焼きをしている「日影原」まで。すでに遠くで人影が動き、煙がたなびいている。
今日のメインの作業は、先月窯にいれた竹や薪が炭になって出来上がっているので、それを取り出すことと、新たにまた竹・薪を詰めて火入れをすることだ。私はこちらの作業には加わらず、山の中腹から薪を下ろしたり、波板で擁壁を作ったり、という力仕事の方を手伝った。五十路のとば口に立った私でも、メンバーの中ではいちばん若いようなので、自然とそういう流れになる。薄着の心配は取り越しで、途中で汗をたっぷりかいてしまった。
それにしても思い返すに、昼どきに車座になってメシを食った時の皆さんの会話には、全くついていけなかった。別に難しい話をしているわけではなく、題材としては農業のことが多いのだが、あまりに隙がない。自然を厳しく見つめていると、ことばというものは鍛えられるのだろうか。所詮私のことばなど、何かの借りもの、ことばを挟んでも、貧しさが先立つ。
帰りは、名倉在住の方が駅までクルマで送ってくださるというので、無理をお願いして土産物屋のSさんのところに寄ってもらった。ふだん世話になっているので、炭と竹酢液を手渡す。そのあと、この名倉在住の方の近所にある宅地を見せてもらった。これは私ではなく、北尾トロさん向け。今度会った時に教えてあげよう。
今日は、藤野の炭焼きグループ『炭遊舎』の活動の日。※残念ながら、このブログで参加者を募集したが、結局応募者はいなかった(泣)。引き続き募集するので、希望者は連絡を。
今回は、先日クルマに同乗させてもらった伊勢原のオジサンが遠方にいて欠席なので、電車で行くこととする。九時半の開始に間に合わせるために、五時起きの六時半出発という、一流サラリーマンのような起居になってしまった。外に出ると、昨日に比べて今日は格段に寒い。やや薄着だったかと後悔するが、引き返すともう間に合わないので我慢することにする。旅の伴は、金子光晴の自叙伝三部作の第一部『どくろ杯』。
藤野駅から終点の「奥牧野」までバスに乗り(結局乗客は私一人だった)、そこから十五分ほど歩いて、炭焼きをしている「日影原」まで。すでに遠くで人影が動き、煙がたなびいている。
今日のメインの作業は、先月窯にいれた竹や薪が炭になって出来上がっているので、それを取り出すことと、新たにまた竹・薪を詰めて火入れをすることだ。私はこちらの作業には加わらず、山の中腹から薪を下ろしたり、波板で擁壁を作ったり、という力仕事の方を手伝った。五十路のとば口に立った私でも、メンバーの中ではいちばん若いようなので、自然とそういう流れになる。薄着の心配は取り越しで、途中で汗をたっぷりかいてしまった。
それにしても思い返すに、昼どきに車座になってメシを食った時の皆さんの会話には、全くついていけなかった。別に難しい話をしているわけではなく、題材としては農業のことが多いのだが、あまりに隙がない。自然を厳しく見つめていると、ことばというものは鍛えられるのだろうか。所詮私のことばなど、何かの借りもの、ことばを挟んでも、貧しさが先立つ。
帰りは、名倉在住の方が駅までクルマで送ってくださるというので、無理をお願いして土産物屋のSさんのところに寄ってもらった。ふだん世話になっているので、炭と竹酢液を手渡す。そのあと、この名倉在住の方の近所にある宅地を見せてもらった。これは私ではなく、北尾トロさん向け。今度会った時に教えてあげよう。