「本の町プロジェクト」ブログ

日本にも「ヘイ・オン・ワイ」のような本の町があったらいいな、から始まった物語。高遠での活動を経て次のステップを準備中。

広告

※このエリアは、60日間投稿が無い場合に表示されます。記事を投稿すると、表示されなくなります。

沢井小学校へ行きました

2007-01-30 14:52:48 | Weblog
杉並北尾堂の北尾が書きます。

ぼくは本の町、いいだしっぺのひとりなんですが、考えれば考えるほど
これはやってみたいと思うようになってきて、自分でも驚いています。
記憶をたぐってみてもこういう種類のやる気というか、
前向きな気持ちを抱いたことはこれまでの人生で思い当たらない。
まあ、構想を語り合って盛り上がるのは楽しくても、
実現するとなると何から手をつければ良いやらなんですが、
うっかりするとすぐに年ばかり取るので油断大敵であります。

妄想から構想へ、が2006年なら、
構想から実現への一歩を踏み出すのが2007年だと思ってます。

初書き込みが遅れたけど、これからちょくちょく報告していきます!

この記事をはてなブックマークに追加

スミヤキストTの体験

2007-01-28 23:39:00 | Weblog
※以下の記事は、古本屋「書肆月影」大塚が書きました。

藤野通いも相当な回数にのぼるけれども、地元の人と話す機会があまりない。そういう場には、こちらから参加していかねば。

前からちょっと気になっていた集団に、『炭遊舎』というものがあって、この人たちは藤野の西のはずれ、奥牧野というところで、炭を焼いている。サイトを覗くと、月に一度くらい集団作業日があるようだ。よその住民が参加できるかどうかわからないので、管理者の方に参加希望のメールを出してみる。その日のうちに、快諾の返事が。

私個人は「本の町」と「炭焼き」はかなり地続きだと思っているのだが、他のメンバーに話しても、ケッ!という感じでまるで相手にされない。案の定、メーリングリストで参加希望者を募っても、梨のつぶて。そこで、本とは全く無縁だが、伊勢原に山を持っていて、簡単な小屋程度なら自分で建ててしまう知り合いのオジサンを誘うことにした。

道に迷って、少し遅れて着くと、すでに山の中腹で作業が始まっていた。管理者の方にまず挨拶をし、作業に加わる。山の中腹にすでに切り出されている長さ80センチほどの丸太を、下まで下ろすのである。重いものはそのままころがし、軽いものは二三本を一輪車(ねこ)に乗せ、押していく。全部で二百本ほどあっただろうか。主に一輪車での運搬を担当したが、これは腰にきた。バランスを崩して丸太が一輪車から飛び出してしまうと、前の人を直撃してしまう。へっぴり腰の、ハラハラし通し。終わったときには、汗びっしょりだ。

聞くと今日運んだ丸太は、朴(ホオ)、櫟(クヌギ)、桜などらしい。ふだんは誰かしらが、この炭焼き場で作業をしているそうだが、山から木を切り出すような重労働は、集団作業日で行っているとのこと。

ひとまず休憩となり、車座でお茶。今日は初参加が私たちを含め、三人だったので、簡単な自己紹介が端からされていく。全部で十四人、定年退職者が多い。藤野在住者は二人だけで、他は城山町、相模原市など近郊の方だ。埼玉県の川口市から通っている方もいた。

それから、二組に分かれ、一組は窯への薪入れ作業、もう一組は竹割り作業に入る。私は初心者なので、薪を運ぶ作業に加わった。窯の中に入ったベテランの方が、丁寧に窯の中に薪を積み上げていくのだが、隙間無く詰めるために、いろいろな長さの薪が必要になる。それを薪置き場から、運び出してくる作業だ。
同行した伊勢原のオジサンは、予想はしていたものの、もう窯を自分で作る意欲まんまんで、一連の作業を細かくデジカメに収めていた。

昼になったので、また車座になって昼メシとなる。ほとんどの方が持参した弁当だ。女性の参加者が二人いて、その方が仕込んでいた豚汁が全員にふるまわれた。炭焼きや竹酢液に関する話題が飛び交う。まったりしたテンポで。

午後は竹割りの作業に加わった。竹割り作業の流れを大きく分けると、切り出された長い竹を80センチほどの長さに切る→その竹を特殊な工具を使って縦に四つに裂く→竹の節にある出っ張りを鉈で落とす→そのまま窯に入れられるよう適当な分量で縛る、となる。
私はいちばん初心者向けの、三番目の工程、竹の節落としに加わった。(他の工程もチャレンジしてみたが、竹に申し訳なくてあきらめた)。竹の内側の節の出っ張りを落とすのは、束ねた時に邪魔にならないようにするためと、できあがった時の見映えを良くするためだろう。節落としの工程にはもうひとつあって、あまりに大きいものは、さらに縦に半分に裂く。これが結構むつかしい。なかなか等分にならない。

参加している方々の平均年齢は高いが、作業中はほとんど私語を交わすこともなく、みな黙々と作業をしている。作業量の目標も特に無いようだが、個々が自分の体調や力量と相談しながら、集中しているといった感じ。午後三時頃、「今日はこのへんにしましょう」と管理者の方が声を掛けたが、声を掛けなかったら延々と作業が続いてしまう、と思った。

窯の方を覗くと、蓋が作られ、もう火入れが始まっていた。焼けた炭が窯出しされるのは、二週間ほど先のことらしい。

最後は、自由解散。管理者の方、参加した方々に挨拶し、辞去する。汗もかいたが、体が冷えてきたので、すぐ近くの天然かけ流し温泉『東尾垂の湯』に伊勢原のオジサンを誘う。日曜日とあって、すごい混雑ぶり。でも、やはりここの湯は、柔らかくて気持ちが良い。

この記事をはてなブックマークに追加

「本の町」の拠点

2007-01-26 02:14:53 | Weblog
※以下の記事は、古本屋「書肆月影」大塚が書きました。

昨日の斉木さんのコメントに少し追加します。
今回の視察はハートランド・斉木さん、文雅新泉堂・野崎さん、それにわたし書肆月影・大塚の三オヤジで行きました。野崎さんは藤野の隣町・城山町の住人です。

ここで、沢井小学校というのが出てきますが、小学校視察にはそれなりの目的があります。
藤野町にはかつて十の小学校がありましたが、過疎化の影響もあり生徒数が減少、最終的に三つに集約することが決定されたそうです。そこから廃校になる七つの小学校の再利用が検討されました。詳しい経緯は良く知りませんが、そのうちすでに四校は「生涯学習センター」、「芸術家たちのラボ」、「特産品の栽培施設」、「シュタイナー学園」として運営が始まっています。まだ利用方法が決まっていない残りは三校、その一校が沢井小学校、というわけです。

「本の町」のシンボルとして、どこか拠点が欲しい、そこで目を付けたのがこの廃校ということなのです。
地元には、「図書館設立運動」というものがあって、この運動を進めている人たちも、廃校利用を考えていました。しかし、コンペでこの案が採用されることはありませんでした。昨年はこの人たちと交流し、いろいろご教示いただきました。今年は一緒に取り組む場も出てくるかも知れません。

沢井小学校は廃校と言っても、まだ一年経っていないせいか、さびれた雰囲気がなく、何か休校日のような感じでした。
斉木さんがひとりで長いこと、校庭を遠い目で見つめていましたが、美少女趣味の彼のことですから、かつてそこで戯れていた幼子の幻影でも追っていたのでしょう。

この記事をはてなブックマークに追加

倉庫探し

2007-01-25 17:09:36 | Weblog
書肆月影の大塚さんがネットで倉庫にできそうな手頃な一軒家を発見。早速見に行ってきた。プリントアウトした地図は文字がろくに判読できないヒドイ代物だったが、大塚さんにそういうことをとやかく言っても仕方ないのでカンを頼りに何度か道を間違えながらも目的の場所へ。

ここは藤野ではなく、一駅先県境の峠を越えた山梨県上野原町。しかも国道20号から分岐する県道からさらに分岐した1車線の狭い急な坂道を突き当たりまで登った場所。日に数本というバス停から更に歩いて2・30分はかかるだろうか。上野原駅から歩くと1時間ぐらい?藤野からだと車で20分程度か。
アクセスはやや難があるが、南向き斜面で見晴らしも良く、集落内には適度に畑や林があって環境はとてもよい。肝心の物件も、現在人が住んでいるということで内部を見ることはできなかったけど、広さは充分なようである。写真は私道からみたところ、右奥隠れて見えないあたりが玄関。
これで3万5千円。別の家の庭先の狭い道路を使ってアプローチするので家のすぐ前に車をつけることは出来ないが、公道に出てすぐの場所が専用駐車場とのことで月2000円で借りられる。
さて、どうしたもんか。

個人的には藤野町内に倉庫を借りたほうが良いと思う。ちょっと広めのところを借りておいて、将来的には「本の町」内専用の取引場(ヘイのオークション会場のようなポジション)にしたらいいんじゃないかと考えているから。
ただ、春には大塚さんも私も本の置き場所に困りそうなので、とりあえずここを借りて当座しのぎにするという手もアリかな。


などと話をしつつ藤野へ戻り、駅北側の旧沢井小学校へ。
ここは昨年度末(2006年3月)に廃校になったまま放置されている。さすがにまだ1年もたっていないとあって現役時代そのままの雰囲気。中を覗くとロッカーや下駄箱、カゴに入ったボールなどが見えて懐かしい感じ。
鉄筋3階建ての立派な校舎は、廃校後藤野の特産品である「ゆず」の加工工場として使用される予定だったのが、何らかの理由で取りやめとなり現在は使用予定が無いらしい。いずれにしても目前に迫った相模原市との合併後に考えるということになりそうです。
ここ、いいなぁ。

最後はいつもどうり温泉で締め。
今回は私が行ったことがなかった「五感の里薬師の湯」にした。3時間まで840円。内部はかなり広くてゆったりできる。
これで藤野の公衆温泉は3つ全部入ったことになるが、一番気に入ったのは「東尾垂の湯」。泉質がいちばん優しい気がする。
このほかにもわかし湯の鉱泉が山のほうにあるらしいので、山のシーズンになったらハイキングがてら入りにいこう。

ところで、ブログって1回の投稿で写真1枚ずつしかUPできないのですね。旧沢井小の写真は次の機会に。(ハートランド 斉木)

この記事をはてなブックマークに追加

進展なし、でもないはず。

2007-01-22 15:31:35 | Weblog
大塚さん、何度も藤野詣でおつかれさまです。

しかし淡々とした口調で「繁盛店」とか書かれると、皮肉や冗談だと分からない読者もいるかもしれないじゃないですか!現実には借りようとした7万5千円のところより安い部屋に住んでいたりします。
あそこはねぇ、全体の雰囲気がなんか違う感じでしたよ。ハマった物件なら見た瞬間に気に入るはず。未だ2つめですから気長にいきましょう。

この週末(20、21)はハートランドにはいつもより沢山のお客さんに来ていただきました。自分のところのサイトやここでの記述を読んで、ご無沙汰していた人も初めての方も、わざわざ(心配して?)来てくれたり。でも、本業とは別に個人的にやってるフリーペーパーの入稿前でややテンパっており、あまりゆっくりお話もできず。わざわざ声をかけてくださったのに充分お話しできなかった皆様、すみませんでした。

私は未だ今年になってから藤野には行ってませんので、そろそろ温泉にでもいこうかな。前回行ったときには見なかった町の北側にある小学校が大変よい雰囲気らしいので、そこも見てこようかと思っています。
(ハートランド 斉木)


この記事をはてなブックマークに追加

有望物件見送る

2007-01-20 23:24:51 | Weblog
※以下の記事は、古本屋「書肆月影」大塚が書きました。

今日は朝から小雪がちらつく生憎の天気だ。でも、おととい見た例の貼り紙がどうにも気になる。ライバルに先を越されるのでは、という不安もよぎる。

というわけで意を決し、またもや藤野へ。今日の電車の友は小林信彦『回想の江戸川乱歩』。(信彦氏、乱歩邸の応接間のことやら、『ヒッチコック・マガジン』編集の頃のあれやこれやに関しては、誠に細部までよく記憶しているのに、長年コンビを組んでいる弟の泰彦の出身校が多摩美か武蔵美か把握していなかったくだりには笑ってしまった)

藤野駅からは今日も徒歩で行くことにした。土曜日ということもあってか、すれ違う人が多い。でも、服装や雰囲気から察するに、地元の人ではないようだ。吐く息が白い。雪も少し舞うように降りてきた。

名倉の土産物屋が視界に入ると、今日は縁台に品物が並んでいる。Sさんはいるようだ。縁台で梅ジャムとキウイジャムを手に取っていると、Sさんが顔を出した。一昨日来て、貼り紙を見た旨を伝える。「今日、見学することはできますか」「いま片付けをしている最中だからねえ。外からは見られると思うけど」「じゃあ、場所を教えていただけますか」「うーん、そうねえ、ちょっと待ってなさい。お父ちゃん呼んでくるから」。しばらくすると、ご亭主がクルマに乗って、迎えに来てくれた。感謝。

クルマのなかで、先日ご自宅を見せていただいたことなどを話している間もなく、現地に到着。駅から歩いて十五分ほど、彫刻群のある「芸術の道」の入り口あたりの立地か。確かに貼り紙通りの間取りだった。大家さんが精力的に片付けをしている。ご亭主にお礼を述べ、駅まで歩く。

体が冷えきってしまったので、町営温泉で暖まりたかったが、今日もバスの接続が悪く、あきらめる。残念。駅前の農家の出張販売で、芽キャベツと手作りコンニャクを買う。

その足で西荻窪のハートランドへ。自分の気持ちは固まっていたのだが、物件選びでは私より遙かにセンスのありそうな(いちおう繁盛店の店主ですから)斉木さんに、ちょっと相談したかったのである。デジカメの写真を何点か見てもらったあと、今回はやはり見送る結論を出した。明日、電話しよう。

ああ、むつかしい。焦ってはいけないが、まだ「本の町」のとっかかりさえできない。

この記事をはてなブックマークに追加

有望物件あらわる

2007-01-18 23:47:21 | Weblog
※以下の記事は、古本屋「書肆月影」大塚が書きました。

昨日は久しぶりに雨が降った。今日あたり藤野の山を歩けば気持ちも良かろうと思い立ち、昼過ぎから出かける。自宅から藤野までは、電車を乗り継いで、一時間ほど。電車の友を何にしようと迷ったが、団鬼六『外道の群れ-責め絵師・伊藤晴雨伝』にする。

今日の目的は、散策ももちろんだが、昨年暮れに貸家探しを頼んでおいたSさんに会いたいということがあった。Sさんは、藤野の名倉というところで、土産物屋を営んでいる。本来、電話でアポ取りをしてから行くのが順当なんだろうが、この土産物屋には電話がない。息子さんの電話番号は教えてもらっているのだが、まだ面識がないので、それもちょっと気が引ける。ええい、出かけてしまえ、ということで家を出たのだ。

藤野駅に着くと、次のバスの時間まで空いてしまった。名倉までは歩いて30分くらいである。坂がちょっとキツイが、何度も来た道なので、歩いて行くことにする。途中、出会った村人は三人だけ。リュックを背負った若い女性と、横断歩道にいた緑のオバサンと、杖を片手に立ち尽くしていた老婆と。必ず「こんにちは」と向こうから挨拶される。藤野の人は、必ず向こうから挨拶をする。先日など、バス停で待っている人からも挨拶をされて、少しドギマギしてしまった。もっとも、平穏な土地に、坊主頭の見知らぬ中年男性が闖入しているわけである。「不審者にはまずひとこと掛けて」という回覧でも回っているのかも知れない。

名倉の土産物屋に着くと、店は閉まっていた。何か用事でも出来たのだろうか。だいたい空いているのだが。仕方がないので、店の正面にまわると、何やら貼り紙が掲げている。貸家の告知だ。こういう時に、デジカメはメモ替わりになるので便利である。家に帰って、よく読むと、ちょっと意味がわからないところもあるのだが、「和室6畳×3部屋、洋室4.5畳×1部屋、台所8畳×1部屋、家賃7万5千円」と理解してよさそうだ。これはかなりお値打ちなのでは?明日、電話で詳細を聞いてみよう。

土産物屋の近くのバス停で10分ほど待つとバスが来たので、また藤野駅まで戻る。ほんとうは町営温泉に浸かってから帰りたかったのだが、ここで油を売ると、途中下車予定の八王子の古本屋がみな閉まってしまうので、グッと我慢する。駅前ロータリーで野菜を売っている農家のオジサンから、切り干し大根といもがらをそれぞれ一袋ずつ買って、電車に。

八王子で降り、古本屋をフラフラと。

この記事をはてなブックマークに追加

初心者が初心者におくる藤野案内 その1

2007-01-16 03:54:29 | Weblog
※以下の記事は、古本屋「書肆月影」大塚が書きました。

これから何回かに分けて、藤野のさまざまな魅力を紹介していこうと思います。題して「初心者が初心者におくる藤野案内」。書いている私自身がまだ藤野に接して日が浅く、人に教えることなどおこがましいのですが、ウブはウブなりの伝え方があるだろうと考え、筆を進めることとしました。

魅力を伝えるのには、まずそこに住んでいなければ話にならない。まあ、これは当然のことですね。
ある程度、資金があって、土地を買って家を建てるだけの余裕がある人であれば、藤野に土地は結構あります。不動産屋に調べてもらえばわかりますが、だいたい坪5~20万円くらいでしょうか。前回書いたとおり、平坦な土地があまりないので、場所選定にはそれなりの悩みがつきまとうかも知れません。しかし、資力さえあれば、藤野に持ち家を構えることはそれほどむづかしくはない。

むづかしいのは、私も含めてですが、藤野で家を借りようとする場合です。アパートやテラスハウスなどならポツポツと点在し、私もそのいくつかは見ましたが、いまひとつ食指が動きませんでした。これだけの豊かな自然に身を置きながら、なお壁ひとつ隔てた隣人に気を遣わないといけないなんて・・・。やはり、たとえ古くてもいいから、一軒家に住みたい・・・。庭の隅で、家庭菜園のまねごとみたいなこともやってみたいし・・・。

でも、この貸家がないのです。いや、あることはあるのでしょうが、はい、すぐに貸します、というわけにはいかないのです。私も半年以上かけて探していますが、いまだここは、というものに巡り会えていません。いま、新たに地元の方を介してあたってもらっていますので、今年中には何とかなるかも知れませんが。
この家探しの経緯は、またこのブログで報告しますが、貸家を探すことは藤野では非常にむづかしい、ということは頭に入れておいてください。ただし、運良く家を探せた場合には、後から続く人のために、できることはしたいと思います。そうでないと、「本の町」になっていきませんから。(続く)

この記事をはてなブックマークに追加

初夢・本の町

2007-01-10 12:09:47 | Weblog
藤野町・本の町には、本の博物館が出来るはずです。図書館もありますし、イベントスペースも、宿泊施設もあります。その一画ににぎやかな古本村が出来ています。数十軒の古本屋さんが軒を並べて、全国からやってきたお客さんと交流しています。藤野・古本村のウェブサイトにも、たくさんのアクセスがあって通販も行なわれています。売るのはもちろん、全国から寄せられる不要本の買取りも盛んです。たくさんの本が集まるので、村の古本屋さんのための市場も開かれています。
藤野町・本の町構想の最初の中核になるのが、この古本村です。(文雅新泉堂・野崎)

この記事をはてなブックマークに追加

なぜ「本の町」か、なぜ「藤野」なのか

2007-01-09 06:02:36 | Weblog
※以下の記事は、古本屋「書肆月影」大塚が書きました。

このブログを初めて読む人のために、なぜ「本の町」(あるいは「古本村」)を作ろうと思うに至ったか、そして、そこがなぜ神奈川県の「藤野町」なのか、ということについて簡単に説明しておこうと思います。まだ残念ながらプロジェクトの全体像がぼんやりとしていて、参加しているメンバーのビジョンもそれぞれだと思いますので、以下の文章は私の備忘録程度にお考えください。

いつ頃から、「本の町」という概念がアタマを占めるようになったのかは定かではありませんが、南会津にある「たもかぶ」の活動が気になっていたことは間違いありません。少なくとも私にとっては。
「たもかぶ」というのは、たもかく株式会社が運営しているユニークなトラスト運動で、手持ちの古本を送ると、その価値に応じて地元只見の森のオーナーになれるというもの。そこを訪れる機会があれば、全国から集まった古本を買ったり、宿泊することもできたりという「本の町」の機能も備えている。最初に知った時は驚きました。
(ここがまだ通販をやっていた時代には本を買ったこともありましたし、管理人が書かれていた日記はかかさず愛読していました。現地には行ったことがありませんが、今は無き池袋の店舗の方には何度か足を運んだことがあります。)
いま、「藤野/本の町」プロジェクトに参加しているメンバーは、平成14年秋と平成15年秋に渋谷パルコで開催された「オンライン古本屋顔見せ興行」に出店した方々なのですが、その当時から、この「たもかぶ」のことは、話の端々にのぼっていた、と記憶しています。何となく漠然とですが、「本の町」のようなものをつくりたい、という意識はその頃から皆に共通してあったのでしょう。

その後、この「オンライン古本屋顔見せ興行」を発展させるかたちで、同じく渋谷パルコで、平成17年に「新世紀書店」というイベントが開催されました。これは従来の、書店が版元から本を仕入れて棚に並べて売る、という枠組をいちど解体してみよう、という試みでした。参加した個人および書店は、「本」の「読み手」への届け方に関するさまざまな実験をしていたように見受けられました。私は参加していないのですが、イベントに関わった北尾トロさんと斉木さんは、ここで培ったアイデアを「本の町」で具現化したいという意欲が高まっていったのではないでしょうか。

「村」あるいは「町」というからには、どこにその拠を構えるかということが重要で、またどこを選択するかによってその中身も大きく影響されるでしょうから、そのあたりから私たちの「場所さがし」が始まりました。メンバーそれぞれが旅行なり仕事なりに絡めて、これはと思う場所を訪れました。その情報交換をたまにするのですが、どれもいまひとつピッタリこない。意見が一致して会話が弾むということもありませんでした。
いちど、北尾さんの同級生がその土地で自家製パン屋を営んでおり、メンバーそれぞれも何となく土地勘があるという理由から、奥多摩の「檜原村」に数名で視察に行ったことがあります。
檜原村も自然にあふれ、川の恵み山の恵みの旨い良いところです。でも、実際に都心から車で移動してみるとかなり遠いこと、それとあまりに広すぎて核となる場所を見つけにくいことなどの理由で、決定には至りませんでした。

その後、北尾さんと斉木さんは、雑誌の取材を兼ね、「古本村」の聖地、ウェールズの「ヘイ・オン・ワイ」と、ベルギーの小村「ルデュ」を訪ねました。その詳細は、このブログの先頭に紹介されている本『新世紀書店』のなかに記されています。(私も同行させていただきたかったですが、ヒマもカネもありませんでした)

それからも場所さがしは続き、自薦他薦含めて、いろいろな候補地が浮かんでは消えていきました。ざっと思い浮かぶところを列挙すると、湯河原、熱海、三浦市、栃木県の佐野市、秩父、軽井沢、那須、北陸の加賀市などなど・・・。

そして、最終的に落ち着いたのが、ここ神奈川県の「藤野町」です。藤野町を簡単に説明すると、神奈川県の北の端に位置し、隣はもう山梨県(上野原市)。東京からは中央自動車道の相模湖インターチェンジを降りてすぐですから、1時間ほどでしょうか。町の中を国道20号線(甲州街道)が通っていますが、幹線道路はこれくらいで、静かなものです。駅を降り、高台に立つと、相模川の大きな川面が目に飛び込みますが、平地はこの一帯だけで、ひとことで言うと、町全体が山の中にある、といった感じ。藤野の魅力はまた、どなたが書き込むでしょうから、概略は町のホームページをご覧になってください。

藤野町の良さを最初にメンバーに喧伝したのは、たぶん私だったと思います。きっかけが何だったのかよく憶えていないのですが、昨年の5月頃に藤野町を訪れ、その魅力にいっぺんではまってしまいました。うまく説明できないのですが、戦前から長与善郎など多くの文化人が居を構え、その後東京から多くの芸術家が移住したのも、何となくわかる気がします。単なる山里ではないのです。たぶん住んでいる人でもない。いったい何なのでしょう。夏から秋にかけては、隔週くらいに藤野を訪れ、散歩をしたり、家を探したり、温泉に浸かったりしていました。
そのうち、他のメンバーも藤野を訪れ、その魅力の虜になっていったようです。北尾さんと斉木さんは、口を揃えて「藤野はヘイ・オン・ワイに良く似ている」と感想を述べていますから、たぶんそういうことなんでしょう。ヘイ・オン・ワイを真似するつもりはありませんが、本にとって居心地が良い土地というものも、この世にはあるはずです。

そして、プロジェクトの立ち上げの意味も込めて、昨年の9月に藤野町の文化活動の拠点である県立『芸術の家』で、泊まり込みの合宿をしました。合宿と言っても、クルマ2台で、広い町の中を、廃校になる予定の小学校の下見を中心に、グルグル回っただけなのですが、それでも藤野の良さが、皆の意識のなかで再確認された合宿だった、と個人的には思っています。

ざっと、こんなところが今までの活動の流れです。

この記事をはてなブックマークに追加