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備忘録と自己評価
       
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          ダイアが光ってる

2017-07-09 | 司馬遼太郎


司馬遼太郎
【ワイド版】
『街道をゆく 17島原・天草の諸道』★★★

http://publications.asahi.com/kaidou/17/index.shtml


週末奥多摩へ。
そのお供とし残り少ない16は置いて、お次の17を持参
今回のダークネタはいきなり最初から・・松倉重政(知っている人いる?)
早朝から針刺し責め、硫黄責め、子責め、温泉地獄責め、木馬責め、竹の鋸による斬首、焚殺、それもいきなり火で殺すのではなく、受刑者から距離を置いて火を焚き、できるだけながく苦しませて殺すという火刑・・

日本史のなかで、松倉重政という人物ほど忌むべき存在はすくない。

松倉ねぇ



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重政の郷里の方言に、
「がんまつ」
ということばがある。
人がなんといおうとも、あるいは人の利害や感情にはいっさいおかまいなしに、めざす物に猿臂をのばし、摑みどりにつかんで放さぬという性格をいう。
「あいつはがんまんなやつだ」
というふうにつかう。
京都府の「ごりがん」ということばと似ているが、ごりまんはまだ可愛い。がんまつのほうは、物欲、名誉欲のエネルギーがはげしく、計算もたけだけしくて、どすがきいている。

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どうかしら?

島原の乱(1637年)


もー司馬遼太郎にハマり過ぎてる。
抜粋より読む読む


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私は二十年前、この町にきて旧城下の下士の集落がのこる鉄砲町を歩いたりしながら、人に会うたびに、
「あの眉山はいいですね」
などといった。当時、私は「寛政の大変」といったことを知らず、ただ市街地にのしかかる山容の大きさが気になって、会うひとごとにそう言っていたまでのことである。が、ひとりとして、
――あの山は割れたことがあるんです。
と教えてくれたひとがいなかった。こんどの旅でも、眉山の山容についての感想を語ってみたが、たれもこの山についての話題を深めようとはしなかった。
私が島原人でもそうしたにちがいない。



島原を故郷とし、あるいは島原を暮らしの根拠地とし、さらには地球上で島原ほどいいところはない(事実、そうではあるが)と信じている土地のひとびとにとって、遠い過去に松倉という例外的なほどのわるい大名の父子がやってきて度外れた悪政をやったということや、切支丹に対する大虐殺がこの土地でおこなわれたなどということは、思いだしたくもないことである。
さらにいえば、眉山もいまは無事であり、しかも山の地質的な様子からみて未来永劫に無事であろうと思われる以上、二世紀ほど前にそういう地異があったということなど、執拗に思いだす必要もない。それらの悲惨さについてしつこく思いだすことで一種の芸術的快楽を感じる精神的体質はむろんありうるし、あっていい。しかしふつうわれわれはそういうぐあいにはなってないのである。



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人間は自然に依存するもろい生きものにすぎない。そのことは、陸にいるときよりも海にうかんでいるときにはなはだしい。



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旧漢字?が見つけられなかった。



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徳川幕府の性格がもつ暗い面――鎖国と切支丹禁制――が、島原が半島であるために陸づたいにやってきて、そこに悪液質が集中的に滞ったとも思える。おなじ目に遭っていながら、口之津―鬼池間海上七キロの天草にあっては、どこか風穴があき、どこにあるとも知れぬステンド・グラスから一条の光がさしこみつづけていたような印象がある。



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隠れ切支丹



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「天草といえば、本渡ですから」
と、たれかがいった。



秀吉の大坂建設以来、その後にできた江戸、広島、仙台、福岡、岡山など、日本の近世都市のほとんどが、鉛版のように河口にできた低湿地に造られるようになったということは、この『街道をゆく』のどこかでふれた。天草の主要都市である本渡までがそうであるというのは、おもしろい。



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国侍、国人、国衆とよばれた天草五人衆(小地主)



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「人物」というのは、どのように生きてきたかということについての内容と、その内容を形成するだけの時間をふくめての言葉であるにちがいない。



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天草四郎時貞



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しかし、篭城って壮絶だな・・

味方になっても最後にはつぶされる・・



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――もはや、戦国の世ではないぞ。
と、たれかが冷静に諭したところで、無駄であったろう。奇妙なことだが、戦国という乱世ほどひとびとの思考態度は冷静で、思考法は合理主義的であり、決して政治や宗教についての集団妄想はおこなわれないのである。
集団妄想は、むしろ治世の産物であった。



島原・天草の一揆は、本質として農民一揆であり、切支丹という宗教一揆ではない



「切支丹」
といえば、後世、島原と天草を連想するまでになった。



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この時代、物を書く人が多かったらしい(今で言えばブロガー?)



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大名というものは、たとえ藩境を接した他藩で反乱・一揆その他がおこっても、幕命がないかぎり兵を出せない



「身上、果て申すべき仁」



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知らなかった。



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禅宗は、自己一己の解脱のみを説く。他宗のように、神仏に頼み、祖先の霊にたすけをもとめたりする他力の心があればそれだけ解脱への勇猛心が弱まるとする。
「祖仏共二殺ス」という千利休の辞世の偈が禅の本質をよくあらわしている。


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「天草というのは、山も海も、ものを言っているみたいですね」
須田画伯が、いった。



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「平気よ。自分の価値は知ってる」颯爽とね。
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