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ぼくの住まい論 内田樹

2017-07-08 10:16:27 | 社会
ぼくの住まい論 内田樹 新潮社

★「学びの場」は、そこで学んだ人たちにとって、生涯変わることのない「母港」でなければいけないということです。いつも同じ場所にあって、船の出入りを見守っている。そういう「定点」があると、人間は自分が何ものなのか、どこへ向かっているのか、どれだけ成長したのか、あるいはどれだけ道を踏み外したのかを測定できる。(15P)


★10年ほど前に高校を卒業した娘が東京へ行くときに、ぼくが娘に言ったのは二つだけです。「金なら貸すぞ」と「困ったらいつでも帰っておいで」。この言葉だけは親はどんなことがあっても意地でも言い続けないといけないと思うんです。「そんなに甘やかすと自立の妨げになる」と苦言を言う人もいますけど、ぼくはそれは違うと思う。(16P)

★「人間は弱い」というのがぼくの人間観の根本なんです。だから、最優先の仕事はどうやってその弱い人間を慰め、癒し、支援する場を安定的に確保するか、です。「家」は何よりもまず、「集団内でいちばん弱いメンバー」のためのものであるべきだとぼくは思います。(16P)

★書棚というのはつよい教化的な機能を持っている。毎日本の方が、「はやく読めよ」と急かしてくるわけですからね。書棚というのは、その人が今なにものであるかを示すというより、その人が「どんな人だと思われたがっているか」を示すものです。(36P)

★歩哨というのは、マニュアルもジョブ・デスクリプションもない仕事です。あるとき、何かが起きる。「この世にいてはならぬもの」が人間世界に侵入してきます。歩哨はそれをいちはやく見つけ出し、しかるべき儀礼を以てそれを境界線の向こう側に押し戻さなければならない。歩哨の仕事というのは「どうしていいかわからないときに、どうしたらいいかわかる」人
間にしかできないということです。
かつての日本社会には、そういう人間を一定数教育し、安定的に供給することの必要性を理解している人々がおりました。でも、もうそんな人たちはいません。(145P)

★「自分にできないことができる人」によって自分は生きていられる。だから、全力を尽くしてその人を守る。(158P)

★道場というと、第一には修行の場ですが、同時に「アジール(避難所)」でなければならないと僕は思っています。(160P)

★教師の仕事はただ「君たちは学ばなければならない。君たちがなぜ学ばなければいけないのか、私はその理由を知っているが、君たちはまだ知らない」と告げるだけです。それだけでいいのです。(174P)

★ぼくが教師になって驚いたことは、「教師は自分が知らないことを教えることができ、自分ができないことをさせることができる」ということでした。教育というのは出力過剰のメカニズムなのです。そして、それが教育制度の本質的豊饒性を担保している。(177P)

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