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051-(2016-10)-2016年09月16日・金 1900 マックス・ポンマー指揮 札幌交響楽団 札幌コンサートホール・キタラ

2016年09月17日 | クラシック・コンサート

051-(2016-10)-2016年09月16日・金 1900 マックス・ポンマー指揮 札幌交響楽団 札幌コンサートホール・キタラ
レーガー : モーツァルトの主題による変奏とフーガ

レーガー : 序奏とパッサカリア ニ短調(オルガン独奏曲)
モーツァルト : レクイエム ニ短調 (ジュスマイヤー版)

札幌コンサートホールキタラ 1階1列 12番 13番~チケット済 
S席5500×2~11000円 
ホテルライン 8200円+駐800円~9000円~05/09予約済  

レーガーなんてメジャーでないから知らない、モーツァルのK.165あたりの演奏でもよかったのに。


wikipediaから

ヨハン・バプティスト・ヨーゼフ・マクシミリアン・レーガー(Johann Baptist Joseph Maximilian Reger, 1873年3月19日、ブラント - 1916年5月11日、ライプツィヒ)は、ドイツの作曲家・オルガン奏者・ピアニスト・指揮者・音楽教師。

ヴァイデン・イン・デア・オーバープファルツに育ち、早くも音楽教育を受ける。ミュンヘンとヴィースバーデンでフーゴー・リーマンに音楽理論を学んだ後、徴兵されて従軍するが、このころから過度の喫煙や飲酒を嗜むようになり、1898年に除隊して実家に戻ったときには心身ともに虚脱状態に陥っていた。その後レーガーの創作力は目に見えて上向きになり、1901年には家族に対して、地元オーバープファルツよりも音楽的な成果が期待できるとして、ミュンヘン行きを納得させられるようになっていた。
 
1902年、レーガー自身はカトリック信徒であったにもかかわらず、離婚歴のあるプロテスタント信徒の女性エルザ・フォン・ベルケン(Elsa von Bercken)と結婚し、結果的にカトリック教会から無式破門に処せられた。ミュンヘン時代のレーガーは、作曲家としても、また演奏会ピアニストとしてもきわめて積極的に活動している。1905年にはミュンヘン音楽院の打診を受けて、ヨーゼフ・ラインベルガーの後任教授に就任するが、わずか1年後には保守的な同校と意見の食い違いを起こすようになっていた。
 
1907年に演奏活動でカールスルーエに滞在中に、ライプツィヒ音楽院の教授に選任されるが、その後も演奏活動と創作活動を続け、1908年には教授職を退き、1911年から1914年の始めまでマイニンゲン宮廷楽団の宮廷楽長に就任した。1914年にマイニンゲン宮廷楽団が解散されると、イェーナに転居。その後も精力的な作曲活動と演奏活動を続けている。心筋梗塞のために急死したが、極度の肥満や暴飲暴食、ニコチン中毒に過労も死因に関わったとされている。
 
レーガーは、豪快な人となりで数々の逸話やアネクドート(笑い話)を残した。一例として、自作をこき下ろした新聞評論の執筆者に、「いま、我が家の一番狭い部屋におります。貴君の評論が目の前にあります。もうじき背後に回るでしょう」と書き送ったという逸話が伝えられている。作品を酷評されると前記(一番狭い部屋事件など)の様に激怒する事が有ったが、約2メートルの身長と100キロを超える体重から「ドイツ最大の音楽家」と呼ばれ、また、親友にまで「非常に醜い顔」と酷評された事などに対しては特に反発したという記録は無い。演奏旅行中の急死も、解散したマイニンゲン宮廷楽団の元団員の生活のために無理な演奏旅行を決行した結果だとする記事が複数有り、癖は強い物の狷介・狭量な性格という訳ではなかった様である。



レーガーなんて知らない、ってけなしたけど反省。
レーガー の「
モーツァルトの主題による変奏とフーガ」、綺麗な曲だった。
レーガー の 「序奏とパッサカリア ニ短調(オルガン独奏曲)」、はじめてキタラのオルガンを聴いて感動した。

知られていない名曲があるんだね、オルガン奏者の室住素子はすごい、感激。

室住素子~東京大学文学部美学芸術学科中退、東京芸術大学音楽学部器楽科(オルガン専攻)卒業、同大学院修士課程修了。オルガンを秋元道雄、高浜知左、酒井多賀志、Z.サットマリー、故H.ピユイグ・ロジェに、即興演奏を岳藤豪希の各氏に師事。85年安宅賞受賞.86年、ハンブルク・バレエ団の来日公演でJ.S.バッハ「マタイ受難曲」を東京交響楽団と共演してデピュー。その後、水戸芸術館、サントリーホール、神奈川県民ホールなどのオルガン・プロムナードコンサート、NHK-FMなどに出演、東京都交響楽団とも共演を重ねている。
 89年から97年まで,水戸芸術館音楽部門主任学芸員として、音楽会のプロデュースに携わる傍ら、「市民のためのオルガン講座」「オルガン・レクチャーシリーズ」などの企画では講師として、オルガン音楽の普及に務めた。自ら企画した「音楽物語・ぞうのババール」は95年より日本各地で10公演行われ、チケット連続完売記録を更新した。福井,盛岡,新潟などの「アートプロデューサー養成講座」では講師を務めるなど、幅広く活躍している.日本オルガニスト協会会員。
 


日本人だからといって、取り上げられる武満徹、消えて欲しいね。

ホールに名前なんて付けて不遜だね。

来月、内田光子が武満徹の曲を演奏する、世界の内田光子でさえ、取り上げる状態、やめてほしい。

ショスタコーヴィチならオッケー、武満徹の曲は、勘弁してください。(2016/09/17)

 


美形の熟女の香水が、強烈に厳しい、体臭、ワキガなら許せるから香水は止めてよ、人工の香り・香水は、マナー違反だよ、鼻が曲がる、化粧品会社の陰謀だよ、自然の体臭が好き、香水は大嫌い、勘弁してほしい。

相当自分のにおいに敏感なのかね?

香水より、蒸れて足のにおいの方が、まだまし。

相当高い香水だろうけど、コンサートホールでは、ダメだよ。

東京芸術劇場の女性も強烈だったけど、負けていない。

常識のない香水クソ女に遭遇した。(2016/09/17)


アンコール曲~レーガー : 8つの宗教的歌曲Op138より第3曲「夜の歌」

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