「もののあはれ」の物語

古き世のうたびとたちへ寄せる思いと折に触れての雑感です。

「京都五山―禅の文化展」

2008年02月01日 | みやびの世界

 寒気は身にしむのですが、久しぶりに青空がのぞく好天なので、九州国立博物館へ出掛けることにしました。出発が9時と遅れたので、上の駐車場は無理と予想して、下の歴史資料館の前に停めました。
 テレビでも宣伝されているせいか、平日というのにかなりな人でしたが、並んで流れるというほどではありません。禅宗の文化では、華麗な花鳥画や、仏像はみられないことは予想していましたが、パンフレットで見かけた“韋駄天”の愛らしさと、創建当時の金閣寺の屋頂を飾った鳳凰に、焼失前の鹿苑寺を偲んでみようと思っていました。

 思えば、森鴎外の寒山拾得が私の禅への接点の最初でした。大衆的な他力本願の教えとは異なり、自らの中の佛性と向き合うことを求める自力の“悟り“の教えは、とっつきにくいのですが、それでも、茶の湯に流れる精神や、水墨画に描かれる世界には、思索し、求める高い精神世界があるような気がしていました。

 特別企画展は、開館記念の「美の国 日本」以来欠かさず見てきましたが、今回「禅の文化展」も、東京国立博物館と、ここ九国博だけとあれば、是非にと期待していました。
 パンフレットの見開きに記されている通りの「京都五山の禅文化を総合的に紹介する」という企画は充分に目的を果たしていました。ただ、足利義満を中心に据えて展開した五山と幕府、明貿易はじめ、中国の禅僧たちとの詩文を通しての交流から、五山の僧たちが、外交に果たした役割に関しての解説がもう少しあってもよかったと思いました。異国通船朱印状(相国寺)の展示もありました。
 それと「なんで、こんなに坊さんの掛軸ばっかりが多いのだろう」という、鑑賞の団体さんの邪魔な呟きももっともで、禅寺では、嗣法の際に頂相(チンゾウ=高僧の肖像)を描いたものを証拠として与える慣習があり、このためにも優れた画僧を必要としたのですから、そのへんの、解り易い説明も欲しかったと思いました。
 京都のお寺にお参りしても、寺院の奧深く秘蔵されるこれらの宝物にはお目にかかる機会は殆どありません。パンフレットで見て、楽しみにしていた鳴鶴図と、寒山拾得図には、展示替えで会えませんでしたが(会期中8回の展示替え)、百点近くの国宝や重要文化財の多角的な展示は壮観でした。
 以前、冬の京都で見た「瓢鮎図」に、もしや再会できるかと期待していたのですが、今回の展示には含まれていませんでした。
 (「鯰を瓢でとらえるのは如何」という将軍義持が五山の僧に与えた公案に、31人の僧たちが解答の賛を書き込んだもの。絵は如拙。退蔵院)
 言葉だけ知っていて見たことのなかった九条の袈裟、10躯に及ぶ禅僧たちの坐像、高僧たちの墨跡、如拙や雪舟の詩画軸、教科書でお目にかかったことのある肖像画と、国宝や重要文化財のオンパレードです。中でも、相国寺のご本尊は寺外では初公開で、今回のように間近で拝観できるのは、おそらく最後だろうと解説されていました。
 世阿弥との関連でしか考えたことのなかった足利義満の、政治家としての、禅との関わりの面から、あらたな発見の機会を得ました。招待券をいただいたことに併せ、九州国立博物館に感謝しています。画像は九州国立博物館より提供されたものです。

京都五山 禅の文化
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■足利義満によって造営された金閣舎利殿屋頂の鳳凰、唯一焼失を免れたもの■釈迦如来の脇の迦葉尊者と阿難尊者。寺外初公開のご本尊■癡兀大慧の肖像彫刻。肥満体で怒気を含んで目が威嚇し、迫力が迸る■高僧たちの肖像や、雄渾の墨跡が並ぶ会場■三代将軍、五山制度を確立した足利義満の坐像■春屋妙皅の臨終の遺偈。「七十余年の人生も夢幻のようなものだった」と述懐■見慣れない達磨大師坐像 手も脚もあり表情も円満■韋駄天。仏法の守護神で俊足の神様。引き締まった童顔が印象的
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補注
    京都五山

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2 コメント

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禅の教え ()
2008-02-03 17:53:48
 boa!さんの 微笑みが浮かびます。 学ぶことばかりです。
 
 妙心寺 退蔵院は3年前に始めてでかけ、 瓢鮎図の掲示を読んだけれど 実物は公開されていなかったと記憶が曖昧です。 鮎はナマズとそのときも驚きました。
http://www.taizoin.com/taizoin/hyonenzu.html

 このことを こちらで以前もコメントしたと boa!さんの、 何の記事でしたか、 空飛ぶ教室で。 福は内…
ひょうねん図 (boa !)
2008-02-04 07:44:40
退蔵院で、無造作に掛けられていた瓢鮎図を拝観したのは、お水取りを見に出かけた折でした。行きがけに京都で降りたついでに、特別展示で拝見したと記憶します。もう、30年も前の話です。
hyounenzuへのリンクのご案内ありがとうございました。お蔭で再会を果たせました。
あの絵には、下克上の湧き上がる力を背後に感じたものでした。たしか蛙さんと、コメントのやりとりをした記憶がありますね。
河童を描くまえ、一時期、鯰ばかり描いていた時期があります。「年々富貴」と賛をして。年を鮎に通わせたものです。

関東は2年ぶりの雪とか。大事ありませんか。
一言お見舞いを申し上げておかねば、兼好法師に”ひがひがき人”と叱られますので。