故郷への想い。IT砂漠に心の潤いを!

仕事はPC,時間が有ればiPhone。無味乾燥で、惰性に流されている感じ。ふと田舎に残した両親を想い出し心に潤いを持つ。

春が来た

2017-03-22 04:51:09 | 燻炭
春が来た、春が来た、どこに来た
山に来た、里に来た、野にも来た
………
1910年、明治43年小学校読本唱歌より

国民学校だったか小学校だったか今となれば定かで無いが,又2-3学年と思うが音楽の時間に先生の足踏みのオルガンに唱和しました。40人ぐらいの小さな学級全員が歌いました。先生が外で歌いましょうと言って全員が外に出て菜の花の畑には入り合唱した。女の子は菜の花をおつむにさして飾り付け、はしゃいでいました。今思うと素晴らしい先生でした。大変綺麗な先生でした。
今でもお元気?心配です。ドッジボールの好きな先生で、生徒も喜んで先生の球に当てられて居ました。想い出尽きません。

蝶々

2017-03-20 09:06:05 | 燻炭
歌詞:「小学唱歌集」(1881年)
蝶々 蝶々
蝶々 蝶々 菜の葉に止れ
菜の葉に飽たら 桜に遊べ
桜の花の 栄ゆる御代に
止れや遊べ 遊べや止れ

もう150年も前の唱歌。
黄色いミニミニヘリコプター て言う感じ。
いやいや、バイオ、ミニドローンかな?
精巧にできている
菜の花に止まった途端飛び去って、離れた花に止まってコソコソと何か
又飛び去った。のどかな春の田園風景。
黄色い蝶々がそのシンボルだ。
想い出した:
母親が畦に腰をおろし、草団子の餅草、よもぎを摘んでいた。
僕も手真似で手伝った、
芝の様な枯葉を分けてよもぎを摘んだ。
プーンと土臭い匂い、春の香りと言うべきか、
家の縁側に積み上げ、1本1本選び抜き準備した。
いよいよ餅つきが始まり、茹でたよもぎが入れられ緑色の草餅になった。
横にはプーンと小豆餡の匂い、腹がグーンときた。黄な粉もできた。
これは我が村落の春の一コマ、隣近所、親戚。日時を変えて草餅に招き、招かれ
情報交換、社交の場、TVも、携帯も、ネットも、漫画も無い時代。
草餅会は1大行事。



麦踏

2017-03-19 17:19:56 | 燻炭
麦踏
山懐の 段々畑
あれは浮雲、流れ雲
一畝踏んで 振り向けば

麦踏の唄、昭和27年作
この年代まで食料難、麦増産に励んでいた。
あの有名な総理の発言:
「xxxの人は麦飯を食え」、
今なら健康になりたい人は麦飯を食え となる。
正に時は流れる。である。
時は昭和25-6年頃、たしか朝日新聞社が出していた「農業朝日」と言う
薄っぺらなわら半紙の雑誌に、麦の増産に麦踏と焼き土を施すことがあった。
焼き土の作り方=素朴な,炭焼きのようなもの。消し炭もできた。
大変効果があり、麦の成長に格段のちがい、
麦の横への分けつががっちりと凄く、麦の背丈が勢い良く高い。
成長して、穂が出ると麦穂の段数が3段ほど多い。分けつの多さと相まって4-5割増収。
焼き土の代わりに燻炭でも同じ効果がでる。
今になってなぜ焼き土が、燻炭がそんなに効果があるのか説明がつく。
大きくは遠赤外線効果、別の言い方では放出された電子の土壌還元効果……
難しいことは別に炭関連効果、面白い、肩の凝りも取れ、熟睡でさあ、行くぞと元気がでる。

正座

2017-03-16 05:31:05 | 燻炭
ペギー葉山の;
南国土佐を後にして
都へ来てから 幾歳ぞ

想い出す:
このメロディーで、55年前の高知港にスリップした。
私が20代後半、初めて四国に出張した。関西汽船(多分)の
高知港16時発大阪南港行き夜行便に乗る時。
多くの人がデッキから見送り人とテープ交換。隣に多分中卒年次の少女が何本かのテープを握り、涙を流していた。このメロディーが一段と大きく奏で、テープの先は農作業着そのままの両親(多分)に。もう1本のテープは多分中学の恩師と思しき人に。
出発のドラとこのメロディーが混ざり合い、隣の少女、岸壁の母親、人目も憚らず泣いていた。、私の目もかすみ、テープが切れるまで呆然と立ちすくんでいた記憶が蘇った。その少女は、翌朝大阪南港の出迎えの人に抱かれる様に立ち去った光景である。
達者かな?:
高知発の少女、岸壁の3人今も達者で有ることを祈る。あれから55年が過ぎ去った。
田舎を想う:
田舎のじっちゃん、ばーちゃん、共に後期高齢者。毎日の様に体が痛むとか。
ここで1句:
あら不思議
難無く出来る
正座かな 遠赤燻炭マットのおかげかな


空乳母車

2017-03-13 08:52:19 | 燻炭
春の小川はサラサラ流る
……
咲けよ、咲けよと
囁く如く
1912年、文部省唱歌。
もう100年以上歌い継がれた代表的な懐メロである。70過ぎてもこれを耳にすると突然
故郷の山、川、野山の映像が出現、60年前の自分をふりかえる。
小川の流れを堰止めて、水をかいだすと、フナっこ、なまず、泥鰌がのろのろとあつまる。手でバケツに集めていると昼ですよと婆ーやが呼びに来る。折角、水をかい出しフナっこが集まって来たので、ハイ、直ぐ帰ると言って婆ーやを送りかえす。そう言えば跡を継いだ弟の嫁っ子、もう当時の婆ーやを超えたかな、膝、関節が痛いと空乳母車のお世話になっている。