本年の初詣は、府中の大国魂神社でした。1月2日に詣でました。この神社について、以下のように解説されています。
大國魂神社
『大國魂大神[おおくにたまのおおかみ]は、出雲の大国主神と御同神で、大昔、武蔵の国を開かれて、人々に衣食住の道を教えられ、又、医療法やまじないの術も授けられた神様』
ウィキ
『大國魂神社は府中市中心部に鎮座するが、「府中」の市名はかつて武蔵国の国府があったことに由来する。古代、国司は各国内の全ての神社を一宮から順に巡拝していた。これを効率化するため、各国の国府近くに国内の神を合祀した総社を設け、まとめて祭祀を行うようになった。当社はそのうちの武蔵国の総社にあたる。
当社の創建は景行天皇41年と伝えられ、源頼朝が妻の安産祈願をし、また源頼義と義家が奥州戦に向かう際に戦勝祈願をするなどの伝承がある。』
府中駅から参道に向かいます。
参道
2日とはいえ、すごい人出です。隨神門の前ではすでに参拝の行列ができており、時間をかけて、中雀門を経て、拝殿に向かいます。
隨神門 中雀門
拝 殿
どこも、群衆の頭の上からの写真撮影です。
参道の両側は、立派なけやき並木が並んでいます。
参道の途中に、八幡太郎義家の銅像が立っていました。
源義家公の像
説明によると、このけやき並木は、源頼義・義家父子が奥州平定の「前九年の役」の途次、大国魂神社に戦勝を祈願し、同役平定後の1062年、神社にけやきの苗木千本を寄進したことにはじまる、ということです。
大國魂神社
『大國魂大神[おおくにたまのおおかみ]は、出雲の大国主神と御同神で、大昔、武蔵の国を開かれて、人々に衣食住の道を教えられ、又、医療法やまじないの術も授けられた神様』
ウィキ
『大國魂神社は府中市中心部に鎮座するが、「府中」の市名はかつて武蔵国の国府があったことに由来する。古代、国司は各国内の全ての神社を一宮から順に巡拝していた。これを効率化するため、各国の国府近くに国内の神を合祀した総社を設け、まとめて祭祀を行うようになった。当社はそのうちの武蔵国の総社にあたる。
当社の創建は景行天皇41年と伝えられ、源頼朝が妻の安産祈願をし、また源頼義と義家が奥州戦に向かう際に戦勝祈願をするなどの伝承がある。』
府中駅から参道に向かいます。
参道
2日とはいえ、すごい人出です。隨神門の前ではすでに参拝の行列ができており、時間をかけて、中雀門を経て、拝殿に向かいます。
隨神門 中雀門
拝 殿
どこも、群衆の頭の上からの写真撮影です。
参道の両側は、立派なけやき並木が並んでいます。
参道の途中に、八幡太郎義家の銅像が立っていました。
源義家公の像
説明によると、このけやき並木は、源頼義・義家父子が奥州平定の「前九年の役」の途次、大国魂神社に戦勝を祈願し、同役平定後の1062年、神社にけやきの苗木千本を寄進したことにはじまる、ということです。