弁理士の日々

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「田中上奏文」とは何か

2010-07-20 21:06:03 | 歴史・社会
「田中上奏文」というのを聞いたことがあるでしょうか。

田中義一氏が日本の内閣総理大臣だったのは、1927年から1929年までの間です。この間のトピックスといえば、張作霖爆殺事件が1929年にありました。
張作霖爆殺事件については日本の陸軍が関与していたのではとの疑惑が持たれ、田中総理は昭和天皇に対して真相究明を約束していました。ところが田中総理はのらりくらりとしていたので、天皇は業を煮やして田中総理を叱責します。それが原因で田中総理は総理の職を辞し、さらにほどなくして亡くなりました。死因について、天皇から叱責されたことを気に病んだため、とされているようです。
昭和天皇は天皇で田中義一氏の死に責任を感じ、「これからは内閣を叱責することはしない」と決心してしまいます。これがため、以後内閣が戦争への道を転げていく決定をするたびに、天皇は待ったをかけることなく、日本は戦争へと突き進んでいくのでした。

1927年6月、田中義一首相は東京に閣僚・外務省首脳陣、中国公使、軍部首脳陣などを集めて「東方会議」を開催しました。中国は中国国民党と中国共産党が覇権を争って内戦状態であり、軍閥が各地に分散していました。田中義一はこれに対して、日本の権益が侵される恐れが生じたときは、断固たる措置を採る。そして満蒙(満州と内蒙古東部のこと)における権益は中国内地と切り離して、同地域の平和のために日本が責任をもって支配下に置くなどが決定された(対支政策綱領)とのことです(ウィキ)。

この東方会議の後に出現したのが「田中上奏文」です。
1927年7月25日に田中義一首相が昭和天皇に上奏したとされる怪文書であり、東方会議の内容を報告したものとなっています。
この文書は、広く世界に流布し、最近まで「田中上奏文は、日本が行おうとした世界侵略の計画書であり、その後に日本による侵略戦争はすべてこの計画に沿って行われた」と信じられていたようです。
しかし、私はほとんどその存在を知りませんでした。日本人で田中上奏文について詳しく知っている人はおそらく僅かでしょう。

以下の本が出版されていることを知りました。単行本なので、例によって図書館で借りて読んでみました。
日中歴史認識―「田中上奏文」をめぐる相剋 1927‐2010
服部 龍二
東京大学出版会

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「田中上奏文」は、中国語で2万6千字、邦訳で3万4千字の長文です。その中で有名なのは以下のくだりです。

「支那を征服せんと欲せば、先ず満蒙を征せざるべからず。世界を征服せんと欲せば、必ず先ず支那を征服せざるべからず。(中略)之れ乃ち明治大帝の遺策にして、亦(また)我が日本帝国の存立上必要事たるなり。」

田中上奏文が流布されだしたあと、満州事変が起こり、支那事変が起こり、太平洋戦争が起こるわけです。従って、後から「田中上奏文」の上記くだりを読んだ人は、もしこの文章の作者が日本政府以外であると聞かされれば「よくもまあ未来を正確に予測したものだ」と感心するでしょうし、この文章の作者が日本政府当局者であると言われれば「満州事変から太平洋戦争に至る日本の歩みは、田中首相時代に国策として天皇に報告されていたのか」と信じても不思議ではありません。

「田中上奏文」は、東方会議の直後から、中国語で書かれたものが中国において流布され始めます。
日本政府は、その内容に誤りが多いことから「偽書」と断定し、中国の国民政府に対しても「流布を取り締まるよう」申し入れます。当初は国民政府も偽書であることを認め、取り締まりに乗り出したこともありました。
しかし日本が満州事変を起こした後、事態は一変します。何しろ、「田中上奏文」に書いてあるとおりのことが実際に起こったのですから。

満州事変の後、国際連盟において中国は「田中上奏文」を引用して日本を攻めます。これに対して日本の松岡洋右主席代表は「偽書である」として反論するのですが、中国は以下のように再反論します。
「偽書であるかはともかく、『田中上奏文』に記された政策は、満蒙の支配や華北と東アジアにおける覇権の追求を説くものであり、数十年来に日本が進めてきた現実の政策そのものである」
満州事変勃発後ですから、聞いた人はこの中国の再反論に納得してしまうでしょう。

「田中上奏文」は日本を攻撃する材料としてより積極的に使われるようになりました。それは中国国内のみならず、アメリカでも、ソ連でも流布されていきます。
アメリカでは、国務省関係者は、田中上奏文の内容からしてこれが偽書である可能性が強いと認定していました。しかし太平洋戦争が勃発すると、米陸軍は戦争プロパガンダ映画を製作するに際しては、その中にこの田中上奏文を取り入れています。

「田中上奏文」は戦後の東京裁判にも影響を及ぼしました。東京裁判の国際検事局は当初、田中上奏文が本物と認識していたようです。それがために、A級戦犯の容疑として「共同謀議」が前面に押し出されたわけです。
鳩山一郎氏が公職追放になったのも、この「田中上奏文」が原因ではないかといわれています。
しかし、調べるうちに「田中上奏文」が偽書である疑いが濃厚になったせいでしょう、東京裁判では結局田中上奏文の扱いはうやむやのままに終わりました。

もし「田中上奏文」が本物であったのなら、昭和天皇も満州事変-支那事変-太平洋戦争という一連の戦争計画を1927年の段階で少なくとも黙認していたことになりますから、昭和天皇の戦争責任は免れません。
また、東方会議には吉田茂氏も奉天総領事として出席しているので、東方会議の内容が田中上奏文のとおりであるとしたら、吉田茂氏は少なくとも公職追放、下手をすればA級戦犯にもなっていたはずです。

第二次大戦の戦前・戦中から戦後にかけて、「田中上奏文」はヒトラーの「わが闘争」の日本版として喧伝されました。中国はごく最近まで、「田中上奏文は本物である」が通説となっていたほどです。

これほど歴史上重要であった文書について、私もほとんど知りませんでしたか、日本人一般がほとんど知らない状況であろうと思います。
服部龍二氏は、「田中上奏文」についてきちんとした研究書を残しておくべきと考えたのでしょう、上記図書を執筆したのでした。

さらに著書名に「日中歴史認識」とあるのには意味があります。
2006年から2010年にかけて、「日中歴史共同研究」がなされました。その日本側執筆者に服部龍二氏が参画し、報告書の第1部第3章「日本の大陸拡張政策と中国国民革命運動」の日本側執筆者となり、田中上奏文の扱いについて執筆しているのです。
この共同研究において、「田中上奏文」がどのように議論され、現代の中国がどのような見解を有するに至っているか、という点がこの本の中で述べられています。
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1 コメント

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田中上奏文は偽物です (ボンゴレ)
2010-07-29 09:49:26
MixiのBloody Maryさんという方のサイトで、私の上記記事が引用されています。
他の人の「戦前も天皇に政治的決定権はありません。決めたのは軍部と内閣です。」という発言に対して、Bloody Maryさんが
「勉強不足ですね。黙認したのは当時神と崇められてた天皇ですよ。」
とコメントされ、私の上記記事を引用しています。
私の記事から「田中上奏文は本物である」と読み取られたようですが、上記私の記事を読んでいただくと分かりますが、「田中上奏文は偽物である」というのが基本的な前提です。

その点をお間違えのないようにお願いいたします。

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