弁理士の日々

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佐藤栄佐久著「知事抹殺」

2011-08-21 09:16:09 | 歴史・社会
知事抹殺 つくられた福島県汚職事件
クリエーター情報なし
平凡社
福島原発事故がなければ、佐藤栄佐久氏のことに着目することはなかったでしょう。上記の本も、原発事故直後までは新刊では入手できない状況で、私は図書館で借りようとしましたがおびただしい人数の予約待ちでした。その後新刊で手に入るようになり、入手しました。

この本は佐藤氏ご本人の著作ですから、第三者の客観的な目は入っていません。そのような留保は付きますが、この本から見える佐藤氏の政治家としての力量はすばらしいものと感じました。このような人こそ日本国のリーダーとしてふさわしいのではないか、との印象を受けました。
それにもかかわらず、佐藤氏は東京地検特捜部によって政治生命を絶たれたのです。

この本では、以下の内容が語られています。
○ 参議院議員、そして福島県知事に当選するまでの足跡
○ 福島県知事として東電の原発との関わり合い
○ 小泉政権下での「三位一体改革」との関わり合い
○ 東京地検特捜部に逮捕されてから一審有罪判決を受けるまで

一審の判決が2008年8月8日、この本の初版第一刷発行が2009年9月16日、そして控訴審判決が2009年10月14日です。従って、本の内容も一審判決までになるのですが、私が購入した本のあとがきには「追記」として控訴審判決について半ページほどの文章が追加されていました。

《第3章 原発をめぐる戦い》
佐藤栄佐久福島県知事は、当初は原発反対派であったわけではありません。プルサーマルの使用についても一番最初に諒承を与えています。
○ 1987年に参議院議員として中曾根首相のフィンランド訪問に随行したとき、チェルノブイリ原発事故の恐ろしさを実感しました。

○ 福島県知事になった後の1989年、福島第二原発3号機で原子炉内に座金が流入する事故がありました。
『この事故で、強烈な教訓として残ったのは、「国策である原子力発電の第一当事者であるべき国は、安全対策に何の主導権もとらない」という「完全無責任体制」だった。事故が起きても、国にとっては東京電力や関西電力など、個別電力会社の安全管理の問題であり、事故が起きたときだけそれぞれの電力会社の役員を呼びつけ、マスコミの前で陳謝させ、ありがたく指導する。しかし、それだけなのだ。「一つの事故から得た教訓を原発関係者が共有し今後の防止につなげよう」という、航空機事故調査などでは当たり前になっている「水平展開」がまったくない。今から思えば、「同じことで同じような事故が起き続ける仕組み」だったのだ。
私は、「同じ目には二度と遭うまい」と考えた。そこで、原子力発電や原子力行政について、少しずつ勉強を始めることにした。
残念なことに、勉強がムダになることはなかった。』
『原発は巨大技術であり、その細部までわれわれはうかがい知ることはできない。ならば、原発の何を信用すればよいのか。外部から見れば、「原発を動かす人、組織、そして仕組み」が信頼に足ると思われるものであることが必要なのだ。』

○ 中部電力原発トラブルに対応して原子力安全保安院が出した点検の指示について
『これでは、点検が大事なのか運転を続けることが大事なのかわからない。私は呆れた。「これでは保安院ではなく、推進院ではないか」』

○ 2001年
『知事に就任して12年、否応なしに原発とつき合ってきたが、同じ方向しか見ず、身内意識に凝り固まる原子力技術者だけでは安全性は確保できないこともわかってきた。東京電力や経産省をふくめた「原子力ムラの論理」につき合わされて振り回された反省にもたって、「いったん立ち止まり、原点に帰って」原子力政策について考えるべきだと思った。』

○ 2002年 県エネルギー政策検討委員会
『第2回検討会で、国際基督教大学教授の村上陽一郎氏は、原子力を支える科学技術と現代社会の関係について講演され、その中で「安全学」という耳に新しい学問領域の話をされた。
「有り得ないことが次々と起きる」ということは、「起こるべくして起きている」のと同じ意味なのだ。これらはすべて日本社会に内在する問題だ、と村上氏は強調した。』

○ 2002年8月 東電の原発検査データ捏造
内部告発の手紙が、2年も前に原子力安全保安院に届いていたのに、保安院は適切に処置していませんでした。
『やはり「国と電力会社は、同じ穴のムジナだ」
私は副知事に檄を飛ばした。「本丸は国だ。敵を間違えるな」
「原子力行政全体の体質が問題だ。政策そのものを考え直さないといけないのではないか」
「日本は、原発に対し世界の共通の常識を持つべきだ。」』
『「原子力政策の責任者である(原子力委員会)委員長が役所から独立し、しっかりと原子力全体をリードしていかないと、日本の原子力はいずれストップしますよ」』
『「国が原発の安全を確保するのは当然のこと。安全宣言なんてセレモニーである茶番劇だ。」
原子力保安院は、ほとぼりの冷めるのを見計らって安全宣言を出し、電力需要期を図りながら運転再開を進めるような、「スケジュール闘争」ともとられかねない行動をしていた。』

○ 2005年 原子力委員会が「原子力政策大綱」案を発表したのに対応し、福島県はパブリックコメントを原子力委員会に提出しました。
『この中では、ヨーロッパ諸国の原子力政策決定過程について触れ、国民投票や国会の議決など、より開かれた議論の必要性について述べるとともに、これまでも一貫して主張している原子力安全・保安院の経産省からの独立についても述べている。』

『私は、優秀な原子力技術者を課長とする対策部署を新たに作り上げ、県職員の意識を高めてきたこともあって、2002年の福島第一原発データ改ざん発覚時の県としての対応は素早く、一糸乱れずにできたという自負がある。
しかし「東京の論理」はまったく違っていた。
東電サイドから見れば、私のせいで社長経験者が4人、しかも経団連トップを務めた人物まで“吹っ飛ばされた”という恨みがある。
「東電には“佐藤栄佐久憎し”という感情が間違いなく渦巻いていました。」』

こうして、2009年の著書で佐藤氏が記述した内容を列挙してみると、今回の原発事故とその後の対応でわれわれが知ることになった原子力行政の実態と問題点が、ほとんどすべて指摘されていたことに気づきます。
唯一、「津波対策が不十分である」という点を除いて。

続く
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