弁理士の日々

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飯柴智亮「第82空挺師団の日本人少尉」

2008-02-07 21:14:45 | 趣味・読書
飯柴智亮著「第82空挺師団の日本人少尉」(並木書房)
第82空挺師団の日本人少尉
飯柴 智亮
並木書房

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著者の飯柴氏は、1973年生まれ、東京で普通の日本人として育ち、少年時代に映画「ランボー」を観てからアメリカと米軍にあこがれ、その夢をとうとう実現させてしまったという人物です。この本が書かれた2005年現在、米国陸軍の現役少尉に任官しています。

少年時代の夢を追いかけるため、まず高校1年で日本の高校を中退してオーストラリアに渡り、現地の高校を卒業します。米軍に入隊するために必要と思われる英語を習得するためです。
その後、自衛隊の佐官のつてで在日米国大使館の武官である米空軍大佐と面会し、自分の希望を伝えます。そこで、多くの困難はあるが可能であることを聞かされ、いよいよ単身で米国に渡ります。
外国人が米軍に入隊するためには米国の永住権を保持していなければなりません。そして将校になるためには、さらに米国市民権が必要です。
飯柴氏は相談した米軍大佐の紹介で、ミシガン大学に進学した上で、在学しながら予備仕官訓練部隊(ROTC)で教育を受けることにします。米国市民権さえあれば、大学卒業と同時に少尉に任官できます。

飯柴氏は、4年間で大学を卒業するとともにROTC課程を修了しました。同期の人たちはみな少尉に任官していきましたが、飯柴氏は肝心の永住権も市民権も取れていませんでした。永住権は程なくして取得し、米軍入隊は可能となりました。そこで飯柴氏は、将校ではなく一兵卒として米軍に入隊することに決めるのです。
飯柴氏は所属部隊として、ノースカロライナ州フォート・ブラッグを基地とする第82空挺師団を選びました。米軍でも最精鋭部隊です。難関である空挺学校も卒業し、そこで飯柴氏は、空挺隊員としての訓練に明け暮れます。

2002年、飯柴氏の部隊はアフガニスタンでの「不屈の自由作戦」に参加することとなります。アフガニスタンに出発する直前、飯柴氏は米国市民権を取得しましたが、アフガニスタンには将校でなく兵士として出征です。

アフガニスタンでは、山岳地帯の最前線基地で警備に当たります。通常だと6週間おきに他の部隊と交替するのですが、すでにイラク戦争が始まっていたせいでしょうか、飯柴氏の小隊は結局5ヶ月間も最前線に留まることになります。最前線基地では、敵襲に対応して戦う毎日でした。

2003年6月、飯柴氏に帰国命令が出ます。米国市民権を得ていた飯柴氏は、将校養成訓練への転属願書を提出していたのですが、イラク戦争が始まって人事異動にストップがかかっていたのです。そのストップが解け、米国に帰りました。
そして2004年8月、少尉に任官します。
2005年6月現在、彼は米陸軍少尉として多忙の日々を送っています。

飯柴氏は、私と同じ日本人だからでしょうか、米軍兵士としての体験を語っているのですが、私自身が追体験しているような感覚を得ることができます。
アフガニスタン山岳地帯の最前線で、米軍が日々どのように戦っているのか、その点を理解できたことが収穫でした。
飛び抜けて変わった日本人をまた一人知ったことも収穫でした。
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