ぼくちゃんの旅行記

マレーシアに行ってきた
  

マレーシア旅日記

2015年08月11日 | 旅行

はじめに
 私が初めに行った外国はスキーをするために冬のカナダであった。40年前の話であるが当時は1ドル240円程度のレートだったと思うが、1米ドルに対して1.1カナダドルのレートである。旅行費用は10日間で36万円と記憶している。
 バンクーバーからカナダ国鉄のトイレ付き個室寝台車に乗って朝日に輝くカナディアンロッキーを左手に見ながらの旅は今でも鮮明に覚えている。
 当時のバンクーバーはアジア系の人間が多く、特に中華系というと中国人と思いきや聞いてみると香港人だと言っていた。
 英国から中国への返還前ということで「香港人」は中国人とは違うという意思を強く感じたものだ。しかしながらアジア人は白人に比べて下層の人種と見られていることは旅行中の後日の体験で知ることになる。その話は別の機会に譲るとして、今から10年前に行った香港では金持ち日本人は大いにモテたものである。
 海外旅行の楽しみは何と言ってもその国の文化、伝統、歴史、食生活を含んだ暮らしぶりなどを知ることにある。
 海外旅行帰りでよく食事が合わなかったとかまずかったという人の話を聞くことがあるが、私などはその国の食べ物を食すことが楽しみで仕方がないたちなので信じられない思いだ。せっかく何時間もかけて行った先の料理に拒否反応とは実にもったいない気がしてしまうのだ。
 私はおおむね旅行好きの部類とは思うが定年退職を機に数年で妻と連れ合い十数カ国を訪れた。島国日本から離れて海外から日本を見てみると、日本はなんて良い国だろうとつくづく思うのは多くの旅行体験者が思うことだろう。
 今年の6月にマレーシアに出かけたがとにかく暑かった。常夏の国でありスイカは年中採れるので毎回の食事の時には果物として供されるくらいである。他の果物や味覚のほうは本文で紹介することとして、この度のマレーシア旅行は旅行会社の人気ツアー企画を利用したものである。
 旅行団体ツアーの欠点といえばお付き合いのない他人と同行するわけだが参加者については選ぶことが出来ない。どんな人が参加するのか運次第である。
 私が一番困るのは何のために参加したのか理解できないような人だ。例えば高齢者の女性のグループに良く見かけるのがバスの中で、ご主人のこと、孫のこと、近所のこと、プライベートなことなど、旅行とは全く関係がないことを止まるところを知らない風に声高に話し続けてとても耳障りになるようなケース。あるいは海外旅行に何度も行ったという自慢話を延々としているケース。いずれも大いに嫌なことである。
 反対に長所として旅先で知り合った参加者の中に海外の事情に精通している人などとお会いしてとてもためになる場合もある。こうした人は経験的に高齢者のご夫婦に多い。
 一例を言うとヨーロッパ旅行でお会いした70台後半のご夫妻には、世界有数の滝の話をうかがうことが出来た。
 知名度が高いのは第一にナイアガラの滝だ。あこがれて見に行ったところ、なるほど日本にはないスケールだと思ったという。その次にビクトリアの滝に行ったところ、スケールが大きくナイアガラは小川の滝くらいに思われたとのこと。ところがさらにイグアスの滝を見に行ったところ、とてつもないスケールに圧倒されて今までの滝はかすんでしまったという感想を述べられた。このご夫妻は比較的若いころに遠くに行って年とともにだんだん近間の外国にいくのだと目標を語っていたことをとても印象深く記憶している。もちろんアジアを除く全ての大陸まで足を延ばしている海外旅行の達人なのである。
 ともかく海外旅行を考えた場合、ツアー旅行は多くの日本人が活用する形式だと思うので初心者の人にも参考になればと願うところである。
 ただし、ここで触れる記事は単に旅行記としてのものではなく日本人としての自分の目に異国がどのように見えるのか、また逆に日本に対する様々な思いなどを脱線気味になるが述べてみたいと思うので予めご容赦願っておく。また、話が前後したりいきなり他国の話題に飛んだりするのをご了解願いたい。

海外旅行をするにあたって
 海外旅行を計画するに当たってはまず旅行会社選びから始まると思う。主な旅行の企画会社としては、JTB(旅物語)、H.I.S、阪急交通社(トラピクス)、クラブツーリズム、JALパックなどの大手のほかに多数があり、それら傘下にさらに多くの旅行企画会社がある。
 似たような企画が各旅行会社にあり、よく見てみないと違いが解らないものもある。費用が高いか安いか、どの都市を巡るか、移動は航空機か陸路か、オプションの有無(有る場合にはその費用はどうか)、添乗員は日本から同行するのか否か、現地のガイド(現地人で日本語がある程度話せる)が案内するのかなどなどである。
 なおパスポートは旅行日から3ヶ月以上の有効期間がないと旅行会社は受け付けてくれないので期限が迫ったパスポートは早めに更新しておいたほうが良い。
また、携行品については別表を参照してもらいたいが、特に個人的にこだわっているものを取り上げておきたい。

1.使い捨てスリッパ
 飛行機内や長時間のバス移動時に便利である。日本のビジネスホテルなどでも手に入るので持ち帰って備品にしておくと良い。飛行機内でトイレの利用もあるだろうから空港に到着した時点で廃棄すればよい。その他海外のホテルではスリッパがないところもあるので活用したい。

2.電圧変換器
 海外の電圧は殆どが220~240ボルトなので日本電機製品に充電する場合には必須アイテムである。当然コンセントの変換プラグも忘れないように。

3.トイレットペーパー(出来れば2枚重ねの水に溶けるロール)
 海外でのトイレはホテルなどは別にして、特に東南アジアでは紙が設置されていないことが多い。あっても紙質が悪くウオシュレットに慣れた現代日本人にはどんなものか。なお、テーブルなどの汚れの拭き取りなど何かにつけて役に立つ。

4.携帯用ウオシュレット
 私はウオシュレットがないとダメなので常に携行している。今では六千円程度で購入できるので高いものではないと思う。単三電池一本で動くが旅先での電池切れに備えて充電式の電池を使っている。充電器の持参も忘れずに。

5.割り箸
 どこの国に行っても使い勝手が良いし、使い捨てなのが良い。以前はマイ箸を持参していたが、その都度拭いたり洗う必要があるので何かと不便を感じていた。また、食事の後にそのまま忘れてきたこともあった。特に中華系の料理にはプラスチックの長い箸がついてくるが滑って使いにくく木の割り箸が一番である。少し高いが袋入りの国産割り箸を使っている。

6.ポン酢
 海外では魚料理なども出されることがあり、特にから揚げ的なものには効果を発揮する。ツアー客でたまたま一緒の人におすそ分けするととても喜ばれる。必ずガラス瓶で新品のものを持っていくこと。センを空けると漏れてしまうので買い物袋の一部などをちぎってふたの間にかませておくと漏れにくい。その他お好みによってマヨネーズやケチャップ、塩、醤油、お好みのサラダ油なども検討の余地があると思う。特にケチャップはピリ辛なものやスパイシー的なものがあったりして普段口にしている味覚と違うと思ってよい。私は小さな手提げバックの中に入れて食事のときは割り箸と一緒に持ち歩いている。

7.緊急用携帯用トイレ(小便用)
 海外では道路事情が悪くバスなどでの交通渋滞や何かの都合でトイレが間に合わなさそうなときに役に立つ。上着などをかけて用を足せば人知れず済ませることが出来る。

8.ナイロンタオル
 風呂に入るときに使う。海外のホテルには通常のタオルやバスタオル、フェイスタオルなどがあるが大概は立派過ぎて日本人の入浴向けではない。ナイロンタオルであればバスタブの中で体を簡単に洗えるし、乾きも早い。100円ショップでも買えるので是非用意しておきたいグッズの一つである。

9.ミニはさみ
 爪切りは誰でも持っていくが小さめの鋏は意外と持っていない。便利なグッズなので持参している(私の場合はスイス製のミニナイフと鋏がセットになったもの)。なお、果物ナイフを持参している人もいるがホテルの朝食時にナイフを拝借すればたいがい用は足りる。

10.爪楊枝
 海外では爪楊枝がないところが多いので小さなケースに入れて持参しておくと便利である。人によっては歯間ブラシもあったほうが良いかもしれない。

11.扇子
 室外だけではなく車内や室内で意外と使用することが多いので、あると便利だ。

12.ファスナー付き手提げ袋
 パスポートや現金など貴重品や小物は肩掛けバックなどに収納すると思うが、タオル、トイレットペーパー、上着、スリッパ、カメラ、ビデオ、雨具、帽子、ペットボトルなどを入れておくのに何かと便利である。ファスナー付きという意味は倒したときに中身が散乱するのを防止するためだ。千円程度の安物で良いので是非とも所持したいものである。街中での買い物を収納する場合にも重宝である(私の場合は缶ビールなど)。スーパーの買い物袋を提げてホテルのフロント前を通っていくのはスマートとは言えない。高価なものは肩掛けバックに、実用品は手提げ袋といったところか。

 服装であるが季節や訪れる国によっても考えがあると思うが全体的なこととしては高価な時計やアクセサリーなどは必要がない。服装も標準的なもので豪奢なものは避けたい。下着は綿製品で良いが高温多湿の国では汗が下着を濡らしてしまい冷房の下でうっかりすると風邪をひく場合もある。人によっては絹製品の下着を重宝している場合があるが価格が高いのが難である。今では化繊類でも良く出来ているものがあり洗濯に耐えるもので乾きが早いものが良い。3枚もあれば使い回していける。

事前調査
 行き先が決まったら事前調査をお勧めしたい。最近はネットで探せばほとんどの事が知ることが出来るのでとても便利だ。
 最初に旅行先の国の貨幣と日本円の関係(為替)は必要である。ただし、ネットで調べた日本円の価値は現地価格に対して総じて安く交換される。例えばこの度のマレーシア貨幣は直近で、1RM(リンギット)33.8円であったが現地では40円弱の交換となった。これは両替の手数料が入っているためどこの国に行っても同じ傾向である。手数料についてはホテル、銀行、市中の両替屋などがあるがそれぞれ違いがあるので現地ガイドがいる場合にはよく聞いたほうが良いと思う。ただ現地のガイドは現地通貨と円の両替を用意していることが多いので利用したほうが良いと思う。たいがいは1万円単位で現地通貨を用意していることが多い。両替率も比較的有利な場合が多いと思う。ちなみにクアラルンプール国際空港内の両替商では2万円以上でなければ両替できないと言われた。
 いくら両替すればよいかというのは悩むところであるが、その国の物価水準によって決まると思う。ただし地元の価格というものもあったり、スーパーでの価格などもあり、一概に何かを基準にするわけにもいかない。例えばビールの値段は同じ銘柄(タイガー)で同じ容量(330ml)でも大衆食堂に近いレストランでは16RM、ハイランドのある商店では5RM、ホテルでは20RMを超える。ホテルのベッドメイキングの枕銭は宿泊者1名につき1RMである(夫婦だと2名で2RM)。日本円で40円弱であるのでかなり安いと思う。

いよいよ入国
 この度のマレーシア旅行は、成田空港-クアラルンプール国際空港-国内線に乗り継ぎ-ペナン島-ハイランド-クアラルンプール-マラッカ-クアラルンプール-クアラルンプール国際空港-成田空港という人気のコースということで参加したものである。
 丁度旅行期間がラマダン(断食)の期間だったせいか日中は比較的どこも空いていて移動は予定通り進むことが出来た。
 現地ガイド(中国系マレー人…華僑の五代目で海上生活者という自己紹介)のみで、日本からの添乗員はいない。つまり成田空港からクアラルンプールの空港まで自分たちだけというものである。初心者にとってはとても心細いものであるが最近はこうしたケースが多い。出発の空港の受付カウンターで到着空港などの概略は説明してくれる。しかし、漠然と不安はあるのでよく確認をしておくと良い。究極的には同じツアー客がいるので旅慣れた様子の人などについていくなどすれば良い。また、今はインターネットが発達しているので、入国カードの記入方法から空港見取り図、おみやげやその価格までパソコンがあれば全ての不安に答えてくれると思う(マレーシアの入国は入国カードが廃止になったのでパスポートだけでOKである)。特に知りたいことはプリントアウトして持参しておいたほうが安心である。この度のマレーシア旅行では成田からクアラルンプール空港に行き空港内で国内線に乗り換えるという日程で現地ガイドが国内線出口で待っているというものであった。したがって国際線から国内線に乗り替える手続きも必要なわけで内心不安もあったが、何と空港の案内表示に日本語も表記されていたので迷わず国内線に移動することが出来た。それだけ日本からの旅行者が多いという証なのであろう。
 さて入国手続きでは一人一人パスポートを提示して本人確認をすることになる。問題なければスタンプを押して通過ということになる。海外旅行初心の頃は「サンキュー」と言っていたものだが、いつの頃か笑顔で「ありがとう」と言うようになった。
 「ありがとう」という言葉は特に東南アジアではよく理解されているようで、審査官がにっこり笑ってくれることも多い。審査官によっては「どうぞ」などと日本語で返してくれる人もいて実に気持ちが良い。
 ところで皆さんは日本のパスポートの表紙に刻印されている模様をご存知だろうか。菊の花びらというところまでは認められると思うが花びらの数は16枚である。つまり天皇家のご家紋なのである。各国のパスポートの表紙はネットで調べるこることが出来るがどのデザインもこれといった特徴がない。国旗でもなくその国のシンボリックな図案というところだろうが、公平に見て日本のシンプルな菊のご紋が一番良いように感じる。2000年以上今も継続しているエンペラーの国は世界中で日本だけなのである。
 数年前エリザベス女王の戴冠60周年の祝賀があったときに各国の代表が一同に会して集合写真を撮られた。その写真の説明にエンペラーと紹介されているのは日本の天皇陛下ただ一人である。国王は「キング」、女王は「クイーン」、大統領や元首は「プレジデント」、この順列は国際的には国家の品格の順序であると言われる。
 因みにエンペラーを戴く国は帝国といわれる。先の戦争では負けたが日本は未だに帝国なのである。インペリアルホテルとは、そう帝国ホテルのことです。
米国が一番欲しいのが皇室だそうです。しかしかつて英国の犯罪者流刑地の米国が独立したからといっていきなり品格を求めても歴史的行状を見ればとても品格を口に出せるはずもないと思うのですがね。
 なお、下の記事に関して国内の朝日新聞をはじめNHKを筆頭に各民法放送局は国民に報道をしませんでした。
参考:https://www.youtube.com/watch?v=GJGHr0Q9sQk
 ついでに言うと日本人でありながら日本が嫌いとか天皇制反対など反日思想をお持ちの方はパスポートを返上すべきと思う。パスポートは諸外国に対して日本国の象徴と日本人の威信と信頼をあらわしているものなのだから。
 余談だがパスポートを和訳して旅券と言っているが自分としてはしっくりこない。パスポートは本人の出所(国籍、生年月日)を証明するものだが旅券というよりは表現は古いが通行手形と言ったほうが釈然とするように思う。もちろん海外では身分証明証として扱われることも当然である。

 さて、国内線の出口で待っていた先の現地ガイドの案内で集合し、バスに乗ってからペナン島のホテルへ直行である。成田から7時間半、国内線で1時間、バスで1時間半ということで到着は現地時間で午後11時前という有様(日本との時差はマイナス1時間なので日本時間は12時ということになる)。ホテルは海辺にあってプール付きのまずまずのものである。疲れもあったので就寝することにし、明朝風呂に入ることにした。
 常夏の国ということでとにかく暑く、蒸している。20階に泊っていたので窓を開けて寝ていたが流石に海に面していることから朝方は少し寒くなるほどだった。
 翌日からいよいよ観光である。

 翌朝目が覚めてベランダからペナン島の景色を眺めると、マラッカ海峡の海岸線にプール付きの高層ホテルやコンドミニアム(日本でいうマンション)が建ち並び市街地は丘陵地の斜面に住宅が張り付いているといった状態で、人口の密集を感じさせる。
 丁度朝日が昇る時で気温が高いせいか朝もやの中に太陽が昇ってくるというシーンはさすが南国という風情である 朝食はバイキングであるが野菜類が比較的少ない。ご飯はタイ米でお世辞にも美味しいとは言えない。カレーや肉類の味付けた汁などをからませると食べやすい。パン類は比較的豊富なのでパン食中心の人は良いと思う。
 客はやはりというべきか中華系の客が多い。ただし、日本人から見ると全てが中国人として見えてしまうところだが、マレーシアの隣にはシンガポールがあり、中国本土からの人以外にも華僑や台湾人など様々な中華系の人々がいる。
 マレーは過去にポルトガル、オランダ、イギリスの長期にわたる植民地としての歴史があるが1957年8月31日に独立したと現地ガイドが説明していた。その間大東亜戦争により日本による5年間の統治も含まれる。
 余談で孫引きで恐縮だが井上和彦氏著書の「撃墜王は生きている」(小学館)で紹介されている中に、マレー人の間では、古くから伝わる「ジョヨボヨの予言」なる神話があった。〈北方の黄色の人たちが、いつかこの地に必ず来て、悪魔にも等しい白い支配者を追い払い、ジャゴン(とうもろこし)の花が散って実が育つ短い期間、この地を白い悪魔にかわって支配する。だが、やがて黄色い人たちは北へ帰り、とうもろこしの枯れるころ、正義の女神に祝福される平和な繁栄の世の中が完成する…〉(土生良樹著『神本利男とマレーのハリマオ』展転社)と言われており、長い間植民地として白人国家に搾取されていた苦痛の裏返しというものであろう。したがって、大東亜戦争初期にマレー半島に上陸した日本軍はマレー人からしてみれば伝説の救世主と思えたことだろうし、大歓迎を受けたばかりではなく日本軍に対する協力は並大抵のことではなかったと井上氏は記述している。マレーシアとはマラヤ連邦(日本ではマレーの呼称として知られている)とアジアの合成語として誕生した国名だとガイドは説明していた。

ブキットメラへ
 ペナンで午前中セントジョージ教会などの世界遺産を見学してマレー料理の昼食後、ブキットメラに移動する。
 ここでのメインはオランウータン保護島観光である。100人規模の船で15分程度で島に到着だ。密林で生活している野生のオランウータンの観光といっても主役は彼らなので観光客は金網で作られた奥行き100メートルも無いような通路を行って帰ってくるだけなのである。その島には20数頭がいるのだが見ることが出来たのは5~6頭ほどであった。帰り口にはオランウータンの生態などを紹介した映写室で動画を見てのどが渇いたので隣接する売店で飲み物を買った。3リンゲットだったと思う。えさ代になるということなので船上で撮られた記念写真も購入した。
 オランウータンは絶滅種ではないにしても極めて数が少なくなっているそうだが人間の勝手で絶滅しないよう願うばかりである。

キャメロンハイランドへ
 ブキットメラからバスで約150キロメートル、3時間半の行程である。道は舗装はしてあるものの細い山道と急カーブ急勾配の連続で標高1400メートルのホテルまで登る。日本の観光バスとは違い馬力が無く、登りの坂ではかなりきびしい。
 夕食はスチームボート(漢字で書くと「火鍋」)。日本でいう鍋料理である。野菜中心で味はマアマア。ポン酢の活躍である。1テーブル10人で卓上ガスコンロの鍋を囲む。日本では中居さんというところだろうが中華系の体格の良い男性が料理から盛り付けまで面倒を見てくれる。ビールを飲みながらの鍋料理となりました。
 夕食後ホテル(ヘリテージ ホテルキャメロンハイランド)へ。
 大方のホテルが風呂とトイレが一体化しているがこのホテルも同様である。だが、トイレの脇に1メートル程度のミニシャワーのような黒いゴムホースがついている。つまり手動のウオシュレットであるが使い勝手が不安なので持参した携帯ウオシュレットを使用することにする。
 余談だが、トイレは今まで食事したところでも使用したが、一般的には形は和式みたいでひょうたん型をしている。入口から見て奥の穴に水がたまっていてそこに用便をする。水洗ではあるが便器の脇においてあるバケツの水をすくって、日本で見かける取っ手がついている風呂桶みたいなもので自分で流すやり方である。手動のウオシュレットは付いている。したがってどこのトイレも周辺が水で濡れていることが多い。

キャメロンハイランドの朝は寒いくらいである。ホテルの標高1400メートルで日本で言えば軽井沢といったところか。朝食はバイキング方式で食事する場所からテラスに出ることが出来、高原が一望できる。さすが空気がさわやかである。ホテルのバイキング会場のように込み入った感じではなく、泊り客もそれほど多くはないのかなという印象を受けた。熱帯の国というのを忘れさせてくれる気候である。ここのヘリテイジホテルは長期にわたる宿泊客も多いということである。何棟かの建物があってその一つに小さな鯉のぼりが飾られていた。日本人の長期宿泊客なのだろうか。最近は日本人は少なくなったと言っていたが日本人ツアー客自体は毎日のように入れ替わり立ち代り来ているのだと思う。
 さて、キャメロンハイランドの観光である。
 キャメロンハイランドは標高約1600メートルの山間部に1885年英国人のウイリアムキャメロンが開発した英国風高原リゾートでマレーシア屈指の山間に広がる紅茶園などはスケールが大きく迫力がある。
 地元住民の出店や多くの店舗が建ち並び普段生活する分には全く不足はない。むしろ高原野菜が売っていたり、豊富な果物、ピュアな蜂蜜があったりと下界に比べて生活の質が高いかもしれない。商店では中国系(多分華僑系)が多い中にインド系が混在している。
 英国が統治した時期には中国人やインド人を連れてきて彼らにマレー人の統治をさせ、自らは上がりの一部を徴収し、悠々の暮らしをしていたのだろうか。英国の間接統治という得意の植民地政策の典型だったのだろう。
 開発は今も拡張されていて椰子の木の樹林地にはあちらこちらに重機による土地開発が見て取れる。ただし、雨水等の流露の確保や排水に気を使っている様には見えない。突然のスコールなどがあれば流れに任せるといったところだろうか。
 都会が好きな人は別として余生をのんびり暮らしたいという人や高齢者には良いところだと思う。ガイドの話だと1ヶ月光熱費等込で5万円程度だという。事実日本人の長期滞在者などはリタイア組が多いと言う。ネットにはキャメロンハイランドと宿泊ホテルの詳細が載っているので参考に出来ると思う。
 さて、ショッピングであるが、華僑末裔のガイドは若いころ日本の渋谷で3年ほど調理修行したとのことで日本語は流暢である。彼は是非購入して欲しいという商品は事前に丁寧に説明してくれる。ここでは前出の純蜂蜜の購入についてであったが、偽物や混ぜ物の物があるので蜂蜜を販売している多くの店舗がある中でこれを買いなさいとは言いにくいということで、彼が手に取ったビン入りのものが間違いないので良く見ていて欲しいという。確かに複数の店舗があり、観光客も多く思い思いのものを購入している。そんな中で地元の山岳民族が販売している蜂蜜屋に立ち寄るとガイドはそれらしく手にとったビンがある。まさしくそれが目当ての本物の蜂蜜ということなのだろう。同行のツアー客は我もとばかりに殺到し、買っていたものである。もちろん私も500mlを2本購入した。日本円で1本千円程度(帰ってきて味わってみるととても美味しい)。しかし、この蜂蜜屋とガイドは繋がっていることは手馴れた販売を見ればバレバレなのである。たぶん周りの店舗も知っていることだろう。その証拠に周りの店舗から他の観光客には声を掛けるが我々には声が掛かってこないのだ。
 フリーで来た中国系の観光客は砂糖などの混ぜ物が入った比較的安い蜂蜜に手を出していたのでガイドの話は信用できるものだとその時感じたものだ。
 少しこの華僑の末裔ガイドに触れるが、商売に関しては実にはっきりしている。全てがギブアンドテイクに徹しているようだ。まず第1に土産の商品に関しては嘘は言わない。第2に販売金額に対して3パーセントのバックマージン(収入)がもらえると正直に言うところが逆に信頼を高める。日本人は潔くかつ正直者が好きなのだ。なお、マージンがないものに対しては否定はしないが購入を奨めないところもいかにも華僑らしい。お金にならないことに無駄なエネルギーを使わないのだ。お金に関して日本人は潔癖でありたいという習慣があるが彼の説明は嫌味になるような話にはならない。言ってみれば彼とツアー客の商談のような雰囲気さえあるのである。先天的な華僑のDNAの影響なのか、かえって清々するくらいはっきりしたお金に対する態度が感じられたものである。中華系といっても大陸の爆買いするような連中とは出来が違うようである。
 「ジョークでわかる中国の笑えない現実」黄文雄(コウブンユウ)著(徳間書店)によると現代の大陸の中国人についての記述があるのでいくつか抜粋披瀝したい。 

 ○ある老農民の自殺
ある老農夫が種を買って畑にまいた。だが芽が出てくるのは雑草ばかり。なぜなら
 それはニセのタネだったから。
老農夫は傷心のあまり、農薬を買って服毒自殺した。だが死ぬことは出来なかった。
 なぜならそれはニセモノの農薬だったから。
老農夫が一命をとりとめたのを喜んだ家族は酒を買ってきて祝杯を挙げた。すると
 一家全員死んでしまった。なぜならそれはニセモノの酒だったから。~以下略~

 つい最近(2007年)、中国滞在中に盲腸手術を受けた台湾旅行者が、台湾に帰ってきて検査したところ、入院中に腎臓をひとつ盗み取られていたことが判明したという事件があり、大騒ぎとなったことがあった。~以下略~

○中国には一人も嘘つきはいない
 アメリカ人「アメリカでは、嘘つきは弁護士になる」
 日本人「日本では、嘘つきはマスコミ関係者になる」
 中国人「中国では、いまだ一人も嘘をついたものはいない」~以下略~

○金星探査
 アメリカのNASA(航空宇宙局)は金星探査の宇宙飛行士の募集をした。しかし、その条件は、「行くのはただ1人、地球に帰ることは出来ないワンウェイ」というものだった。この募集にドイツ人、フランス人、中国人三人が応募した。面接に際して以下の対話があった。
ドイツ人「百万ドルで行こう。金は母にやってくれ」
フランス人「二百万ドルなら行く。百万ドルは自分の家族で、残りの百万ドルは慈善団体に寄付したい」
中国人「三百万ドルがぜひ欲しい」
面接官「あなたは、どうしてそんな破格の大金が必要なんですか」
すると、その中国人は面接官の耳に近づいてこうささやいた。
中国人「もし私に三百万ドル出してくれたら、そのうち百万ドルを、あなたの報酬として差し上げます。残りの百万ドルであのドイツ人を宇宙に行かせます。最後の百万ドルは私がいただきます」
こうした計算高さは、ごく一般的な中国人のやり方である。~以下略~
 少しは中国人の本質に触れることが出来たでしょうか。
 さて、昼食後クアラセランゴールへ移動である。夕食後のホタル鑑賞が待っている
。250キロ4時間の行程だがとにかく道路が悪い。舗装してあるのだが波打っていて左右前後に激しく揺れる。椰子の実を満載したトラックが舗装を傷めるのだそうだ。
 夕食は海鮮中華料理である。扇風機が回っている大きな食堂での食事である。陽が沈んでいないので相変わらず暑い。
 ホタルの鑑賞は30人乗り程度のバッテリー駆動のボートで川岸の木々の間を飛び交うホタルを見るのであるが日本のホタルに比べてかなり小さいので光もそれなりである。それでもジャングルクルーズみたいな雰囲気はあってホタルの数も多い。写真は禁止である。
 ホタル鑑賞が終わった後でクアラルンプールに向かう。90km2時間の行程だ。
クアラルンプール近代化の象徴の一つ、高層階のペトロナスツインタワーライトアップの鑑賞だ。銀行を初め商業ビルが建ち並び、日本では丸の内界隈といった風情か。
 ツインタワーの左側が日本のハザマが手がけ右側が韓国のサムスンの建築だとのこと。両タワー間に連絡通路が認められる。ペトロナスとは国営の意味である。夜になっても交通量は多く日本のように信号による交通管制はあまりなく、大きな道路の交差点でも暗黙の了解で相互に通行しているので無駄な混雑があるように思える。
 ホテル(ラマダプラザ・ドゥア・セントラル)到着は午後10時過ぎであった。
このホテルは上意にランクされる設備が整ったホテルである。居間と寝室がありそれぞれTVとエアコンが付いていて居間には真ん中に大きなテーブルがありホームバーが可能なカウンターが設置されている。また、シャワールームとは別にバスタブが付いていて日本人にはうれしい限りだ。ただし、ガイドの説明では多くの部屋はバスタブはなくシャワーのみということであり、ホテルの部屋としては高級な部類ということであった。ツアー客であっても日本人が比較的優遇されている印象を持った。部屋はクアラルンプール中央駅を望む16階からの景色はまあまあというところあった。例によってホテル到着が遅かったので風呂は翌朝にし就寝である。明日はマラッカまでのツアーだが比較的出発まで余裕があるのでゆっくり出来たのがうれしい。


 例によって朝食はバイキングである。相変わらず中華系が多い。ただし大きな声が聞こえることもなかったので大陸の中国人が少なかったのかもしれない。それでも案内係りのウエイトレスが席に案内しても案内に従う中国人は誰もいなくウエイトレスのひんしゅくを買っていたのが印象に残った。グループによっては持参のポットにコーヒーを入れろと注文していたり、使用済みのテーブルを片付けさせて座席を占領してしまう光景など、マナーに問題がある中国人はどこにもいるものだと思わず納得した次第である。
 ホテルの構えからしてバイキングは種類も豊富であり、味も満足できるものである。目玉焼き(サニーサイドエッグ)を妻の分もと思い2皿注文したつもりだったが、「2つ」というのを玉子2個と思ったらしくもう1皿追加注文した。また、半熟玉子があることを他の客が持っていったのでそれを頼んでみたがこちらの英語が通じなかったのか「解らない」という素振りをしたので奥の棚にある入れ物を指さしてやっともらうことが出来た(通常はソフトエッグと言うようだが通じるかどうか怪しい)。奥の棚にあることは他の客が注文したときにたまたま目撃していたものである。食堂に入るときには「おはようございます」と声を掛け出るときには「ありがとう」と言うことにしているのだが、大概は笑顔で片言の日本語で何がしかの返答が帰ってくる。こちらも嬉しい気持ちになるものだ。ただし、最初のころは「グッモーニン」であり、台湾などでは「ザオワン」などと現地の言葉に合わせていたものだが今では日本語に統一している。


 さて本日の午前中はピンク色のプトラモスクや首相官邸を観光した後マラッカに移動である。バスで約150キロメートル、1時間半の行程である。
マラッカは1795年に英国に支配されるところとなり、それが元で繁栄した土地柄である。したがって中国系(華僑)やインド系の住民が多いが商業店舗など小さな店などもほとんどが華僑系列と見受けられ、非常に繁華している地方都市である。また、マラッカと日本の繋がりは1511年ににポルトガルが占領し、そこからフランシスコザビエルが1549年にキリスト教布教のために訪日した歴史も伝えるところである。

 昼食は、ニョニャ料理ということであるが、ニョニャとはお嫁さんが中国人の場合の現地言葉であるらしいが、その嫁さんが作った家庭料理がニョニャ料理と一般的に呼ばれるようになったということである。
 さて、昼食後オランダ広場、セントポール教会、サンチャゴ砦、チャイナタウンなどを観光したあと雑貨店にて買い物である。華僑末裔ガイドによるお勧めは、手作りなまこ石鹸、なまこクリーム、100パーセントのトンカットアリである。それぞれの効能はネットなどを参照願いたいがトンカットアリについて誤解があるかもしれないので簡単に説明するが、一般的には精力剤的な説明が多いと思うが人の体を活性化することにより、強精効果があるとか、高血圧、糖尿病などの効果が認められるというもので地元原住民は天然の漢方薬として長期にわたる使用実績があるようである。その効果は朝鮮人参の数倍あるといわれ、最近では飲用に使用する根の部分はそのままでは輸出できないことになっているというものである。
 ということで糖尿病の予備軍である私も購入したいと思い華僑末裔ガイドの話を熱心に聴くことにした。普通に購入すると1個60カプセル、4個で1万円(日本円が使える)という説明。つまり1個2,500円ということになるが4個買うと1個おまけしてくれるとのことで1個当たり2,000円になるわけだ(ガイドと店主は事前に打合せが出来ていると思う)。そこで私は店主(日本に9ヶ月住んでいたということ日本語がある程度出来る)をつかまえて1万円を渡すと5個持ってきたので千円プラスして6個にして欲しいと交渉したところOKとなった。つまり1個当たり1,833円まで値切ることに成功したのである。やり方によってはもっと可能だったかもしれないがお互いに儲かったと思えばこれに越したことはない。妻は手作りなまこ石鹸、なまこクリームをガイドの話のとおりゲットしたという。帰国してから使用した感じはなかなか良いものである。マレーシアに再度行くとすれば、手作りなまこ石鹸、100パーセントのトンカットアリは必ず買ってきたいと思わせる商品である。
 観光後はクアラルンプールに戻る。90キロメートル、2時間の行程である。

 夕食はクアラルンプールで鯖の焼き魚料理ということでポン酢の出番である。おかげで美味しくいただくことが出来た。
 この日本料理屋はカウンターがあってその中が厨房になっており、カウンター席の周りにテーブルとイスが配置されている。100名程度の客席数である。カウンターの中には板前が4名配置されているが日本人は1名で残りは中華系のように見受けられた。日本人とは所作に違和感があり日本人板前の清楚感に欠ける印象である。

 疲れてはいたがクアラルンプールの夜景鑑賞ということでKLタワーのオプションツアーに参加した。KLとはクアラルンプールの略である。夜景はさすがに素晴らしいが展望台は狭い感じがする。一周するのも数分で終ってしまうし、展望窓も上部が外側に傾いているため内側の照明が窓に反射してしまう。昼間だと問題はないが夜景鑑賞となると反射光が邪魔になる。また、タワーの鉄骨が景色を邪魔してしまいせっかくの夜景は割引いて評価したい。ただし、40倍のニコン製の双眼鏡が無料で見ることが出来る。さすがにニコンといったところか少しのゆがみも感じさせない。ともあれクアラルンプールの都市化の自慢はKLタワーとツインタワーが目玉なので多くの観光客は立ち寄っているようだ。
 市内のチャイナタウンなど散策した後にホテルへ戻る。昨日と本日は連泊である。日中購入したマンゴーをホテルの冷蔵庫に入れて明日の朝の楽しみである。

 翌朝はチェックアウトは8時30分である。早めの朝食をとり集合である。
 そうそう朝食の後に部屋に戻ってから懸案のマンゴーをいただいた。昨日ツアーの途中ドライブインに入った折に500mlのペットボトル大のものを8リンギット(日本円で250円程度~日本では2000円くらいはとられると思う)で購入したもので、妻と2人で贅沢にいただいたのだが最高に美味しかった。
 
 さて早いもので最終日となってしまった。午前中は本来自由行動なのだがバドウー洞窟と国立博物館であるオプションが用意されていたので、せっかくの観光なので参加することにした。
 バドウー洞窟はヒンズー教の寺院となっており、インドの僧侶と思われる人が詰めている。ガイドの話では教義に厳しく食事も質素で異性との交流もダメということであるが若い者はともかく結構体格が良い印象を受けた。洞窟には長い階段を上っていくのであるが登り口の横には純金で出来きているといわれる50メートル近い仏像が出迎えてくれる。洞窟の奥では信者が集まり僧侶がお経を唱えている。
 さて、不参加の客と合流してチキンライスの昼食である。チキンライスとはいっても日本のそれとは違っていてタイ米の混ぜご飯と味付けの鶏肉をスライスしたものが個人個人に取り分けられたものである。これは結構美味しかった。
 午後は最後の買い物ということでチョコレート店やバティック店、宝石店などに立ち寄り夕食後空港に向かうことになる。
なお、買い物という点ではツアーの最中に車中販売という形でガイドから案内があった。
 10点買うと好きなもの1点おまけということで20点買っていた人も何人かいた。専用の入れ物で渡してくれるのだが多くの日本人が購入していくようだ。私も10点購入することにした。後日自宅で食べたものやおみやげで配ったものなど味の評判は上々であった。特にマンゴーのドライフルーツは実も厚く評判は素晴らしく良かった。
また、チョコレートのお土産屋は地元の客も多く大変な混雑であったが品質は良くこれもお勧めの一品である。
 実は空港に向かう途中無事に運んでくれたバスの運転手に感謝の気持ちということでツインタワーなどの銀メッキの置物を買ってもらいたいと半分協力を求める形でガイドから案内があった。運転手が用意したものであるが商品としては特に欲しいと思うものではない。それでも20リンギット、日本円で700円くらいのものである。商品はいらないのでチップとして渡してくれるよう10リンギットガイドに手渡したところ、直接渡してはどうかといわれたのでガイドさんを信じているので買った人のものと一緒に渡してくれてよいと伝えた。どうもガイドは自分を信用してよいのかという意味にとったようである。しかし、日本人は他人を信用する国民なので、かすめとるという疑いの発想は元から無いのだ。大陸や朝鮮半島から何度も騙されているというのに、正直は日本人の美徳なのである。
 空港でバスから降りて荷物を出している運転手の手にはしっかりとリンギット紙幣が握られていたのが印象的であった。
 ついでに言うと運転手はイスラム教徒のマレー人であり、販売した儲けはガイドのそれに比べれば100分の1程度のものだろう。しかしながら世界の国々ではそうした労働者の階層は歴然と存在しており、平等だ人権だと騒いでいるどこかの国の脳天気な様相とはまるで違ったものである。むしろ差別があって成り立っているのが多くの国家の現実なのだ。
 言論、教育、人の移動の自由が保障され、高価な海外旅行もほとんどの人が行くことが出来る現在の日本のような国は世界を見れば決して多くは無い。共産主義国家といわれる国(現在世界に5カ国)でさえ思想主義から言えば誰でも平等に受けられるはずの教育は、一部の特権階級だけのものであり、その中に食い込もうとすれば私が知る限り賄賂が横行しているのが現状である。
 さて、本来の旅行記となるが、団体ツアーの良いところは現地ガイドの話や穴場など、現地人でしか知り得ないことなどに触れる機会があるということ、また、美術館などの鑑賞には団体という優先権が多くあるため無駄に並ぶ時間も無いことである。したがってフリーで行くのとは一味違った楽しみ方があるのである。

マレーシアからの出国時は例によって笑顔で「ありがとう」である。しかしマレーシアは暑かった。長々と失礼!ではでは

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