バックパッカーの旅 「見ることは信じることだ」中南米編

2016-03-26 13:48:16 | 日記
アカプルコへ
メキシコ市→アカプルコ バス料金640円
下痢はまだ治っていない。
これまで深夜に腹痛と下痢が襲ってくるので夜行バスは非常に危険を感じていたが「ええい、ままよ!」気合で出発した。
(当時バスにはトイレはない)
旅で出会った通称ゲーリ後藤又の名を若年寄後藤はバス移動の途中何度もバスを止めさせて道端で用を足したとのことだが、乗客も運転手も皆あきれてうんざり顔だったそうだ。
あるとき運転手の悪ふざけで車を少しずつスタートさせ、置いてかれては大変と彼はあわてて「ちゃんと拭く間もなかったよ」と皆を笑わせていたが、経験のある方ならおわかりになることでしょう。ホント下痢は大変なのです。
力が入らず、この非常な辛さ、情けなさ、せつなさ、哀れさは少し腰をかがめた顔がものがたっています。
私も彼に劣らず至る所で下痢になるのですが、あまり続くと何か風土病にでもかかったのかと不安になったりもしました。
私の場合、幸い何事もなくアカプルコへ向かっていましたが車内はガンガンのラテンミュージックで走行。
ラテンは嫌いではありませんが好みの曲もありこの夜はうるさいだけ、嫌なものは神経を逆なでし、まったく眠れません。
しかも長距離バスで、体調が悪いので食事も摂ってなく最悪。
しかし、音を止めさせて居眠りでもされたら大変なのでひたすらガマンガマン。
しかし、しかし、他の乗客を見回しても不満そうな顔は誰一人なく、「Um、さすがラティーノ」と感嘆せざるをえませんでした。
ともかくも、無事到着。
夜明け直後の町は観光地にありがちな静けさでしたが、野良犬が何匹かラテン系らしい歩き方で徘徊していた。
「えっ、犬までラティーノってどんな感じ?」(見たい方は行くしかありません)。
バスターミナル近辺に一息入れる場所はなくマルガリートの義母が住んでいる“プエルト・マルケス”へ直行することにした。
バスはこの時間にはないのでタクシー。
30分以内で到着。380円也 まだ薄暗い。

プエルト・マルケス(puerto marques)
あまり時間をかけずに見つかった。
“ANITA”の看板が大きくわかりやすい。
ビーチが始まる所から4軒目のレストランだ。
さあてと・・・、入り口を探すが「どこでもドア」道路からでも海からでも、どっからでも入れる。
「ブエノスディアス(オハヨウございます)」声をかけながら入っていったが中は薄暗く静まり返っている。
コンクリートが打ちっぱなしの店内にテーブルが10宅余ほど所狭しと並べられており、その上に椅子が載りオープン前の様相だ。
正面から大股で4歩くらい進むとそこはもう砂浜、早朝なので一帯は穏やかな波が打ち寄せている音しか聞こえてこない。
声をもう少し大きくして「ブエノスディアス」「ブエノスディアス」
すると、左手奥からモコモコと何かが動く気配を感じて目を移すと3畳くらいの角まった部屋のような場所があり、毛布をすっぽり被った“蓑虫”状態が二つあった。
(グアテマラでもそうだったがマヤやインカの末裔達は背にした子供を頭からすっぽりと衣類を被せたまま、家事や仕事をしたり、町を歩いているのをよく目にしたが息苦しくないのかといつも不思議であった。)
寝返りを打ち“蓑虫”の頭が見えた。母子のようだ。
二人とも寝ぼけ眼(まなこ)でボ~としていたが、次の瞬間“カッ!!!”っとショック状態の固まった感じで目の前に立っている私に目を向けた。
早朝にしかも一段高い所からベッドを見下ろしているのだから、177cmの私が190cmにも見えたのかもしれない。
それに私と云えば、髪は少しパーマーがかかったぼさぼさ頭で、顔は連日の外歩きでかなりの日焼けで浅黒く、髭をはやし真っ黒のバックパックを背にし、あまり上等とは云えないジーンズ姿、この辺りで見かけない東洋人の男が突然に出現したのでは誰でも驚くだろう。
「ケッ‐パソ(なっ 何んだ)!?」
私は前もって辞書を引きメモをしておいたのを取り出して、来た理由を説明した。
ウム・・・、母親は一生懸命聞いてはいるが解ったかどうか?
中学生くらいの娘はしきりと目をこすりながら耳を傾けている。
「あっ、そうだ!」寝不足のせいか私のほうが少しボケている。
手紙のことをすっかり忘れていたのだ。 母親に渡した。
名前を確かめ封を切ると中から手紙とお金が出てきた。 
笑みがこぼれた。
母親が手紙に目を通している中、今度はテーブルに椅子が積み上げられているフロアの奥から物音がする。住民がもう一人居た。
よくマンガに出てくる雷に打たれたような逆立てたロングヘアー痩せた若い男(たぶん19歳くらい)が顔と目をこすりながら椅子とテーブルを退けながら出てきた。
「朝っぱらから何だ、何事?」と母娘に近づくと妹がしきりに話している。
経過を説明しているようだ。
30分後バックパックを下ろした私は静かに打ち寄せる、靴が波をかぶるくらいの砂浜で特別に仕立てられたテーブルに腰をおろし朝食を食べていた。
遠くまで見渡せるビーチはまだ観光客も地元の人も誰も見あたらない貸切状態だ。
「最高だ!!」
グリルされた魚、サラダ、焼きたてのトルティヤ(トルティジャとも発音する)、そしてリモン(ライムのように緑がかっており小さい)付のサ(セ)ルベッサ(ビール)。
スニーカーの靴底に波が少し当たる。
「最高だね!!」ひとりごちた。
今朝までの疲れも下痢も全て海とその風景にのまれたように元気が毛細血管の一本一本に至るまで浸透し湧き出て来るのが感じられた。
プエルト・マルケスはアカプルコとは違って地元の人が行くビーチです。
200メートル以上あるでしょうか、そこに長屋状に塩気をたっぷり含んだ古めかしい店が連なっている。
海側の長屋は概ねレストランだが通りを挟んだ反対側は雑貨屋、トルティヤ屋、駄菓子屋などさまざまだ。
さて、前述したが新しい所に着いたらまず、寝床(ホテル)だ。
これがバックパッカーの最も悩ますところ、猛暑でも風雨でも探さなければならない。安くて清潔な所がポイントなので余程のことがない限り一軒では決めない。
しかし、何件か行ってやはりあそこが良かったと戻ってももう空いてなかったなんて事はざらにある。
ガックシ何てもんじゃない、これは泣ける。疲れが倍増だ。
さて、朝食前にマルガリートの義母に頼んでおいたら食後にはもう見つけてくれていた。
“ANITA”の前の雑貨屋の2階だ。
老夫婦と30歳代の娘とその子供の4人家族。
部屋は昼間でもナメクジ館みたいにジメジメしており、シャワー付だが水の出は非常に悪く用を足すのにもテクニックと時間が必要だった。
天井には大きなプロペラの扇風機が取り付けてある。これは助かった。
暑さしのぎだけではなく臭いもしのげるからだ。
さて、料金はというと 一泊3000ペソ=2.2ドル=280円  まっ いいか!
誰かが寝ていた場所を空けたようだ。    
私がいない間はシャワーやトイレは家族の者が使っていた形跡は常にあった。
初日の夜、移動と下痢の疲れから早い時間にベットに入ったが深夜になって、異様な声と音で目を覚ました。
土砂降りを表す英語に“CATS & DOGS ”と云う言葉がありますが、ここでは猫や犬たちだけでなく豚達、鶏達、アヒル達、山羊達などの家畜達が恐怖におののき、辛さにガマンできず、寂しさに震え、泣きわめきの大合唱。
外は激しく叩きつける雨、うなりをあげる波音、家が波と風にのまれるのではと思った。
「嵐だ!!」
映画で観た“ノアの箱舟”のような天地創造かと思われる状態で一睡もできず朝を迎えた。
トルコのイスタンブールで同じように初日の早朝、大音響の異様なうなり音で何事かと飛び起きたことがあったが、それは夜明けとともに始まるコーランの祈りの声で、街中いたるところに備え付けられた拡声器によるものだった。

快晴の朝を迎えた。
昨夜の眠れない理由がもう一つあった。
それは彼らがあまりに暴れたせいで雨が入り込んだ家畜小屋がこね回され、濡れた動物特有の匂いが入り混じって、締め切った部屋に充満したことだ。
鼻が曲がりそうとはこのことで、呼吸が出来ない状態だ。
顔にタオルを当てて息を止めてしのぐのだがガマンしきれなくなった後が大変。
思いっきりその空気を吸わなければならないからだ。
少し吸ってガマン、少し吸ってガマンを繰り返した。
夜明けとともに風雨が止み、夜明けともにシャワーを浴び、そして早々に外へ出た。
大きく深呼吸。「生き返ったぞ!!!」
ブタ、アヒル、ニワトリ、ネコ、イヌ、ヤギたちが何事もなかったようにケロッとした顔をして車も人も居ない通りを闊歩している。
昼近くになると人も車も増え、一日中クラクションが鳴り響く。
アメリカ映画に出てくるメキシコの村のワンシーンで、「プーッ、プー、プッー」と車がイヌやニワトリやロバをかきわけながら進むあの光景が思い起こされる。
しばらく通りを散歩した後、アニタに行くとマルガリートの義母が手真似で「朝食食べる?」と聞いてきた。
彼女はいつでも私の顔を見るとこの手真似をするには苦笑したが、彼女の優しさが体中ににじみ出ておりとても嬉しかった。
今思い起こすと私がいつも腹をすかしている顔をしていたのかも知れません。
この手真似は、中南米の多くの人たちは生まれたとき“蒙古斑”がありその性かと考えたが、おおよその国でこのサインが通じたからやはり万国共通なのだろう。
“アニタ”でほとんど3食取っていたが義母はマルガリートの友人と云うことでお金は絶対受け取らなかった。
出る前日、お金を無理やり置いてきたが私の気持ちに気分を害さねばと願うばかりだ。
アニタの息子と娘は仕事をしていない。従業員が二人いる。
一人はキッチンで女性、もう一人は呼び込みで若いが結婚していた。
この店は週末でもあまり客が来ていないのに経営は大丈夫かァと心配でもあり、不思議でもあった。
ある日、アニタで働いてる女性の子供の案内で金持ちが行くビーチ、“プリンセス”を見に行くことになった。
歩いて20分余、大きなホテルが見えた。
中にあるプールサイドには色とりどりのおしゃれな水着の男女が優雅に歩いている。プールの先はビーチでカフェがあるが、その周辺をお茶を飲むでもなく泳ぐでもなく若者達がブラブラとプールサイドに時折目を向けながらたむろしている。
何かを求めているのだ。
プールサイドのバーに行こうとしたが彼は一瞬たじろいだ。
「バモス」行こう!!と私に背中を押されてカウター腰をおろした。
バーテンダーは見るからに金持ちそうにない二人が座ったから変な顔をして見ている。
バーテンダーを呼びピーニャ(パイナップル)ジュースとビールを注文した。
彼は嬉しげに、誇らしげに、そして居心地悪そうに辺りをキョロキョロしながら飲んでいた。
勘定はニューヨーク並。私も驚いたが彼はもっと驚いていた。
そして、帰途、彼の足は踊っていた。
プエルト・マルケスでの毎日は泳いだり、あまり忙しくないレストランを手伝ったり、わずかな町並みをブラブラしたりしてたが、そこにには「へぇ!?」とか「ほぉ!?」
とかが満載しており毎日飽きなかった。
その中でも「えっつ、ウソでしょう!?」と思わず笑ってしまったのは、トルティヤを作って販売している小さな店が宿泊していた家の隣にあったがそこの17,8才の娘が仕事中にいきなり駆け足で道路を横切り、アニタを突っ切って海へザブ~ン。
単に暑いかららしいが、ヒト泳ぎすると客がいようが居まいがアニタの中をびしょぬれで平然と通り抜け仕事に戻るのだった。
Tシャツにショートパンツ、サンダルときわめて軽装なので何も問題は無いが初めて見たときは何事かと思った。
一日に何回かこれをやっていたが何回見ても笑ってしまった。
しかし、残念ながらこの辺りの人たちが食べているトルティヤ製造機の上にある材料には無数のハエが集っており、それを見てしまった後はいかに焼いているとはいえ食べるのには毎回結構気合が必要だった。

アカプルコのラ・ケプラダへアニタの若ダンナとダイビングショウーを観に行った。
テレビなんかで観た人がいると思いますが「すごい!!」
ホテル内のレストランから食事をしながら観ることが出来るようになっているが、勿論切り裂いた崖の上からも観ることが出来る。
ダイバーはパフォーマンス後再び崖を登って見物人の中を歩きながらチップをもらうのだ。
ライトの照らされた下を見ると、切り立った岩肌の隙間から時折白い波のしぶきが見えるだけだが、彼らはその寄せる波しぶきと次の波の時間を予測し、その一瞬を読んで45メートルの高さから飛び込むのだ。
常に死と向かい合わせで生きているといっても決して大袈裟ではない。
だから、飛び込む前の「祈り」は欠かせない。
一晩に何回か飛び込むのだが、高所恐怖症の人でなくても身震いがし吸い込まれそうになる。
一番人気のあったハンサムガイは上がって来ると拍手とチップをもらいながら笑顔で我々の方にまっすぐに向かって来た。
なんと若ダンナの友人で、俺と一緒に写真が撮れるようにしてくれたのだ。
感激と感謝!! 
ちょっとつまんで一杯呑んで帰宅。
入場料 約30円  プエルトマルケス→アカプルコ バス代 14円

プエルトエスコンディード経由オアハカへの出発の日、3時頃までアニタで過ごした。
泊まっていた所の娘さん(シルビア)も一緒にアカプルコに行くことになった。
彼女も久々の外出らしい。ハシャいでいる。
次の地へのバスはアカプルコから深夜出る。
時間がたっぷりあるので映画を観ようということになってバス停近くにバックパックを預けた。
メキシコは映画が安い!!!  約95円
観終わって表に出るとシルビアは俺の手を取って開口一番
「どうして何もしないの?」
「私のこと嫌い?」と聞いてきた。
「えっ!?」「何のこと?」どぎまぎしたがすぐに理解した。
もう1本観たいとこだけど彼女の帰宅時間が迫っていた。
「ウーーー残念!!」
云われてみると確かに映画館の中はそんな雰囲気になっていたし、メキシコ在住の人から聞いた話では安い映画はある意味Hな場所になっているようだが、
やりすぎて警察ザタになった日本人もいたらしい。
「過ぎたるは猶及ばざるが如し」昔の人はいい事言いました。
8時半過ぎにシルビアが帰り、1時間半ほどぶらぶらと時間をつぶしてから映画をもう1本観た。今度は勿論一人だ。
最初にシルビアと観たのがオーストラリアの俳優で以前ターザン役をやった男の刑事もの。
次がリチャード・ギアの刑事もの。
映画ファンの俺だがどちらも似たり寄ったりの暇つぶしでしかない。
映画は12時頃終わり2時頃まで本を読んで過ごした。

 雨だ!!。
バスは定刻どうり2時に来た。
座席指定ので安心してゆっくり乗り込むと俺の席に座っている奴がいる。
ここは俺の席だと言うと、彼は俺のだと言い張る。
イライラするのでチケットを振りかざして「俺の席だ!!」と怒鳴ったら、びっくりした顔でどいた。
アメリカで暮らしているとこれが言える。
そして出発と同時に眠りについた。

プエルト・エスコンディード 8時30分着。どしゃ降りだ。
乗り換えは丘の上のバスターミナルまで歩かなければならない。
手持ちのペソを勘違いして両替しなかったため300ペソ(28円)しか持っていない。だから昨夜はろくな物を食べていない。
とにかくバス代も必要だし両替しに行かなくてはと下を見るとかなりの距離があるようだ。
このどしゃ降りの中バックパックを担いでの上り下りは腹の具合から止めて、バスターミナルにある荷物預かり所まで行った。
200ペソ(18円)
出発時間まで1時間、下に降りて銀行を探し両替。
オアハカには夕方着くので少し多めに替えたが率が悪いのに替えすぎたと後で後悔した。
1ドル=1396(20ペソ増) 120ドル(15600円)=替えた。
円で考えるとたいした金額ではないがその国行ったらそこの貨幣価値に合わせて過ごすのがバックパッカーの極意。
出発まであと10分、夜通しのバスと大急ぎで坂道を上り下りしたので喉がカラカラ、しかし、下痢気味で不安なのでトイレが先決。タダではない。使用料14円
急いで切符を買った。朝食も摂りたかったが時間が無い、バスが何故か定刻だ。
急いでコーク(コカコーラ)を買ったがビンのまま持ってきたので50ペソ余分に取られた。
(ビンの値段は当時中南米どこでも高く、皆ビニールに移し変えてもらう。これにストローが付くと少し豊か?、氷が2,3個入るとすごく豊か。
そしてビンごと買えるが冷えてない国、冷えたコークをビンごとストロー付きで飲める国と国々の経済格差の一端を垣間見る。)
オアハカまで4700ペソ=3.37ドル=約438円

9:30AM バスに乗り込む。バスの中で出会ったスイス人のカップルからプエルト・エスコンディードのすばらしさを聞いて急ぐ旅でもないのに立ち止まらなかったことを後悔した。
後にいろんな人から観光客の少ない静かな、綺麗な砂浜と海、すごく落ち着くところと聞かされますます残念な思いが残った。
何故かと考えると、まず知らなかったこと、到着時どしゃぶりで視界が悪かったこと、
9:30AMの次が10:30PMで何故かオアハカに決めていたので早いほうに乗ってしまったのだ。
体調のせいもかなり関係していると思うが、とにかく何かにあせっていた。
バスには発車間際に乗ったのでオアハカ近くまでまったく座れず、鮨詰め、昨夜はろくな物食べていないし、朝食も抜き、そして下痢で体調がすぐれず最悪のコンディションだった。
しかも暑いのに走行中雨で窓が開けられず車内はサウナ風呂、加えて強烈な体臭三昧で失神するのではないかと思った。


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