分会長の小屋

分会長の、分会長による、分会長のための・・・・小屋(汗)

お菓子頼み?

2006年01月19日 23時02分01秒 | 街の風景
近くのスーパーのお菓子売り場に、大量のカールが神社の鳥居のようにディスプレーされていた。
はて?なんだろう?と思ったら、その名も「ウカール」・・・・受験シーズンだから。
そのウカールの鳥居に前で手を合わせている子どもがいたのには感激した。
「君なら大丈夫!」って店長の代わりにいってやりたかったくらいだ。

そして写真のKit Kat・・・・きっと勝つ・・・・これもダジャレ。
ちなみに、ダジャレとは漢字で「駄洒落」と書く。
受験生には、禁句かな?

ある意味、ポストモダ~ン。

リアリティの彼方か

2006年01月18日 02時10分53秒 | 街の風景
予想通り、「死あるのみ」と下された。
最後まで反省せぬままに。
そんな男の死に意味があるのだろうか?

月並みな言葉だが、一連の犯罪事件を見るとき、「いったいその狂気に走らせる元凶とは?」といつも自問自答を繰り返す。

そのきっかけをはっきりと刻み込んでくれたのが、この男の狂気だった。
「・・・・紙一重」とつぶやきながら、何が正常で何が異常なのか?何がリアルで何が虚構なのか?わからなくなった。

「死体」というリアリティを目の当たりに、「そうこれが現実」と言い知れぬ絶望を味わう。この男はどう感じただろうか?

さて、今度は自分が「リアリティ」を直接味わうことになった。
しかし、メディアは一億人の亡霊に「リアリティ」は決して見せないだろう。
所詮、それがこの男の最期ということか・・・・リアリティはもうどこにもない。

一人の亡霊と一億人の亡霊と・・・・

2006年01月17日 00時37分38秒 | 街の風景
昭和と平成の狭間に、「実在」した。

「いつの間にか硬くなった子供の両手を合わせてやることさえできなくなっていました。上着をハサミで切って、とりのぞき・・・・。すると、体に赤い斑点ができていました。虫が喰った入った形跡などないのに、まるで日の丸のように、判子でも押したかのように、赤い斑点が出来ていました。そこは、できものではなく、平らだし、少しへっこんでいるのです。皮が、はがれて流れることのない血が見えたと言ったほうがわかりやすいでしょう。『変わってしまうだなあ。』と思いました。
やがて子供の顔が、老人のようになってゆきました。ひきつったしわが体全体にでき、あのこちこちに硬かった体が、今度は水のようにぶよぶよに柔らかくなってゆきました。とても、この世の臭いとは思えない程の悪臭。」(藤原新也『新版 東京漂流』、新潮文庫、1990年)

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無関心の殻外れず 幼女連続殺人・宮崎被告<朝日新聞:2006年 1月16日 (月)>

 88、89年の連続幼女誘拐殺人事件で殺人などの罪に問われ、一、二審で死刑とされた宮崎勤被告(43)の上告審判決が17日、最高裁第三小法廷で言い渡される。事件から17年余。最高裁の判決を前にして今、何を考えているのか。宮崎被告は拘置所で多くの手紙を書き、膨大な言葉を発してきた。ただ、やりとりを続けている臨床心理士らにも、宮崎被告の心はまだ見えてこない。

 「関係ありません」

 臨床心理士の長谷川博一・東海女子大教授は、昨夏から「被告の内面を少しでも明らかにできれば」と学生とともに手紙を8通出した。返事は6通来た。

 なぜ、事件をおこしたのか。事件について、どう考えているのか。

 宮崎被告は、問いかけに対し、決まって「関係ありません」と答えた。

 宮崎被告は月刊誌「創」の編集部とも96年以降、数百通の手紙をやりとりしている。

 昨秋以降、編集部に届いた手紙をみても、事件や裁判への無関心さが目立つ。

 ▽(遺族への謝罪の気持ちは)ありません

 ▽(最高裁に期待することは)期待するしない、というものがない

 ▽(死刑について)関係ない

 ▽(今度の判決は)無罪だと思う

 篠田博之編集長は「今度の判決で自分の刑が確定するという認識がないようだ」と語る。

 長谷川さんは、大阪教育大付属池田小の児童殺傷事件の宅間守・元死刑囚と15回面会し、04年9月の執行直前まで対話を重ねた。

 同じ死刑という罰に向き合っているはずなのに、2人はあまりにも違う。長谷川さんはそう感じている。

 「宅間元死刑囚は、早期の死刑を望みながらも、一方では死を恐れ、夢でうなされるほど苦しんでいた」

 長谷川さんが面会した際、「自分が、殺された子どもの立場やったら、無念だろうと思う」「生まれてこなければよかった」と話した。元死刑囚が自分の行動を認識して後悔し、苦しんでいる。そう感じた。

 これに対し、宮崎被告の手紙には、後悔の気持ちや感情が含まれた言葉が見あたらない。手紙の文字も、宅間元死刑囚は罫線(けいせん)の間いっぱいの大きな字でぎっしり書いていたのに対し、宮崎被告は小さな文字を頼りなげに連ねている。

 長谷川さんは精神鑑定の内容なども踏まえて、こう分析する。

 「居直っているのでなく、一人だけの世界に深く入り込み、その枠内で君臨しているので、『枠の外』のことに全く興味がない状況。どんな判決が出ても、何も感じないのではないか」

 「コミックマーケットのカタログがほしい」

 宮崎被告は昨年12月、創編集部に届いた手紙でこう訴えた。最高裁の判決日が決まった後も、今夏の行事のことを気にしていた。

 法廷で「もっと有名になりたい」などと発言した自己顕示欲の強さは最近の手紙でも変わらない。「私のことを書くときは、宅間守のことを織り交ぜてください」。そんな記述に、長谷川さんは「注目を浴びた人物と肩を並べたいという意識の表れだろう」とみる。

 最高裁での公判をめぐっても、「傍聴にきてください」と長谷川さんを誘ったり、17日の判決を報じるテレビニュースを「ビデオに撮っておいてほしい」と創編集部に頼んだりしている。有名になりたい理由を「産まれてくる人たちに自分のことを知ってほしい、ということなのです」と書いている。

 宮崎被告の心はいま、どんな状態なのか。

 昨年11月ごろ、創編集部に届いた手紙。

 「以前の幻聴は、得たいのしれない力を持つ人たちが、サワサワと話し合って『ツトム』とか『リンチ!』というものだった。01年ごろからは、『目を針で刺すのは私にやらせろ』とか、『耳をそぎ落とすのは私にやらせろ!』とか言って、話し合っているのです」

 弁護人は「統合失調症だ」と主張し、審理を東京高裁に差し戻して再鑑定するよう求めている。一方、長谷川さんは「統合失調症とは断定できない」とし、(1)パーソナリティー障害(2)離人症(3)性的サディズムの三つが交ざった状態ではないかとみる。「これまでの司法判断にそえば、責任能力があると判断されてもやむを得ない」と考える。

 宮崎被告は公判で「ネズミ人間が出てきた」などと不可解な供述を繰り返した。「詐病」「計算ずく」との見方も根強い。これについて、10年やりとりを続けた篠田編集長は「結局、どちらかわからなかった」。

 長谷川さんは思う。

 「なんとか彼の世界に入り込みたい」
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一人の亡霊は43歳になっていた。

リアリティとは何なのか?

明日は、どこか街をふらつきたい気分だ。

福岡市大名エリアの話し

2006年01月10日 23時29分45秒 | 街の風景
福岡市の中心が博多から天神、そして大名にシフトした(今はさらに今泉、そしてたぶん平尾じゃないかなと予想)といわれてひさしい。
その大名エリアを「カー・フリー・ゾーン化」にしようと動き出した女性がおられるそうで、元旦の西日本新聞に記事が載っていました。
Miesさんというオランダの方です。

昨年、確かサザン通りから新天町あたりをテスト的に歩行者天国にしたことがありましたが、その後どうするんだろうか?

街がさまざまなtribesのオルタナティブ公共圏になれば、なんともクリエイティブな飛び地が出現するでしょうね。
ブランドなんてクソ食らえ!

パサージュ広場にて

2005年12月11日 00時17分57秒 | 街の風景
福岡市天神パサージュ広場のクリスマスイルミネーションです。
本屋によったついでに撮影してみましたが、どうもヘタッぴになっちゃいました。

この時期、あっちこっちでイルミネーション合戦が行われておりますな。
さすがに最近では、♪~きっと君はこないってフレーズはあまり聴かなくなったような気はしますが。

土曜日の天神は人がごった返しておりました。
景気が上向きな証拠なんでしょうか?

VELOTAXI

2005年11月26日 00時20分25秒 | 街の風景
11/15から福岡市にも「VELOTAXI(ベロタクシー)」なる乗り物がお目見えした。
VELOとはラテン語で「自転車」を意味するらしい。

市内の起点は博多リバレイン。
まだ限られたエリア内での運行のようだが、北は福岡サンパレス、南は薬院駅までカバーしているようだ。

写真は西鉄福岡駅と薬院駅の間の高架下で、VELOTAXIの格納庫なのでしょう。

アドバタイムズという新聞には「新しい交通広告媒体になる」と取りあげられていたが、まぁ~どうでもいい話しです。

むしろ運営主体が「トータス研究所」というNPOである点に着目すべきだろう。

日常的な日常

2005年11月22日 01時39分29秒 | 街の風景
お昼はいつも決まったお店の決まった席に座る。

先日、そんなお店の前で落し物を拾った。

実際に拾ったのは分会の書記長だったのだが、拾ったのは小さなポーチ。
中身は「秘密」だけど、とっても大切なものに見えた。

持ち主の手がかりはない。
仕方がないので、お店に預けてみることにした。

そして、月曜日、またいつもの決まったお店の決まった席に座る。

「この前、落し物を届けてもらったでしょ?」
「ええ」
「持ち主が見つかって、そのお礼を与りました」
「そんなのいいのに。わざわざご丁寧に」

お礼は、「日本茶」だった。

そんな「日常」がなぜかうれしかった。
「アーバン・トライブ」とは案外こういうことの引き戻しなのかもしれない。

必ずしも、自分の実質的なコミュニティエリアではない場所で、実にコミュニティな関係性に出くわした。
ただこれ以上、拘束されないわけですけど。

フランス郊外・・・・少年2名の感電死・・・・そして暴動

2005年11月07日 21時53分29秒 | 街の風景
フランス郊外で発生した暴動が、フランス中心部にまで波及した。

ことの起こりは10月27日、警察に追われた少年2人の感電死。
事故は、現場近くで身分検査を行っていた警察官からの不当な追跡を逃れるため変電所に逃げ込んだことで起こったらしい。

この事故に関して、サルコジ内相が十分な調査もせず、「追跡はなかった」と発言したこと、これが起爆剤になった。

ネット上のニュースを読むと、この少年達の住むエリアは、フランス北東、セーヌサンドニ県は移民系の住民が集中する郊外部だそうで、そもそもフランスは「郊外問題」が以前よりくすぶっていたようだ。
このエリアに住んでるだけで就職ができないなど、差別的な状況があるらしい。
文化や宗教の衝突。人種差別意識の軋轢。移民者の疎外感・・・・アメリカだけでなく、フランスも「階級」か。

少年達の事故が11日間も続く暴動を生み出す。
抑圧された情動の噴出・・・・それを力でもって抑え込もうとするから、反作用が強まる。

どこか心の底で熱いものが沸いてくる。

「何も変わってないんやないの?」

それが、興奮なのか怒りなのか悲しみなのかはわからないけど。熱い。

博多の表と裏と

2005年11月03日 01時11分38秒 | 街の風景
裏側は「筑紫口」、表側は「博多口」、それが県外人のもつ博多駅の印象である。
しかし、博多駅を象徴しているのは、裏側のような気がしてならない。

現在、博多駅は九州新幹線に対応するためホームなどの拡張工事の真っ最中。
それにともなって新なた商業施設を備えた駅ビルへとリニューアルされることでしょう。

福岡市の「中心」が博多→天神→大名へと移ろう中、博多駅の裏側がどうなるのか不意に気になった。
博多駅リニューアルとなった時点から、裏側が何らかの自己主張をさらにはっきりとし始めるような予感。
また、中央区の春吉、清川、今泉・・・・そんな界隈による「界隈性」にも注目せねば。

光と影ともちょっと違うな・・・・何なんだろう?

テンション

2005年10月11日 23時47分22秒 | 街の風景
ずいぶん、朝晩が涼しくなってきて、少し肌寒くも感じるようになってきました。

このところ、まわりがごちゃごちゃしていて、落ち着かないので、テンションが合わない。
バイクもなんとか走れる状態になったので、土日も少し乗ってみたが、どうもテンションが合わない。
休日の道路は週末ドライバーが多いせいか、事故が多く、車の流れとテンションが合わない。

こうもテンションが合わないと何もかもバカバカしく感じてしまう。

言いたいことも定まらない。

そういえば、郵政民営化法案が衆議院を可決した。
「造反組」とレッテルを貼られた自民党議員もあいついで賛成に回った。
「民意」に従ったというのが言い分のようだが、「こんなときだけ国民を言い訳に使うなんて!なんて卑怯な!」と思うのは、テンションがおかしい私だけだろうか?

福岡が急にさみしい街に思えてきた10年目だ。

仕事柄、書かないわけにはいかないのでしょうか・・・・

2005年10月07日 01時17分35秒 | 街の風景
さて、05年国勢調査に関して、連日、話題にこと欠かないようです。

前回の国勢調査から今回に至る間に、個人情報保護法が成立したということも今回の国勢調査で起こっているさまざまな問題の原因であることは間違いないと思いますが、もうすでにかなり前から、「訪問調査」は非常に難しい状況があるということを国はわかっていないと思います。

すでに世帯のあり様が大きく変わってしまいました。
核家族化や共働き世帯が進み、さらに単身世帯も非常に多くなっていて、基本的に在宅率が急激に下がっています。
対象者が主にいる時間帯も、ライフスタイルが多様化したおかげで特定しずらく、なかなか対象者と接触することができません。
また、悪質な訪問商法も依然として多く、その対策として「不用意にドアを開けない」などといった意識が広く普及したため、在宅していても出てこないケースが多いです。
それは携帯電話というパーソナルな通信手段が一気に広がったことも背景にあります。というのも、友人や知人なら(つまり信用できる人)通常、事前に携帯電話などでアポをとってから訪問するのですから、唐突にやってくる訪問者は、その時点でシャットアウトするというのが普通になってきています。

話しによると、「東京ではもう訪問系調査はまともに実施できない」とも。

まして、国勢調査の調査員さんたちは、いくら臨時の国家公務員とはいえ、そうでなければまったく調査員経験のない一般の人が大半です。
だから、正直、われわれ市場調査会社の人間から言わせれば、「無謀」としか言いようがないです。

ノウハウのある調査会社でも、今や訪問系調査は苦労します。
経験豊かな調査員さんでなければ、困難を極めます。

今回、国は国勢調査の実施にあたり、TV-CMやさまざまなPRパンフなどを導入しましたが、あまり効果はなかったと評価せざるを得ないですね。

だって、「菊川玲だと思って」・・・・それじゃー逆効果でしょ?

てんちかをスルーして

2005年09月26日 22時48分03秒 | 街の風景
今日は年休をとって、同じユニオンの分会を応援しに県庁に出向いた。
県庁まで何で行こうか悩んだ結果、地下鉄を使った。

近くの地下鉄駅まで自転車で、それから地下鉄を乗り換えて県庁へ。
七隈線ができてからはじめて地下鉄の乗り換えに挑戦。
天神南駅から、昔からある天神駅まで天神地下街をかなりの距離歩く。

福岡に来たころは、よく天神地下街を意味もなく歩いた。
なんとなく楽しい気分を提供してくれた空間だった。
しかしいまは・・・・。

テナントもほとんど見ずに駅へ向かう。
「帰りに少し見よう」などと思いながら。

県庁では、不当労働行為の審問が行われた。
初めて体験する空気。
会社側弁護士はかつて対戦したことのある人物。
相変わらずである。
人間味のない口調と巧妙に仕組まれた話術、感情のない表情。
弁護士とはいわば「役者」だと思われる。
「真理の追究」のとはほど遠い、揚げ足取りの追及劇ですよ、弁護士の仕事とは。

さて、帰り道、天神地下街をふらつく予定が、あまりの人の多さに、めんどくさくなった。
そのまま人の波をスルーして、ただただ真っ直ぐ家に帰った。
だれとも話したくない気分になった。