海鳴記

歴史一般

日本は母系社会である

2016-12-28 12:58:31 | 歴史

                          

                          はじめに

 ブログを再開するのは、本当に久しぶりになる。2011311日の大震災・原発事故以降、私は昨年まで福島県内やその周辺を何回か往き来した。そういう行動をとらせた理由は、主に二つあった。一つは、私は東北生まれだったこと。もう一つは、若い頃、原発関連の仕事をしたことがあったことであった。後者に関しては、長くなるのでここでは説明できないが、前者に関しては、20年近く鹿児島で暮らしたことと大いに関係があった。

 それは、同じ日本でも、気候風土から歴史や文化に至るまで、こんなにも地域差があるものなのかという鹿児島での生活実感であった。そして、生まれて11歳でそこを去り、肌合いとして忘れかけた日本の東北という地域を、もう一度実感したかったのである。それだけと言えばそれだけであった。だから、二つ目の理由もそうなのだが、ここで綴る大袈裟な題とは直接的な繋がりはない。しかしこれから展開する<文化論>は、鹿児島時代からずっと連関しているし、考えてきたことである。そして私の場合、すべては「生麦事件」から始まる。

 

*最近とみに視力が衰えたため、書物よりネット検索で資料を確認することが多くなった。だからネット情報から直接引用したものも多いことをお断わりしておく。ただ、この論を推し進めていくうえで、最低限必要な文献は書物を利用している。日本語のウィキぺディア等の情報がまだまだ信頼に欠けるというより、その情報源がはっきりしないからである。その点、書籍文献は何を参考にしてそう論じているのか明解である。

*日本人だけでなく、日本語を習い始めた外国人にも読んでもらいたいため、日本人に煩わしく思われるのを承知でくどいほど(ルビ)をふることにした。なぜならインターネット(ブログ)は世界に繋がっているからである。だから、ひらがなを勉強した外国人なら、辞書を片手に内容は読み取れるのではと思ったのである。そもそも漢和辞典を使用するのは日本人でも面倒なのだから。

 



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