毎日がちょっとぼうけん

大阪→中国江西省南昌→大阪→中国山東省菏澤と国をまたいで移動する身にしてみれば国際平和は何より大事。

「泥憲和さん、本当にありがとう」No.1937

2017-05-04 11:30:37 | 反戦平和

泥憲和さん、

昨日、5月3日憲法の日の朝にあの世へ旅だってしまいました。 

生きていて欲しかったです。

生きていて欲しかったです。

泥さんも、こんなに早く逝ってしまうとはご自身、

残念で堪らなかったことでしょう。

まだ、64歳だったのに……。

今日、授業中も不意に涙があふれて困りました。


 

泥さんの最後の投稿になった4月24日のフェイスブックの記事を

 ここに掲載させていただきます。

本人の了解なしです。泥さん、すみません。


子どもは大人が託す未来への希望です。

泥さんが最後に子育て考を残されたことは、

偶然かも知れませんが、私は泥さんからのメッセージだと受け取りました。

泥さん、残念ですが、もう生身の泥さんにはお会いできません。

しかし、これから泥さんの足跡を辿ることはかろうじてできそうです。

病気の身体をおして書かれた書物、講演、FB投稿、

ありがとうございます。

一生懸命、読みます。

   

 泥 憲和 4月24日 10:58 

 【「太鼓ばやし」は子育て太鼓】

 昨日の投稿【考え方と感じ方】にたくさんコメントをもらったので、ふと思い出して4年前の投稿を再掲します。
 かなり長いのですが、一挙に掲載します。
 体罰は日本の伝統的な子育て文化の中になかったという話です。
 そのことを、私たちは伝統文化から学ぶことができるんです。

目次

◇1.発祥地は岐阜県恵那地方
◇2.七歳までは神のうち(この項削除)
◇3.ヨーロッパ人がうらやんだ日本の子育て
◇4.日本の伝統社会は子ども天国だった
◇5.太鼓ばやしに込められた心とは
◇6.体罰教育は日本の伝統と正反対
*****
◆発祥地は岐阜県恵那地方
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 太鼓囃子のふるさとは岐阜県恵那市串原町です。

 原型は、中山神社の奉納太鼓として伝わる「中山太鼓」です。
 観光協会の公開する由来書きは観光客向けのホラで、信憑性がありません。
 由来不明と考えておいた方が正しいでしょう。
.
 中山太鼓には色々な曲がありますが、すべて
(1)即興でなく曲が決まっている。
(2)踊りながら太鼓を叩く。
(3)1フレーズを叩き終わると叩き手が変わる。
と言う3つの特徴があり、こういう形式は珍しいのだそうです。
 太鼓ばやしもその形式を忠実に踏襲しています。
.
 「中山太鼓」は奉納神事として行われます。
 奉納神事とは、神さまにささげる(見ていただく)神事。
 日本の多くの地方では、この神事に必ず子どもが参加することになっています。
 どうして必ず子どもが参加するのでしょうか。
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(一部削除① 削除した文章は末尾に保存)
.
◆ヨーロッパ人がうらやんだ日本の子育て
.
 ここでちょっと、伝統的な日本社会の子育てについて語ります。
 ヨーロッパ人は安土桃山時代に日本にやってきて、それからずっと、さまざまな見聞録を残しています。
 少しいまから紹介しますが、全員が異口同音に驚いているのが日本の子育てなんです。
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★安土桃山時代「日欧文化比較」 ルイス・フロイス(イエズス会宣教師)
.
「ヨーロッパでは普通鞭で打って息子を懲罰する。日本ではそういう事は滅多に行われていない。ただ言葉によって叱るだけである。」
「子を育てるに当たって決して懲罰を加えず、言葉を以て戒め、6、7歳の小児に対しても70歳の人に対するように、真面目に話して叱る」
 この光景は、「お前ちょいとそこにお座り」という親父の説教のことですね。信長の時代からやってたんだ(笑)
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「ヨーロッパの子どもは大抵公開の演劇や演技の中でははにかむ。日本の子どもは恥ずかしがらず、のびのびしていて愛敬がある。そして演ずるところは実に堂々としている。」
 この様子はおそらく奉納神事の姿ですね。
 「太鼓ばやし」は、こういう子ども神事のひとつなんです。
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★江戸時代「日本について」 オヴェルメール・フィッセル(オランダ商館員)
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 「私は、子どもと親の愛こそは、日本人の特質の中に輝く二つの基本的な徳目であるといつも考えている。」
 「このことは、日本人が生まれてからずっと、両親がすべてを子どもたちに任せてしまう年齢に至るまで、子どものために捧げ続ける思いやりの程を見るとはっきりわかる。」
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★明治時代初期「日本奥地紀行」 イザベラ・バード(イギリス人)
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 「私は、これほど自分の子どもを可愛がる人々を見たことがない。常に子どもを抱いたり背負ったりしていて、歩くときには手を引いてやる。子どもの遊んでいる様子をじっと見守り、時に一緒に遊んでやったりもする。いつも何かしら新しい玩具を与え遠足やお祭りに連れて行き、子どもがいないときは、寂しそうにしている。」
 「子ども崇拝は、アメリカよりも日本の場合がもっと一般的である。私が思うには、日本の形式が最もよい。」
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★「日本その日その日」 エドワード・モース(東京大学教授)
 「この国の子ども達は親切に取扱われるばかりでなく、他のいずれの国の子ども達よりも多くの自由を持ち、その自由を濫用することはより少なく、気持ちのよい経験の、より多くの変化を持っている。
 赤ん坊時代にはしょっ中、お母さんなり他の人々なりの背に乗っている。
 刑罰もなく、咎めることもなく、叱られることもなく、うるさくグズグズいわれることもない。
 日本の子どもが受ける恩恵と特典とから考えると、彼らはいかにも甘やかされて増長してしまいそうであるが、しかも世界中で両親を敬愛し老年者を尊敬すること日本の子どもの如きものはない。
 汝の父と母を尊敬せよ※・・・これは日本人に深くしみ込んだ特性である。」
(※聖書の十戒のひとつです)
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 なんだか恥ずかしくなってしまうようなほめ言葉の連続ですけど、実際、ヨーロッパ人は自分たちの文明と較べてみて、日本の文明の質の高さに驚いたのです。
 モースはこんなことも書いています。
 彼が隅田川の川開きに出かけて行った時のことです。
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 「大混雑の中でも、不機嫌な言葉を発するものは一人もなくただ『アリガトウ』『アリガトウ』あるいは『ゴメンナサイ』だけであった。かくの如き優雅と温厚の教訓!なぜ日本人が我々を南蛮(なんばん)夷狄(いてき)と呼んできたかが、段々判ってくる。」
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 当時の日本は今日の第三世界と同じでとても貧しくて科学技術が劣っていましたが、人間とその社会の質は、ヨーロッパ人とその社会から見ても驚嘆すべきものだったのです。
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◆日本の伝統社会は子ども天国だった
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 ヨーロッパ人の驚いた子育てですが、日本人には特に驚くべきことでもありません。
 遠く万葉集の時代でさえ、こんな歌が山上憶良によって歌われています。
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☆うりはめば こどもおもほゆ あわはめば ましてしのはゆ いずくより きたりしものぞ まなかいに もとなかかりて やすいしなさぬ 
〈現代語訳〉
 旅先で瓜を食べると子どものことが思われる。
 栗を食べると、まして偲ばれてならない。
 一体子どもはどこから来たものであろうか。
 まぶたに浮かんで、私を安眠させない。
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☆しろかねも くかねもたまも なにせむに まされるたから こにしかめやも
 〈現代語訳〉
 銀や金といったような物に何の値打ちがあるだろうか、何よりも大切な子どもに勝る宝物などありはしないのだ。

 このように、日本人は古来より子どもを愛し、大切に育てる文化を継承してきたのです。
 けれども昔の日本は貧しかったので栄養状態は悪いし、保険・衛生環境も悪かったので、たくさんの子どもが乳幼児期に亡くなっていました。
.
(一部削除② 削除した文は末尾に保存)
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◆太鼓ばやしに込められた心とは
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 で、奉納神事の話に、つながります。
 日本社会は3歳、5歳、7歳という節目や、前髪落とし、元服、帯解き、お歯黒など、数々の人生の節目を用意していて、そのたびに氏神への感謝を欠かしませんでした。
 その節目ごとに、子どもが歌舞伎や太鼓や相撲などの神事を奉納したのです。
  
 神さまの場で我が子が元気に演じる姿を見て、親たちはどれほど心をふるわせたでしょうか。
 よくぞここまで育ってくれたと子どもに感謝し、よくぞここまで育てることが出来たと我が身を誇りにも思い、見守り助けてくださった氏神様に感謝を捧げる・・・。
 その心と姿は、我が子の卒園式や入学式で涙する現代の親の姿と同じことですよね。
 そのように考えれば、何百年も昔の日本が少し身近になった気がしませんか?

◆体罰教育は日本の伝統と正反対

 ところで一口に日本の伝統といっても、継承したいものもあれば克服したいものもありますよね。
 太鼓ばやしについて言えば、継承したい良い伝統のことはすでに述べました。
 克服したいものとは何でしょう。
.
 皆さんは時々聞きませんか、子どもにはスパルタ教育が一番だとか、愛のムチで厳しく育てないから子どもがゆがむんだとか言う意見を。
 そういう考えは、いま見たように、日本の伝統社会に本来存在しなかったものです。
 それは日本社会が生み出した思想ではないのです。
 ではいつから現れたのかと言えば、その教育思想は、明治時代にドイツから学んだものなのです。
 文明開化のときに、科学技術といっしょに学んでしまったんです。
 たった100年ほどの歴史しかないんです。
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 ドイツの教育思想は、国民皆兵の強い軍隊を造るために、軍隊式教育を学校にもちこんだものです。
 明治日本がそれを学び、学校で軍隊式の教育を行った。
 それでスパルタ教育という考えが日本人の頭に染みついてしまったんですけど、その教育は果たして成功したんでしょうか。
 モースの文章をここで思い起こして下さい。
.
 「大混雑の中でも、不機嫌な言葉を発するものは一人もなくただ『アリガトウ』『アリガトウ』あるいは『ゴメンナサイ』だけであった。かくの如き優雅と温厚の教訓!なぜ日本人が我々を南蛮夷狄と呼び来たったかが、段々判ってくる。」
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 こういう温厚な人々が、果たして体罰や強制で育つものでしょうか。
 こんなに優雅な社会を、暴力的なスパルタ教育を受けた人間がつくれるものでしょうか。
 よくよく考えるべきことだと思います。

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 削除部分①
その理由のヒントは、つぎの言葉にあります、
. 
「七歳までは神のうち」
 子どもが生まれても七歳までは人間社会の一員ではなく、半分神さまの世界にいるようなものだという意味です。
 どうしてこのような言い伝えがあるのでしょうか。
 この言葉を通じて「太鼓ばやし」に隠された日本の心をさぐってみたいと思います。
.
削除部分②
 そこで日本人は風変わりな言い伝えを、誰ともなく口伝えで伝えるようになりました。
 七歳までは神のうち、と。
.
 若い親たちに、年寄りが言い聞かせるのです。
 いいかい、お聞き、子どもが授かったら大事に育てるんだよ、子どもというのは、親の子であって親の子ではないのだから。
 七歳までは神さまのものなんだからね、親の自由にならないんだよ、どんなことがあろうと、大切なのは、何よりもまず子どもだよ。
 でも万が一、運悪く亡くしてしまったり、貧困ゆえに育てることがかなわなくても、赤ちゃんはまだこの世のものではなかったのだから、神さまの下に帰っただけなんだから、気落ちしないようにねと慰める。
 これが日本人の子供観でした。
(削除ここまで)

 
 
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