雅子皇太子妃・徳仁皇太子・愛子内親王の現状は”第二の女系天皇問題”安倍元総理暗殺は第3の敗戦、愛子天皇は終末の敗戦だ

※当ブログでは明治典範にも違反する生前の譲位に抗議し、ブログタイトルは違法即位後も同タイトルとします。

1月27日は #戊辰戦争 開戦150年。#明治維新 の負の部分は戦後自虐史観に重なる負の遺訓

2018年01月27日 20時58分11秒 | 違法退位した第125代天皇皇后(=左翼戦後レジューム派)

今年は、明治維新(開始)から150年ということで、記念的な意味でかなり話題になっている。


当方の明治維新への見解は、一言でいえば功罪ともに多し、である。


日本の近代化と言う点では絶対に必要不可欠なことだった。


最大の功績は、2度にわたる琉球処分だ。あれがなければ、沖縄は今頃中国になっていただろう。
その他にも、産業やインフラの近代化と、得たものは大きい。
江戸幕府をはじめとする従来の日本の数々の仕組みが行き詰っていたことから考えても、日本には避けて通れない道だった。


一方、このところ言論界では、左翼界隈から、明治維新を太平洋戦争への原点とする論調が出始めている。


しかし、むしろ逆ではないか。一言でいえば、後年のGHQや戦後自虐思想、現代の左翼革命思想と重なる部分が多々あるからだ。

王政復古の大号令に至る過程は下記に述べていますので、本記事をご覧いただく前に、ご覧いただければ幸いです。


1月3日は #王政復古の大号令 なる #国家転覆 テロ150周年。天皇皇室が政権に反抗するは内なる国難


http://blog.goo.ne.jp/bluefox-hispeed/e/4f19b16239fa382f9410d15eb9fc7b18


1.GHQのさきがけとしての明治新政府勢力


大政奉還直前の討幕の密勅、それが幕府の大政奉還で失敗に終わり、今度は王政復古の大号令という政権強奪、そして戊辰戦争終結までに至る過程は、明治新政府勢力による国家転覆(江戸幕府転覆)だったことを、特に強調したい。薩摩下級武士を中心とする新政府勢力は、欧米列強に目を奪われすぎて外国にかぶれ、それまでの日本のありようのほとんどすべてを否定し解体してしまった。その有様たるや、GHQの占領政策や、戦後の自虐史観と重なってくる。洋風化といい身分制度の旧変革(特に武士身分をつぶしたこと)といい、その端的な一例だろう。


とりわけ、明治政府の最大の失敗は天皇を政治・軍事に関与させたことだ。


天皇は現人神であられ、神道の祭司長であられるのに、明治政府はそれを理解していたのだろうか?


大日本帝国憲法の制定されたときにも公家衆から「帝に軍服を着せるとは何事か」との批判があったという。


2.薩摩勢力の卑劣①


幕末の動乱期になり、薩摩藩は中央政界で主導権を握ろうと様々な工作を始めていた。しかし、のちの将軍一橋慶喜の政治力にかなわず、武力倒幕に傾倒していった。朝敵とされていた長州藩と密約を結んでいたのだが、これでは薩摩も朝敵の仲間ではないか。彼らは幕府を、徳川将軍家を、徳川慶喜を、問答無用で、完全に滅ぼす気でいたのである。幕府が大政奉還を拒むと見込んで、それを口実に決行する気だった。


一方の土佐藩はといえば、薩摩のそういう姿勢とは一線を画し、大政奉還を幕府に提案した。それを幕府が蹴ったなら武力倒幕という姿勢だったのである。


そして、当の幕府は、薩摩らの目論見に反して、内乱を防ぐために大政奉還を選択した。


面白くない薩摩は、上記の前回記事で述べた通り、卑劣にも御所を封鎖し、新政府宣言をしたのである。


上記より自己引用


>150年前の事件を今風に言えば、立憲民主党や山本太郎、沖縄知事翁長らが皇居に押しかけ、皇室側も「陛下の御意」で招き入れて、内閣を否定する独立連合政府宣言をした、とでもなりましょうか。


3.薩摩勢力の卑劣②


新政府は自分たちの討幕を正当化するために、旧幕府に兵を上げさせる=先に手を出させようと画策し、討幕の密勅前後から、江戸で騒動を起こしたりしていたのだ。そしていざ旧幕府が挙兵すると、錦の御旗を掲げて、幕府や幕府側大名を賊軍に仕立てたのである。


この錦の御旗が、慶喜はじめ幕府側勢力に大きな衝撃を与え、敗れ去っていく一因となった。


謀反人・賊軍だったはずの薩長が錦の御旗を挙げ、まだ暫定政権だった徳川幕府を賊軍に仕立て上げた加害者被害者逆転詐欺。


さらに、長州は孝明天皇から朝敵とみなされたにも関わらず、裏で長州と密約した薩摩はいわば隠れ朝敵。それを王政復古や鳥羽伏見で、幼き明治大帝の政治利用で己を正義に、幕府を悪者に仕立てて内乱!


4.歴史の教訓として


松平定信の時代には光格天皇の尊号一件騒動もあった。


幕末には孝明天皇が幕府方針の開国に反対して、国中に大混乱を引き起こし、大勢の命が失われた。


そして戊辰戦争では、天皇の名のもとに明治テロ政府が正当化されたのだ。


このことは、名目だけであっても天皇の政治介入がいかに恐ろしいことであるかを物語っている。


注意してほしいのは、討幕の密勅から戊辰戦争終結までは、明治天皇が十代前半であられ、ことのご判断は到底無理な状況であったこと。


実質的には天皇不在。勅命も錦の御旗も、周りの者が偽造したに等しいのだ。


翻って、平成は天皇陛下御自身の意思による政治介入。生前退位騒動に、数々の政治発言、非常に危険だ!


江戸時代ですら大政委任論で政治は幕府に任されていた。現代は法で天皇の政治介入はさらに明確に禁止されている。


それでも実際に天皇が口を開けば誰も逆らえなくなる。


来年の代替わりの後、例えば、愛子内親王立太子を新天皇が公言すれば、もはや第二の戊辰戦争(武力という意味に限らず)になりかねない。


当時と違うのは、今は国民主権であり、国民に物申す権利があること。下々から「なりません!」と声を上げて抗議し続けることができる時代だということは忘れたくない。


※本記事については、日本史の面で読者様からの御助言をいただきつつ執筆いたしました。また、ツイッターの同志の方々から学ばせていただいたことも加筆しております。厚く感謝いたします。




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