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「日韓がタブーにする半島の歴史」室谷克実氏(1)・・日本人が新羅の王となったことが韓国の史書に明記されている

2017-05-06 | アジア



朝鮮半島の歴史を知りたいと思い、室谷克実氏著「日韓がタブーにする半島の歴史」を読んでみました。
リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。

この本から何を読み取るかは各自の判断だと思いますが、わたしは、日韓どちらが偉いという視点ではなく、日本と朝鮮半島の人々は古来から交流を持ち、深いえにしを持つ間柄であるということを検証したく、その一資料として読みました。

            *****

          (引用ここから)

「古代、日本列島の倭人は、朝鮮半島の民族から、稲作をはじめとする様々な先進文化を教えられ、国の基礎をつくり発展させてきた」ーーこれは「日本人の常識中の常識」だろう。

韓国人もまた、そう信じて疑わない。

しかし私は今、この常識に異議を唱えたい。


倭人は、半島の民族から様々なことを教えられたどころか、半島に初めて統一国家を築く「新羅」の基礎作りを指導したのは、実は倭人・倭種であり、新羅も百済も、倭国のことを文化大国として敬仰していたのだ。


「そんな馬鹿な」と、日本人も韓国人も言うだろう。

しかし日本でも、韓国でも、今やほとんど読まれることがなくなった半島や中国の古史書をすなおに読んでいくと、浮かび上がってくるのは、常識とはおよそかけ離れた列島と半島の古代関係史の姿なのだ。


たとえば半島に伝わる最古の正史(官選の歴史書)である「三国史記」には、

「列島から流れてきた「脱解(タレ)」という名の賢者が長い間、新羅の国を実質的に取り仕切り、彼が4代目の王位につくと、倭人を総理大臣に任命した」とある。


「その後、「脱解」の子孫からは7人が新羅の王位につき、一方で倭国と戦いながらも新羅の基礎を作っていった」ことが記載されているのだ。

半島の王の命令を受けて書かれた、半島の「正史」に、そうした内容が書いてあるのである。


あるいは、7世紀半ばに完成した中国の正史「隋書」には、次のようにある。

「新羅も百済も、倭国を大国と見ている。

すぐれた品々が多いためで、新羅も百済も倭国を敬仰し、常に使節が往来している」。


「隋書」を編纂していたのは唐の最高の知識人たちであり、倭国ー新羅、倭国ー百済の関係を、このように見ていたのだ。


「三国史記」が出来上がったのは12世紀、高麗王朝の時代だ。

高麗王朝は「伝統ある新羅から禅譲を受けた王朝」という形式を整えつつあった。

そうした高麗王朝にとって、「新羅の基礎は倭人が創った」という危うい話を正史に記載することにどんなメリットがあったのだろうか?(=メリットがあるから記載されたのである)


●「三国史記」とはどんな史書なのか?

朝鮮半島に新羅、高句麗、百済の3つの国があった時期を「三国時代」と呼ぶ。

やがて新羅が半島を統一して、「統一新羅時代」に入る。

しかし新羅の腐敗による統治能力の低下に伴い、半島内では2つの勢力が台頭して、抗争が激化する。

その中から、新羅の国を挙げての帰服により、高麗が半島を統一する。

そこまでが「三国史記」の記述の対象だ。

1143年頃に編纂が開始され、1145年に完成した。



●「三国遺事」は、高麗の名僧・一然が編んだものであり、官選ではない。

完成したのは「三国史記」より百数十年後の1280年代中頃とされている。

半島に残る史書としては、二番目に古い。

「日本神話の原型」と一部の人が主張する「檀君神話」や「金首露神話」も、今日に伝わる原資料は、この「三国遺事」に収録されている。



「三国史記」の第1巻に、列島から流れてきた賢者が2代王の長女を娶り、4代目の王につく話が載っている。

その賢者の姓は「昔」、名は「脱解(タレ)」だ。


「新羅本記」は、「脱解」についての記述に、初代王の生誕説話の倍以上の文字数を費やしている。


「脱解」はそもそも「多婆那国」の生まれだ。

その国は倭国の都から東北1千里にある。


女国から嫁いできた「多婆那国」の王妃は、妊娠して7年目に大きな卵を産んだ。

王は、「人が卵を産むとは不吉である」として、捨てるよう命じた。

そのため王妃は、卵を宝物と共に、櫃(ひつ)に入れて海に流した。

櫃(ひつ)は、最初、金官国に漂着した。

しかし誰も怪しんで取り上げようとせず、次に辰韓の海岸に流れついた。

老婆が櫃を開けてみると、少年がいた。

その時、櫃に従うように、かささぎが飛んでいた。

かささぎは、古来吉鳥とされる。

そこで、かささぎの字の一部をとって「昔」を姓とした。

櫃を開けて取り出したので、名を「解」とした。


この説話により、「脱解(タレ)」という人物は、卵から生まれたとされていて、その生国である「多婆那国」とは「倭国から東北1千里の海岸に面した地にあった」ことが分かる。


漢字文化圏の史書に「〇〇国から〇〇里」とある場合、その起点は〇〇国の首都だ。

当時の倭国の首都が、博多湾周辺にあったのか?、近畿地方にあったのか?

日本史研究者の見解は、二つに分かれている。

九州王朝論者は、博多湾から東北400キロあたりを見ればいい。

近畿王朝論者は、大阪湾あたりから東北400キロの地点を見ればいい。

鳥取県東部から、但馬地方あたりか、あるいは新潟県あたりになる。


「新羅本記」の記述からは、多婆那国が「ここにあった」とは特定できない。

しかし、日本列島の日本海側、因幡継方から新潟県あたりまでの海沿いの地にあったことは確実に読み取れるのだ。

            (引用ここまで・続く)


              *****

この本を手に取り、興味深く読みました。

著者は時事通信社のソウル特派員を長く勤め、現在は、たくさんの著書を手がけておられるようです。

眠っていたような資料を、眠りから起こすように掘り出しているので、とても理解しずらいのですが、ご紹介したいと思いました。


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