日本国内の旧石器時代の発見に関する記事を3つご紹介します。
いずれも時間がたっていまして、すみません。
18000年前に、日本国内で旧石器人がどのように移動していたかを調べたの記事です。
少し古い記事ですが。
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「旧石器時代に700キロ移動・・石器、北海道から山形へ」
朝日新聞 2012・11・05
国内有数の黒曜石産地である北海道遠軽町白滝の黒曜石で作られた石器片が、18000年前の旧石器時代に、700キロ離れた山形県南西部まで運ばれていたことがわかった。
旧石器時代人が直接持ち込んだ可能性が高く、当時の人々の行動範囲などを推定する上で重要な発見だ。
石器片は、湯の華遺跡(山形県小国町)で1985年に出土。
石器作りの際に出た破片を文化庁の研究グループが分析した結果、長さ3センチ~5センチの3点の組成が白滝の黒曜石と一致した。
細石刀と呼ばれる石器が一緒に出土しており、後期旧石器時代細石刀期後半(18000年前~16000年前)のものと推定される。
博物館長によると、旧石器時代に石器や原料の石が長距離運ばれたものには、青森県深浦の黒曜石が450キロ離れた長野県野尻湖周辺で見つかった例などがある。
館長は「旧石器人はあまり交易をしていなかったと考えられ、北海道から山形まで石器を携えたまま移動してきていた可能性が高い」と見る。
安蒜政雄・明大教授は
「18000年前に、北海道から東北南部へ人々が移動していたことが証明された意義は大きい。
海外では朝鮮半島北部の石材がロシア沿海州まで持ち込まれた例などもあるが、日本列島の旧石器人も相当長距離の移動をしていたということだろう」と話している。
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次は島根の記事です。
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「出雲から国内最古の旧石器・・12万年前の地層から出土」
読売新聞2009・09・29
島根県出雲市の砂原遺跡で、中期旧石器時代(130000年前~35000年前)の約120000年前の地層から、国内最古級とみられる旧石器20点がみつかったと松藤和人・同志社大教授(旧石器考古学)を団長とする発掘調査団が発表した。
調査団によると、国内最古とされてきた金鳥遺跡(岩手県遠野市、訳90000年前)を約30000年さかのぼる可能性がある。
日本列島で人が活動をはじめた起源を遡る貴重な資料になるという。
8月に出雲市在住の地形学者が、砂原遺跡の地層の断面が露出した崖で、鋭い石片を発見。
調査団が9月から発掘調査した。
この崖を調べたり、地表から約2メートル掘り下げたりしたところ、約11万年前の火山うんあで埋もれたさんべ木次火山愛想と、約128000年前の砂瓦礫層の間の地層から、旧石器とみられる長さ約5~1・5センチの石片20点が出土した。
松藤教授は「石器にはいずれも剥離跡と人が力を加えた部分があった。
また、発掘した地層の石は主に安山岩系で、石器に使われた石英がるうもん岩とはまったく異質で、石器は外部から持ち噛まれた可能性があると考えられる」と話している。
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次は神奈川の発見の記事です。
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「神奈川で23000年前の住居跡が出土」
朝日新聞2009・08・20
神奈川県相模原市の小保土遺跡で、約23000年前のものと考えられる礫(れき)群が見つかった。
旧石器時代人が短期間住んだ跡の「住居状遺構」である可能性が高く、この種のものでは日本最古。
日本列島における住居のはじまりを考える、貴重な証拠となりそうだ。
出土したのは、百数十個の礫(れき)からなる礫群三基。
調査をおこなっている「かながわ考古学財団」によると、礫群は直径2・5~3・5メートルの円形で、円の内側からは、少量の石器とともに、細かい炭化物が集中して出土しており、火が使用されていた可能性が高い。
円の外側では、多量の石器のくずや製品が出土しており、石器の制作作業が行われていたらしい。
礫群の内側と外側で異なった痕跡が確認されることから、礫の内外を区別する意識が存在したようだ。
明治大の安蒜(あんびる)政雄教授(考古学)は、「非常に貴重な事例で、住居状遺構と見てよいのでは。
3つの遺構はコンパクトで、共同施設というより、個々の家として建てられたように見える」と評価する。
旧石器時代の家は、柱穴が細く、深い竪穴もにないことなどから、住居跡を特定することが難しい場合が多い。
今回のように家である可能性が高い遺構は、一般に「住居状遺構」と呼ばれる。
小保土遺跡の礫群は、火山灰層として知られる関東ローム層の第1黒色帯と言われる土の層の下部から出土しており、放射性炭素を使った年代測定では、約23000年前という数値が出た。
これまで日本最古だった、同市の田名向原遺跡(97年出土)の20500年をさかのぼる。
相模野大地に古い住居状遺構が多い理由についてはよく分からないが、定住を考える上で重要な地域であることは確かで、調査中の遺構についても、より慎重な検討が必要となる。
礫群は国道予定地に立地しているが、遺構を切り取る形などでの保存も含め、今後の取り扱いに注目が集まりそうだ。
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「ブログ内検索」で
旧石器 11件
北海道 15件
黒曜石 4件
などあります。(重複しています)
いずれも時間がたっていまして、すみません。
18000年前に、日本国内で旧石器人がどのように移動していたかを調べたの記事です。
少し古い記事ですが。
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「旧石器時代に700キロ移動・・石器、北海道から山形へ」
朝日新聞 2012・11・05
国内有数の黒曜石産地である北海道遠軽町白滝の黒曜石で作られた石器片が、18000年前の旧石器時代に、700キロ離れた山形県南西部まで運ばれていたことがわかった。
旧石器時代人が直接持ち込んだ可能性が高く、当時の人々の行動範囲などを推定する上で重要な発見だ。
石器片は、湯の華遺跡(山形県小国町)で1985年に出土。
石器作りの際に出た破片を文化庁の研究グループが分析した結果、長さ3センチ~5センチの3点の組成が白滝の黒曜石と一致した。
細石刀と呼ばれる石器が一緒に出土しており、後期旧石器時代細石刀期後半(18000年前~16000年前)のものと推定される。
博物館長によると、旧石器時代に石器や原料の石が長距離運ばれたものには、青森県深浦の黒曜石が450キロ離れた長野県野尻湖周辺で見つかった例などがある。
館長は「旧石器人はあまり交易をしていなかったと考えられ、北海道から山形まで石器を携えたまま移動してきていた可能性が高い」と見る。
安蒜政雄・明大教授は
「18000年前に、北海道から東北南部へ人々が移動していたことが証明された意義は大きい。
海外では朝鮮半島北部の石材がロシア沿海州まで持ち込まれた例などもあるが、日本列島の旧石器人も相当長距離の移動をしていたということだろう」と話している。
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次は島根の記事です。
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「出雲から国内最古の旧石器・・12万年前の地層から出土」
読売新聞2009・09・29
島根県出雲市の砂原遺跡で、中期旧石器時代(130000年前~35000年前)の約120000年前の地層から、国内最古級とみられる旧石器20点がみつかったと松藤和人・同志社大教授(旧石器考古学)を団長とする発掘調査団が発表した。
調査団によると、国内最古とされてきた金鳥遺跡(岩手県遠野市、訳90000年前)を約30000年さかのぼる可能性がある。
日本列島で人が活動をはじめた起源を遡る貴重な資料になるという。
8月に出雲市在住の地形学者が、砂原遺跡の地層の断面が露出した崖で、鋭い石片を発見。
調査団が9月から発掘調査した。
この崖を調べたり、地表から約2メートル掘り下げたりしたところ、約11万年前の火山うんあで埋もれたさんべ木次火山愛想と、約128000年前の砂瓦礫層の間の地層から、旧石器とみられる長さ約5~1・5センチの石片20点が出土した。
松藤教授は「石器にはいずれも剥離跡と人が力を加えた部分があった。
また、発掘した地層の石は主に安山岩系で、石器に使われた石英がるうもん岩とはまったく異質で、石器は外部から持ち噛まれた可能性があると考えられる」と話している。
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次は神奈川の発見の記事です。
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「神奈川で23000年前の住居跡が出土」
朝日新聞2009・08・20
神奈川県相模原市の小保土遺跡で、約23000年前のものと考えられる礫(れき)群が見つかった。
旧石器時代人が短期間住んだ跡の「住居状遺構」である可能性が高く、この種のものでは日本最古。
日本列島における住居のはじまりを考える、貴重な証拠となりそうだ。
出土したのは、百数十個の礫(れき)からなる礫群三基。
調査をおこなっている「かながわ考古学財団」によると、礫群は直径2・5~3・5メートルの円形で、円の内側からは、少量の石器とともに、細かい炭化物が集中して出土しており、火が使用されていた可能性が高い。
円の外側では、多量の石器のくずや製品が出土しており、石器の制作作業が行われていたらしい。
礫群の内側と外側で異なった痕跡が確認されることから、礫の内外を区別する意識が存在したようだ。
明治大の安蒜(あんびる)政雄教授(考古学)は、「非常に貴重な事例で、住居状遺構と見てよいのでは。
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旧石器時代の家は、柱穴が細く、深い竪穴もにないことなどから、住居跡を特定することが難しい場合が多い。
今回のように家である可能性が高い遺構は、一般に「住居状遺構」と呼ばれる。
小保土遺跡の礫群は、火山灰層として知られる関東ローム層の第1黒色帯と言われる土の層の下部から出土しており、放射性炭素を使った年代測定では、約23000年前という数値が出た。
これまで日本最古だった、同市の田名向原遺跡(97年出土)の20500年をさかのぼる。
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