始まりに向かって

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脱原発の展望とニューエイジ(1)・・原子力は人類を滅亡させる

2011-11-17 | 環境(ガイア)

中沢新一氏の「日本の大転換」の図書館の予約の順番がやっと回ってきたので、読んでみました。

読んでいて、エコロジー思想は革命的思想である、という思いを新たにしました。

そういう思想の歴史は、ずいぶん長いものであるとも思いました。

1982年に初版が出され、1995年に改定版が出されたフリッチョフ・カプラの「新ターニング・ポイント」を見ると、そこにも原子炉という孤独な炉の運命を見据えた人がいることに思い至ります。

少し引用してみたいと思います。

リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。



              *****


           (引用ここから)


1970年代に世界は、地球上の化石燃料が不足し、どうみても在来エネルギー源の減少は避けられないことに気づいて慌て始めた。

先進工業国は代替エネルギー源としての原子力発電に対する活発なキャンペーンに乗り出した。

「エネルギー危機をいかに解決するか?」という議論は普通、「石油、石炭、石油によるエネルギー生産に比べて原子力のコストと危険性はどうなのか?」という問題に絞られる。

しかしエネルギー危機に関する現実的な議論は、もっと広い視野、つまり現在のエネルギー不足の遠因と、それが今日直面している他の重大な諸問題とどう関わっているのかを考慮に入れた立場から出発しなければならない。

すなわちエネルギー危機の克服に必要なものは、エネルギーの増産ではなく、削減である。

高まる一方のエネルギー需要は、我々の経済総体の拡張とテクノロジー体系の反映なのだ。


エネルギー需要は、我々の「個人的・社会的病理」の多様な徴候を作りだすことに大きく寄与し、天然資源を枯渇させる「無制限な成長」という社会様式から生まれたものである。

とすれば、エネルギーとは、社会的、生態的バランスを測定する重要なパラメーターだと言うことができる。

現在のように高度にアンバランスな状態の下では、エネルギーの増大は問題解決より、むしろ悪化の方に傾く。

それは鉱物や金属、森林や魚を枯渇させるばかりか、公害の増大、化学毒物の増大、社会悪の増大、癌の増大、犯罪の増大をも意味する。

この多面的な危機の克服に必要なのは、より多くのエネルギーではなく、価値基準、心の持ち方、生活様式における深部からの変革なのである。

この基本的な事実さえ分かれば、エネルギー源としての原子力利用が愚の骨頂であることは明らかだ。

原子力はすでに限界にきている石炭による大規模なエネルギー生産の生態学的影響を何桁も上回る大きさでしのぎ、何千年にもわたって我々の自然環境を汚染し続ける恐れがあるのみならず、人類という「種」を絶滅させる恐れさえあるのである。

原子力は、明らかに病理学的水準にまで達している「自己主張」および「支配」という強迫観念が推進力となって辿り着いた、もはや手に負えないテクノロジーの最も極端な事例を代表するものである。


原子力を以上のような言葉で述べながら、わたしは核兵器と原子炉の両方に言及しているつもりだ。

この二つの用途が不即不離の関係にあるということは、核テクノロジーに固有の属性である。

原子力という言葉そのものに、二つの結合した意味がある。

「力」には単に「エネルギー源」という専門的な意味ばかりでなく、「支配の所有あるいは他への影響」という、より一般的な意味もある。

原子力の場合、この二つの意味は分かちがたく結びつき、今日、その両方がともに我々の生存と安心に対する最大の脅威になっているのだ。


核テクノロジーは現在特に第三世界で開発が推進されている。

その推進の目的は、第三世界諸国のエネルギー需要を満たすことではなく、それぞれの国で天然資源を採掘している多国籍企業ができるだけ速やかにエネルギー需要を満たすことにある。

それでも第三世界の政治家たちは核テクノロジーを歓迎することは多い。

それは核兵器の開発に応用する機会が与えられるからだ。

それらの国々がアメリカ式のテクノロジーを求め、アメリカ的な行動様式を模倣し、攻撃的な恫喝のために自国の原子力を行使することは予測に難くない。


           (引用ここまで・続く)
 

        *****


wikipedia「フリッチョフ・カプラ」より

フリッチョフ・カプラ(1939年2月1日 -)は、オーストリア出身のアメリカの物理学者である。

現代物理学と東洋思想との相同性、相補性を指摘した1975年の『タオ自然学』が世界的なベストセラーとなり、その名が広く知られるようになった。


ウィーン生まれ。1966年、ウィーン大学で理論物理学の博士号を取得。

専門は、素粒子物理学とシステム理論。

現代物理学と東洋思想との相同性、相補性を指摘する一連の書籍は、世界中で幅広い読者層を得ている。

とりわけ1975年の『タオ自然学』は、当時のディープエコロジー、ニューエイジ・ムーブメントの流れにあって、一大ベストセラーとなった。

エコ・リテラシー

エコ・リテラシーとは、自然の原理を理解し、それに則って生きるための教養。

この自然の原理は、「ネットワーク」、「入れ子システム」、「サイクル」、「フロー」、「発展」、「動的平衡」の6つの概念にまとめられている。

近年は、これらの概念を社会学的に展開しているマニュエル・カステルやジョン・アーリらとの交流もみられる。



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