「南海文明・グランドクルーズ・・南太平洋は古代史の謎を秘める」という荒俣宏氏・篠遠喜彦氏共著の本の中の、荒俣氏のお話の部分をご紹介を続けます。
リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。
映画「コン・ティキ」予告編・・ユーチューブ
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(引用ここから)
ヘイエルダールは、戦後になって、新しい方法で自分の仮説を証明する冒険を敢行しました。
「ポリネシアはアメリカ大陸から文化を移入した」という考えを立証するには、実際に当時と同じ材質の舟をこしらえて太平洋を横断してみればいいではないか?、と彼は考えました。
そして伝説にあったような大きなバール材のいかだを作り、そのいかだで太平洋に乗り出して、南太平洋の島々に着けるかどうかという実験をやりました。
これが有名な「コン・ティキ号の冒険」です。
「コン・ティキ」というのは、ビラコチャの神様です。
南米の神様の名前をつけたのも当然なのです。
コン・ティキ号は1947年4月、ペルーから出発しました。
いかだに乗って漕ぎ出した南太平洋。
なかなか劇的なことですね。
そしてヘイエルダールは101日かけて、ポリネシアのトゥアモトゥ諸島に本当に到着してしまいました。
それまで南太平洋を研究するほとんどの学者は、現地で調査された情報を得て、ヨーロッパやアメリカあたりで文献資料を調べたりすることがメインで、体験によって、再現によって成功させるという新しい方法を採る人はいませんでした。
それをヘイエルダールは自ら実験して、みごと成功してしまいました。
次に彼は、今度はいかだではなく新しい板舟を仕立ててイースター島に行き、さまざまな調査をしました。
そして、「南米からイースター島に人々が渡ってきたのではないか?」という証拠を求めました。
これはなかなかすごいことでありました。
まさに科学的な好奇心をベースに置いて、想像を実証するために自分自身を捧げたのです。
これも、南米でインカの文化を見て、そのつながりというのを直観的に信じたからだと思います。
彼がすごいのは、それだけで終わらなかったことです。
「〝白い肌の、髭の生えた人″とはいったい何者だ?」
「南米から南太平洋まで、ずうっと文明や文化を伝達した〝この人物とは誰なのか?″」
この謎がヘイエルダールの心に、最後まで引っかかっていました。
モアイ像を見ても、なんとなくヨーロッパ人のような顔をしているので、それはヨーロッパ人ではないか?という思いをさらに強くしました。
いったい誰だったのか?
そうなると、今度は大西洋を渡ってアメリカ大陸にやってきた旧世界の人々を探り出さなければなりません。
南米で使われている葦舟は、古代エジプトで使われていたものとよく似ていました。
では、エジプト人が葦舟で大西洋を渡れたのか?
これも実験してみる他に答えを出す方法がありません。
結論を出そうと、彼は1969年にもう一つの冒険をやりました。
これが「葦舟ラー号の冒険」というものです。
彼はいろいろと話を聞いて、ついに「白い肌をした髭の生えた人」のルーツをみつけた、と自分で確信しました。
それは誰かというと、エジプト人だったのです。
「セム系の人種」と言い直した方がいいと思いますが、旧大陸のエジプトの人々がその文明を伝達した本家だったのではないか?と思いました。
そしてそれを立証するために、葦舟で大西洋を渡ってみたい。
大西洋を渡ってやろう、という決意をしました。
そこで「ラー号」という舟を作り、旧大陸から新大陸へ渡る実験をしました。
そして2回目に見事に成功してしまいました。
着いた所が、バルバドスです。
ということは、やろうと思えばできないことはない、ということでしょう。
つまり彼が考えたように、エジプトの人々がアメリカ大陸にまで渡った可能性があると実証された。
チチェン・イツァにはエジプトの服装をした人物の壁画が残っているくらいですから、二大陸間の大航海は普通に行われていて、文化が伝播した可能性がある。
その可能性を具体的に身をもって示そうとした人物が、このヘイエルダールであります。
ところが、ビラコチャの原型がエジプト人だったことを「ラー号の冒険」で実証したと思ったヘイエルダールは、もっと先に行ってしまいます。
「考えてみれば、エジプト人だって5000年ほど前に急に大文明を築き上げ、ピラミッドを建てはじめたのではなかったろうか?
だとするとエジプト人にすら「ビラコチャ」がいて、もっと別の人々がエジプト人に文明を教えた可能性がある。
それは誰だったのか?」と。
歴史的に見れば、エジプトより古い文明はメソポタミアとインドである。
この3大文明はつながりあっていたに違いない。
そう考えたヘイエルダールは、1978年に再び「チグリス号」という巨大葦舟を作り、メソポタミアのチグリス川を下って、ペルシア湾からインド洋を通り、紅海を経てエジプトへたどり着くという、第3の冒険を実行しました。
いったい何という人物でしょうか?
彼は、「文明の源はまだ見つかっていない」、と言います。
ヘイエルダールが面白いのは、懲りずにやったことですね。
普通だったら、多分止めます。
最初の「コン・ティキ号」で止めると思います。
それだけできっと、名誉はずっと保たれたと思うんです。
エジプトから南米まで渡ってしまいますと、やはりちょっと話が飛躍しすぎるきらいがある。
しかし彼は自分の方法論で追及して、自説を最後まで貫くために、そういう所まで行かざるを得なかったのです。
(引用ここまで)
(写真(中)はわたしが撮った海、写真(下)は「エジプト展覧会カタログ」より「ミイラ口開きの図」です)
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>「考えてみれば、エジプト人だって5000年ほど前に急に大文明を築き上げ、ピラミッドを建てはじめたのではなかったろうか?
だとするとエジプト人にすら「ビラコチャ」がいて、もっと別の人々がエジプト人に文明を教えた可能性がある。
それは誰だったのか?」と。
大変大きな命題に行きつきました。
私達は、人類の謎を解くことは、できるのでしょうか?
ノルウェーの「コン・ティキ博物館」HP「The Kon-Tiki Museum」
「映画「コン・ティキ」=トール・ヘイエルダールJr.さんに聞く「父の思い継ぎ100%納得の出来」
上の息子さんのインタビュー記事によると、息子さんは海洋学者になり、お父さんの、後の航海=ラー号やティグリス号の航海の際には、海流や風の読み方をお父さんにアドバイスする〝同僚のような”間柄となったそうです。
そして、映画で使われた「いかだ」は、なんと孫がペルーからポリネシアに行くのに実際に使ったものだそうです。
息子さんは現在は、上の「コン・ティキ博物館」の理事をしているそうです。
男のロマンを求めてやまないヘイエルダールの、人間としての魅力を、子や孫が今も守り、引き継いでいると知り、とても嬉しい気持ちになりました。
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