須藤徹の「渚のことば」

湘南大磯の柔らかい風と光の中に醸される
渚の人(須藤徹)の静謐な珠玉エッセイ集。

いのちの移ろい─相澤啓三著『冬至の薔薇』(詩集)より text 206

2010-03-15 05:48:44 | Weblog
梅の花のピークが過ぎつつ、その代わりに小宅の二本の杏の木が、薄いピンクの花(写真参照)をたくさん咲かせている。桜の花と似ているけれど、こちらは、いつも桜より少し早く咲くし、色もやや濃い。バラ科のこの植物は中国原産で、梅とともにわが国に伝わった。長野県千曲市(旧更埴市)では毎年4月に「あんずまつり」が行われ、俳句も募集する。この二本の杏の木は、次男の娘が6年前に誕生した際に、記念樹として植えたものである。その後一家は、彼の北海道(札幌市)転勤にともない首都圏を離れたけれど、この杏の花により、しっかり4人家族の健在を主張しているようで、何とも微笑ましい。

当の娘は今年4月に晴れて小学校1年生になり、下の娘も3歳になって、広大な敷地をもつ(馬などがいる)札幌市の私立幼稚園に入る。また今年は、長男の娘も1歳の初節句を祝うことになり、3月10日(水)、家人とともに首都圏に住む一家へお祝いに行ってきた。この日のために、長男一家は飾り付けたお雛さまを片付けずに、私たちを歓迎してくれた。一家は、昨秋西武線沿線にマンションを購入して住み替えを行ったことにより、家具の配置などで一時忙しなかったけれど、ようやく一段落して落ち着きを取り戻した。こちらの娘のためには、昨年小宅の庭にブルーベリーの木を2本植えて、記念樹にしたけれど、これも順調に成長している。

ともあれ息子たちの3人の娘が、すくすく育ち、それぞれ節目の祝典の儀にふさわしい春を迎えたことは、何にもまして喜ばしいことであろう。小宅の杏の花には、全長12cm前後で、スズメよりやや小さいメジロがよくたずねてくる。これを見ていると、まるで娘たちと戯れているように思える。雌雄同色のメジロは、緑がかった背と暗褐色の羽を持ち、目の周りに白い輪がある。ちなみにイギリスでは、メジロ科に属する鳥を<White-eye> と呼ぶそうだ。娘たちの母親は、それぞれにブログで楽しい写真入りの育児日記を書き、全国(全世界?)に発信しているので、このブログを読むことにより、ほとんどそばで一緒に生活しているような感覚になることもある。

つがうためかと思われた。
薔薇のパーゴラと池の間のテラス、
煉瓦敷きの目地をついばむ白い鳩に
灰色の太った鳩がいどみかかる。
薄汚れた白い鳩の目のふちは赤くただれ、
灰色の鳩はその目のあたりをめったやたらにつつく。
攻撃されてもただばたつくだけの見苦しいものへの
抑えようもない嫌悪が自己嫌悪を招く。
弱者が逃げてやっと見ることの縛りがとけ、
煉瓦敷きのチャンプとなった鳩を追って
そこで何をついばんでいたのか覗きこむ。

──何もない──何も。秋の傾いた日射しの他は。
そう(存在するものの比喩を使えば)
ないが秋空一杯の翼を閉じるように
きみに襲いかかるまでは。

*相澤啓三著『冬至の薔薇』(書肆山田)の「非在のノイズ」より一部転載

2005年に高見順賞を受賞された詩人の相澤啓三さん(1929年山梨県生まれ)より、このほど詩集『冬至の薔薇』を贈られたので、上記の部分を掲出させていただいた。相澤さんはすでに詩集(詩画集含む)を20冊近く出され、また音楽でも『音楽という戯れ』(三一書房)、『オペラの快楽』(増補改訂文庫版二巻本/宝島社)などを出版される著名な音楽評論家でもある。渚の人は、『五月の笹が峰』、『孔雀荘の出来事』、『風の仕事』(歌集)、『マンゴー幻想』(高見順賞)、『交換』などのすばらしいご著書を恵まれた。『冬至の薔薇』のラストに配置された「まだ見ぬかたの花」の詩の一部には、西行の<吉野山こぞのしをりの道かへてまだ見ぬかたの花を尋ねむ>(新古今和歌集)の歌をおいて、次のようなことばを紡ぐ。

ふけてゆく春はそのうつろいのうちにとどまり
いつ死んだとも知らず
ぼくは時を越えた点景となり
どことなりともまだ見ぬかたの花に紛れる
たといどんな終わりかたをしようと
願わくは これがぼくの愛する者の
見つづける光景であろうことを

*相澤啓三著『冬至の薔薇』(書肆山田)の「まだ見ぬかたの花」より一部転載

非在と存在へのかけがけのない視線から、はかないいのちの移ろいを凝視し続ける詩人の詩集は、すべて瀟洒な本造りで定評のある書肆山田(東京都豊島区)の制作。内外文字印刷株式会社の所有する、岩田明朝体の柔らかい活字で印刷された詩集は、どこまでも美しく繊細である。それが読者のイマジネーションを鋭く掘り起こす。

胸灌(そそ)ぐ夜の杏は二ルーメン  須藤 徹
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新古今和歌集 音楽評論家 1929年 私立幼稚園
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