私が、ベイリーの訃報を知ったのは、
4月29日の朝のことだった。
家電の音に慌てて飛び起き、受話器を取ると、
「ユミ・・・」
と、力のないデビーの声が、
強烈に脳に浸み込んで、目が覚める。
メチャメチャ嫌な予感がした。
電話はお金がかかるから、メールとスカイプで、
連絡を取り合うようにしていたのに、
掛けてくるというのは、緊急以外にありえない。
「デビー?」
と訊くと、
「・・ベイリーが亡くなったの・・・」
と言ったあと、言葉は涙に変わった。
予感的中で、頭の中はまっ白になる。
泣きながら、とぎれとぎれに、
「VSKで亡くなったのよ・・。
今からママと行ってくるわ・・・。」
と、やっとの思いで声を押し出したあと、
短い電話は切れた・・。
突然過ぎて、何も考えられない。
脳が変な汗をかき、全く動かない。
受話器を持ったまま、
私は、しばらく固まっていた・・。
キーランに続き、
ベイリーまで失ったデビーを思うと、
本当に可哀想で仕方がない。
彼女は、全てのこどもを失ってしまったのだ。
この世界で、これ以上の悲しみがあるだろうか?
想像できないほど恐ろしいこの現実に、
自分が何をすべきなのか解らない。
「デビーにしてあげられることはなんだろう・・?」
何とか考えを集中させようとしてみたが、
その日は、どうしても脳が作動せず、
じわじわ押し寄せる悲しみで、
いっぱいになってしまった。
ベイリーが旅立つことになった原因は、
やはり発作だった。
4月25日から1週間レスパイトをする予定で、
VSKで過ごしていたベイリーは、
滞在直後から、発作が頻繁にきていた。
神経内科医が3日連続で診察に訪れるほど、
発作が酷くなっていた矢先、
重責発作を起こしてしまい、
そのまま天国へと、旅立ってしまったのだ。
神経内科医の話によると、
ベイリーは、度重なる発作のために、
疲れきって眠ってしまったらしい。
その間に、再び連続発作が襲い、
ベイリーは眠ったまま、逝ってしまったのである。
デビーたちがVSKに到着すると、
職員が、ベイリーの眠る個室へ案内してくれた。
永遠の眠りについたベイリーを見て、
デビーは、どれほどつらかったことだろう。
その後、
家族だけにして貰った部屋へ、
神経内科医と、Ozchildの女性が、
ベイリーの最期の時を話すために訪れた。
「眠っている間に、発作がきたと思われます。
おそらく彼は、発作がきたことに、
気がつかなかったでしょう。
そして彼は、何の苦しみもなく、
天国へ逝ったんだと思いますよ。
このまま発作と闘い続けていたら、
彼はもっと、苦しむことになったでしょう。
私は、そうなる前に彼が旅立てて、
本当によかったと思っています・・・。」
ゆっくりと話すDrの優しい言葉は、
「ベイリーは苦しまなかった・・」
という安心感を、デビーに与えてくれた。
JHDの末期症状である重責発作は、
あまりに悲惨で、とても見ていることはできない・・。
眼はカッと見開き、閉じることが出来ないまま、
全身けいれんが、何日間も続く。
苦しむ子どもたちを前に、親は何もしてあげられず、
その歯痒さで、気が狂いそうになるのだ。
発作の時間が、短ければ短いほど、
本人や親にすれば、有難いことなのである。
ベイリーをとても可愛がってくれたそのDrは、
多くの神経難病の子どもたちを診ているだけに、
デビーの思いが、よ〜くわかっていたのだと思う。
彼女が、心からホッとしたのがわかる。
それは、デビーが一番、
聞きたかった言葉だったのだ。
ベイリーの葬儀は、
ブナロン記念公園という所で、
5月7日の13時15分から行われた。
斎場には、多くの弔問客がかけつけ、
誰もが、早すぎるベイリーの死を嘆いていた。

寝る間も惜しんで、葬儀の準備をしたのは、
学校の先生方だ。
「ベイリーのために出来ることは、何でもしたい」
と、完全に葬儀を仕切っていた。
先生方は、動きに動き回り、
学校の生徒たちに連絡をとって、協力を仰ぎ、
メッセージボードやアルバムを、
ものすごい勢いで、完成させた。
そして、スライドショーまで準備し、
完璧なメモリー葬を、作り上げてくれたのだ。
先生方の活躍はすごかった!
その他にも、
弔問者が署名できるように、小冊子を製作。
各頁に美しい模様と、ベイリーの写真がついている、
とても美しい冊子だ。
更に、カードまで作成。
人々が冊子にメッセージを書き入れたあと、
このカードが、手渡されたのだが、
デビーとアンソニーから、御礼の言葉が書かれてあり、
そこにも、ベイリーの写真が載せてあるという、
配慮の行き届いた美しいカードだ。
先生方の努力のおかげで、
スライドショーは、抜群の効果を発揮。
デビーがチョイスした、ベイリーの好きな曲をバックに、
学校でのベイリー様子が、スクリーンいっぱいに映ると、
そのあまりの可愛い姿に、みんな涙せずにはいられない。



特別な思い出のある、トイストーリーが流れた時、
それまで泣くことを我慢していたデビーの目から、
涙があふれ出した。
どうしても、その場に居ることが出来なくなり、
別室へ駈け込むと、涙は一気にあふれ出し、
泣き崩れる。
「あそこで泣けば、みんな私に気を遣うわ。
それは絶対イヤなの・・・」
という思いが、とっさにその行動になったのだ。
そんなデビーを益々尊敬する。
「最愛の息子を亡くしているんだから、
何処でどう泣こうと、いいじゃないか」
と思うのに、
彼女はこんな時でさえ、人に気を遣うのだ。
それは、ベイリーがお世話になった人たちへの、
彼女の感謝の気持ちの表わし方なのだろう。
別室で、母に肩を抱かれながら泣いていると、
司祭がやってきて、
「今まで涙を見せずに頑張っていたあなたは、
なんて勇気のある人なんでしょう・・・」
と、デビーを褒め称えてくれた。
ありがとう!司祭!
どうかもっともっと、デビーを褒めてあげてくれ・・。
温かい葬儀を終えたあと、
弔問客に軽食がふるまわれ、
コーヒー、紅茶、ビスケットなどを食べながら、
みんな思い思いにベイリーの話をし、
ゆったりとした時間を過ごした。
デビーも、ゆっくり過ごすことができて、
とても満足だったようだ。

ベイリーは今、記念板とともに、
キーランと一緒のお墓で眠っている。
お兄ちゃんと8年振りの再会だね・・。
今頃、神様に褒めまくられて、
ご褒美をたくさん貰っていることだろう。
小さい体で、大きな病気に立ち向かい、
ホントによく頑張った!
生まれてきてくれて、本当にありがとう
どうか安らかに眠ってね・・。

4月29日の朝のことだった。
家電の音に慌てて飛び起き、受話器を取ると、

「ユミ・・・」
と、力のないデビーの声が、
強烈に脳に浸み込んで、目が覚める。

メチャメチャ嫌な予感がした。

電話はお金がかかるから、メールとスカイプで、

連絡を取り合うようにしていたのに、
掛けてくるというのは、緊急以外にありえない。
「デビー?」
と訊くと、
「・・ベイリーが亡くなったの・・・」
と言ったあと、言葉は涙に変わった。
予感的中で、頭の中はまっ白になる。
泣きながら、とぎれとぎれに、
「VSKで亡くなったのよ・・。
今からママと行ってくるわ・・・。」
と、やっとの思いで声を押し出したあと、
短い電話は切れた・・。
突然過ぎて、何も考えられない。
脳が変な汗をかき、全く動かない。
受話器を持ったまま、
私は、しばらく固まっていた・・。
キーランに続き、
ベイリーまで失ったデビーを思うと、
本当に可哀想で仕方がない。
彼女は、全てのこどもを失ってしまったのだ。
この世界で、これ以上の悲しみがあるだろうか?
想像できないほど恐ろしいこの現実に、
自分が何をすべきなのか解らない。
「デビーにしてあげられることはなんだろう・・?」
何とか考えを集中させようとしてみたが、
その日は、どうしても脳が作動せず、
じわじわ押し寄せる悲しみで、
いっぱいになってしまった。
ベイリーが旅立つことになった原因は、
やはり発作だった。

4月25日から1週間レスパイトをする予定で、

VSKで過ごしていたベイリーは、
滞在直後から、発作が頻繁にきていた。
神経内科医が3日連続で診察に訪れるほど、
発作が酷くなっていた矢先、
重責発作を起こしてしまい、
そのまま天国へと、旅立ってしまったのだ。
神経内科医の話によると、
ベイリーは、度重なる発作のために、
疲れきって眠ってしまったらしい。
その間に、再び連続発作が襲い、
ベイリーは眠ったまま、逝ってしまったのである。
デビーたちがVSKに到着すると、
職員が、ベイリーの眠る個室へ案内してくれた。
永遠の眠りについたベイリーを見て、
デビーは、どれほどつらかったことだろう。
その後、
家族だけにして貰った部屋へ、
神経内科医と、Ozchildの女性が、
ベイリーの最期の時を話すために訪れた。
「眠っている間に、発作がきたと思われます。
おそらく彼は、発作がきたことに、
気がつかなかったでしょう。
そして彼は、何の苦しみもなく、
天国へ逝ったんだと思いますよ。
このまま発作と闘い続けていたら、
彼はもっと、苦しむことになったでしょう。
私は、そうなる前に彼が旅立てて、
本当によかったと思っています・・・。」
ゆっくりと話すDrの優しい言葉は、
「ベイリーは苦しまなかった・・」
という安心感を、デビーに与えてくれた。

JHDの末期症状である重責発作は、
あまりに悲惨で、とても見ていることはできない・・。
眼はカッと見開き、閉じることが出来ないまま、
全身けいれんが、何日間も続く。
苦しむ子どもたちを前に、親は何もしてあげられず、
その歯痒さで、気が狂いそうになるのだ。
発作の時間が、短ければ短いほど、
本人や親にすれば、有難いことなのである。
ベイリーをとても可愛がってくれたそのDrは、
多くの神経難病の子どもたちを診ているだけに、
デビーの思いが、よ〜くわかっていたのだと思う。
彼女が、心からホッとしたのがわかる。
それは、デビーが一番、
聞きたかった言葉だったのだ。
ベイリーの葬儀は、
ブナロン記念公園という所で、
5月7日の13時15分から行われた。
斎場には、多くの弔問客がかけつけ、
誰もが、早すぎるベイリーの死を嘆いていた。

寝る間も惜しんで、葬儀の準備をしたのは、
学校の先生方だ。

「ベイリーのために出来ることは、何でもしたい」
と、完全に葬儀を仕切っていた。
先生方は、動きに動き回り、
学校の生徒たちに連絡をとって、協力を仰ぎ、
メッセージボードやアルバムを、
ものすごい勢いで、完成させた。

そして、スライドショーまで準備し、

完璧なメモリー葬を、作り上げてくれたのだ。

先生方の活躍はすごかった!

その他にも、
弔問者が署名できるように、小冊子を製作。

各頁に美しい模様と、ベイリーの写真がついている、
とても美しい冊子だ。

更に、カードまで作成。

人々が冊子にメッセージを書き入れたあと、
このカードが、手渡されたのだが、
デビーとアンソニーから、御礼の言葉が書かれてあり、
そこにも、ベイリーの写真が載せてあるという、
配慮の行き届いた美しいカードだ。

先生方の努力のおかげで、
スライドショーは、抜群の効果を発揮。

デビーがチョイスした、ベイリーの好きな曲をバックに、

学校でのベイリー様子が、スクリーンいっぱいに映ると、
そのあまりの可愛い姿に、みんな涙せずにはいられない。




特別な思い出のある、トイストーリーが流れた時、

それまで泣くことを我慢していたデビーの目から、
涙があふれ出した。
どうしても、その場に居ることが出来なくなり、
別室へ駈け込むと、涙は一気にあふれ出し、
泣き崩れる。
「あそこで泣けば、みんな私に気を遣うわ。
それは絶対イヤなの・・・」
という思いが、とっさにその行動になったのだ。
そんなデビーを益々尊敬する。
「最愛の息子を亡くしているんだから、
何処でどう泣こうと、いいじゃないか」
と思うのに、
彼女はこんな時でさえ、人に気を遣うのだ。
それは、ベイリーがお世話になった人たちへの、
彼女の感謝の気持ちの表わし方なのだろう。
別室で、母に肩を抱かれながら泣いていると、
司祭がやってきて、
「今まで涙を見せずに頑張っていたあなたは、
なんて勇気のある人なんでしょう・・・」
と、デビーを褒め称えてくれた。

ありがとう!司祭!
どうかもっともっと、デビーを褒めてあげてくれ・・。
温かい葬儀を終えたあと、
弔問客に軽食がふるまわれ、

コーヒー、紅茶、ビスケットなどを食べながら、
みんな思い思いにベイリーの話をし、
ゆったりとした時間を過ごした。
デビーも、ゆっくり過ごすことができて、
とても満足だったようだ。


ベイリーは今、記念板とともに、
キーランと一緒のお墓で眠っている。
お兄ちゃんと8年振りの再会だね・・。
今頃、神様に褒めまくられて、
ご褒美をたくさん貰っていることだろう。

小さい体で、大きな病気に立ち向かい、
ホントによく頑張った!
生まれてきてくれて、本当にありがとう

どうか安らかに眠ってね・・。


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