ベイリー日記

オーストラリアに住む,若年性ハンチントン病の男の子を、かぁ~のが紹介しています

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Angel ベイリー

2009年05月21日 | Weblog
私が、ベイリーの訃報を知ったのは、
4月29日の朝のことだった。
家電の音に慌てて飛び起き、受話器を取ると、
「ユミ・・・」
と、力のないデビーの声が、
強烈に脳に浸み込んで、目が覚める。

メチャメチャ嫌な予感がした。
電話はお金がかかるから、メールとスカイプで、
連絡を取り合うようにしていたのに、
掛けてくるというのは、緊急以外にありえない。

「デビー?」
と訊くと、
「・・ベイリーが亡くなったの・・・」
と言ったあと、言葉は涙に変わった。
予感的中で、頭の中はまっ白になる。

泣きながら、とぎれとぎれに、
「VSKで亡くなったのよ・・。
今からママと行ってくるわ・・・。」
と、やっとの思いで声を押し出したあと、
短い電話は切れた・・。

突然過ぎて、何も考えられない。
脳が変な汗をかき、全く動かない。
受話器を持ったまま、
私は、しばらく固まっていた・・。

キーランに続き、
ベイリーまで失ったデビーを思うと、
本当に可哀想で仕方がない。
彼女は、全てのこどもを失ってしまったのだ。
この世界で、これ以上の悲しみがあるだろうか?
想像できないほど恐ろしいこの現実に、
自分が何をすべきなのか解らない。

「デビーにしてあげられることはなんだろう・・?」
何とか考えを集中させようとしてみたが、
その日は、どうしても脳が作動せず、
じわじわ押し寄せる悲しみで、
いっぱいになってしまった。

ベイリーが旅立つことになった原因は、
やはり発作だった。
4月25日から1週間レスパイトをする予定で、
VSKで過ごしていたベイリーは、
滞在直後から、発作が頻繁にきていた。

神経内科医が3日連続で診察に訪れるほど、
発作が酷くなっていた矢先、
重責発作を起こしてしまい、
そのまま天国へと、旅立ってしまったのだ。

神経内科医の話によると、
ベイリーは、度重なる発作のために、
疲れきって眠ってしまったらしい。
その間に、再び連続発作が襲い、
ベイリーは眠ったまま、逝ってしまったのである。

デビーたちがVSKに到着すると、
職員が、ベイリーの眠る個室へ案内してくれた。
永遠の眠りについたベイリーを見て、
デビーは、どれほどつらかったことだろう。

その後、
家族だけにして貰った部屋へ、
神経内科医と、Ozchildの女性が、
ベイリーの最期の時を話すために訪れた。

「眠っている間に、発作がきたと思われます。
おそらく彼は、発作がきたことに、
気がつかなかったでしょう。
そして彼は、何の苦しみもなく、
天国へ逝ったんだと思いますよ。
このまま発作と闘い続けていたら、
彼はもっと、苦しむことになったでしょう。
私は、そうなる前に彼が旅立てて、
本当によかったと思っています・・・。」

ゆっくりと話すDrの優しい言葉は、
「ベイリーは苦しまなかった・・」
という安心感を、デビーに与えてくれた。

JHDの末期症状である重責発作は、
あまりに悲惨で、とても見ていることはできない・・。
眼はカッと見開き、閉じることが出来ないまま、
全身けいれんが、何日間も続く。
苦しむ子どもたちを前に、親は何もしてあげられず、
その歯痒さで、気が狂いそうになるのだ。
発作の時間が、短ければ短いほど、
本人や親にすれば、有難いことなのである。

ベイリーをとても可愛がってくれたそのDrは、
多くの神経難病の子どもたちを診ているだけに、
デビーの思いが、よ~くわかっていたのだと思う。
彼女が、心からホッとしたのがわかる。
それは、デビーが一番、
聞きたかった言葉だったのだ。

ベイリーの葬儀は、
ブナロン記念公園という所で、
5月7日の13時15分から行われた。
斎場には、多くの弔問客がかけつけ、
誰もが、早すぎるベイリーの死を嘆いていた。




寝る間も惜しんで、葬儀の準備をしたのは、
学校の先生方だ。
「ベイリーのために出来ることは、何でもしたい」
と、完全に葬儀を仕切っていた。

先生方は、動きに動き回り、
学校の生徒たちに連絡をとって、協力を仰ぎ、
メッセージボードやアルバムを、
ものすごい勢いで、完成させた。
そして、スライドショーまで準備し、
完璧なメモリー葬を、作り上げてくれたのだ。

先生方の活躍はすごかった!
その他にも、
弔問者が署名できるように、小冊子を製作。
各頁に美しい模様と、ベイリーの写真がついている、
とても美しい冊子だ。

更に、カードまで作成。
人々が冊子にメッセージを書き入れたあと、
このカードが、手渡されたのだが、
デビーとアンソニーから、御礼の言葉が書かれてあり、
そこにも、ベイリーの写真が載せてあるという、
配慮の行き届いた美しいカードだ。

先生方の努力のおかげで、
スライドショーは、抜群の効果を発揮。
デビーがチョイスした、ベイリーの好きな曲をバックに、
学校でのベイリー様子が、スクリーンいっぱいに映ると、
そのあまりの可愛い姿に、みんな涙せずにはいられない。







特別な思い出のある、トイストーリーが流れた時、
それまで泣くことを我慢していたデビーの目から、
涙があふれ出した。

どうしても、その場に居ることが出来なくなり、
別室へ駈け込むと、涙は一気にあふれ出し、
泣き崩れる。
「あそこで泣けば、みんな私に気を遣うわ。
それは絶対イヤなの・・・」
という思いが、とっさにその行動になったのだ。

そんなデビーを益々尊敬する。
「最愛の息子を亡くしているんだから、
何処でどう泣こうと、いいじゃないか」
と思うのに、
彼女はこんな時でさえ、人に気を遣うのだ。
それは、ベイリーがお世話になった人たちへの、
彼女の感謝の気持ちの表わし方なのだろう。

別室で、母に肩を抱かれながら泣いていると、
司祭がやってきて、
「今まで涙を見せずに頑張っていたあなたは、
なんて勇気のある人なんでしょう・・・」
と、デビーを褒め称えてくれた。
ありがとう!司祭!
どうかもっともっと、デビーを褒めてあげてくれ・・。

温かい葬儀を終えたあと、
弔問客に軽食がふるまわれ、
コーヒー、紅茶、ビスケットなどを食べながら、
みんな思い思いにベイリーの話をし、
ゆったりとした時間を過ごした。
デビーも、ゆっくり過ごすことができて、
とても満足だったようだ。





ベイリーは今、記念板とともに、
キーランと一緒のお墓で眠っている。
お兄ちゃんと8年振りの再会だね・・。
今頃、神様に褒めまくられて、
ご褒美をたくさん貰っていることだろう。

小さい体で、大きな病気に立ち向かい、
ホントによく頑張った!
生まれてきてくれて、本当にありがとう

どうか安らかに眠ってね・・。




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ベイリーの旅立ち

2009年04月30日 | Weblog
4月29日の朝、
ベイリーが天国へ旅立ちました・・・。
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ケアラーのサポート

2009年04月24日 | Weblog
その後、容体が落ち着いたベイリーを見て、
Drたちは、「新薬に問題なし」
という結論に達したようだ。
(なんでそうなるかなあ・・・?)
あくまでも入院させる気はないようで、
その後、ベイリーは退院させられ、
デビーがまた、自宅で様子を看ることになった。

新薬は、ベイリーをとても眠くするようだ。
身体が思うようにならず、歯がゆいのか、
ベイリーは、非常に要求が多い。
常に、大声でデビーを呼ぶため、
家事を思うようにできないデビーのストレスは、
ガンガン増える一方だ。

歩けないベイリーは、床を這いずり回るため、
今、お顔が傷だらけ。
また、足を車椅子のステップに押しつけて、
背中を椅子の背もたれと、すれ合わせるため、
背中も傷だらけ。
この動作を繰り返し行うため、傷はちっとも治らない。
学校では、嘱託看護師が常に、
ベイリーの傷の手当てをしている状態であ~る。

介護を頑張ってしまう背景には、
「ベイリーを手放したくない」という理由のほかに、
Drとの戦いが、デビーを精神的に相当追い詰めた、
という事もあるようだった。

「入院させてほしいと言い続けることが、
介護放棄とみなされるのが怖いの・・」 
そんな日本的な思想が、
彼女から戦う意欲を、奪ってしまうのだ。

勘弁してくれい・・デビー。
ボランティア大国のオーストラリア人が、
そんな考えに支配されちゃダメだろう。
耐える介護、孤独な介護は、
日本だけでたくさんだ。

頑張りすぎる介護をしていた私に、
「介護は、多くの人の手を借りて、みんなでするものよ。
介護者は、少しでも楽ができるように、
ボランティアを利用しなきゃダメ。」
と、オーストラリアの思想を教えてくれたデビーが、
こんなことを言うなんて、ありえない。
それだけ、Drとの討論が、
全く埒の明かないものであったことが想像できた。

だが、さすがはオーストラリア。
デビーが、孤独な介護に陥らないように、
豊富なケアラー(ホームヘルパー)で、
彼女をサポートし始めたのだ。
介護疲労から、手足に痛みを感じていたデビーにとって、
彼らのサポートを受けることは、
リフレッシュできるチャンスだった。

ケアラーの存在は、とても大きい。
徐々に、気持ちが安定してきたデビーは、
「ただ薬を処方されて、
食事を与えられるだけの病院より、
VSKやレスパイトを利用した方が、
ベイリーにとって、質の高い生活を得られるわ。
ベイリーと過ごす時間が、少なくなるのは残念だけど、
学校に行って、彼との時間を大切に過ごすつもりよ。」
と、ケアラーのサポートを楽しみにするほど、
回復してきた。
(あ~よかった

「JHDの子を、何日も自宅で預かる」
というのは、とても日本では考えらないのだが、
オーストラリア人は、平気でそれをやってのけるから、
驚きだ。
「何かあれば、救急車を呼んで病院へ搬送すればいい」
と、簡単に考えているところが、
「病気の知識不足」と考えてしまいがちだが、
「役に立ちたい」という思いが、本当に大きいのが、
オーストラリア人の気質なのである。
(ホントにすばらしい

現在、
ベイリーをサポートするのは、3人のケアラー。
熟年夫婦のケアラーは、
ベイリーを、動物園へ連れて行ってくれた。
帰りの車の中で、二度も発作を起こして、
デビーをメチャメチャ心配させる、
というハプニングはあったものの、
その後、具合が急変することもなかったため、
数日、ケアラーの家で過ごしたようだ。

「1日中、外出したことで、きっと疲れたのよ。
疲れると、発作が起きるから。
私が、家でベイリーを看る時は、
TVを見せるか、本を読んであげるなど、
静かに過ごさせて、休ませるようにしてるわ。」
とデビーは、少し愚痴をこぼしていたが、
こういった危険は、ある程度覚悟しないと、
介護を休むことはできないため、
デビーもツライところだ。

もう一人は、顔なじみのケアラー。
オーストラリアのハンチントン病患者会に、
所属しているデビーは、
時々、会議に出席することがあるのだが、
そんな時は、この一番お気に入りのケアラーが、
朝早くから、ベイリーを看に来てくれるのだ。

彼女は、時に自宅へベイリーを連れて行き、
自分の子どもたちと遊ばせてくれたり、
家族とともに、夕食を食べさせてくれることもある。
その後、お風呂に入れて、パジャマに着替えさせたあと、
ベイリーの家まで送ってきてくれるのだ。
至れり尽くせりとは、この事であろう♪

オーストラリアの学校は、今1学期を終え、
5/5からスタートする2学期までの間、
スクールホリデーとなる。
その間は、VSKで長期レスパイトし、
他にも、ケアラーの家で、
3日間のレスパイトを計画中だ。

ベイリーの容体が安定して、
ケアラーのサポートを、長く受けられるよう、
心から願っている。




ベイリーとパパのアンソニー







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新薬投与

2009年04月07日 | Weblog
結局、Drの希望通りで新薬はスタート。
だが、経過観察の場所について、
ドクター同士が言い争いとなり、
ますますデビーの不満は、大きくなってしまった。

神経内科医は、
「新薬投与の間、ベイリーを入院させるべきだ」
と言い、
他の医師は、
「入院させることはできない」
と言い出したのである。

もう訳がわからない・・!
入院させて、新薬の大量投与に、
踏み込むつもりじゃなかったのか?
「ドクターたちの間で、キチンと意見をまとめてから、
私に話をしてほしいわ!」
とデビーが怒るのも当然だ。
ケースマネージャも、怒ってドクターに抗議したが、
彼らが動くことはなかった。

最終的に、事態はデビーにとって、
もっとも最悪な結果になる。
なんと、新薬のスタートと同時に、
自宅で、経過観察となったのだ。

新薬が発作を引き起こすことを、
デビーは、よ~く知っているので、
この結果を受け入れることは、絶対無理。
「自宅介護は危険」と判断した彼女は、
頼みの綱であるVSK(子どもホスピス)に、
ベイリーを、お願いすることにした。

だが、この想定外の事態に、準備が全く追いつかず、
薬の入替は、間に合わないわ、
アンビューバック(手動式人工呼吸器)は忘れるわで、
夜まで、ドタバタ騒ぎとなってしまう。
オーストラリアの子どものためのNPO団体、
Ozchildから、一人の女性がサポートに入っていたのだが、
彼女もDrたちの身勝手さに、メチャメチャ腹を立てていた。

そんな慌ただしい状況の中、唯一の救いだったのは、
ベイリーの症状が、落ち着いていること。
発作が抑えられているのをみたDrたちは、
「新薬がよく効いている」と喜んでいたが、
デビーは、気軽にそれを口にしてほしくなかった。

「発作というのは、誰も予想しない時、
突然やってくるものなのよ。」
と、彼女はDrより冷静に、先を見ていたのだ。
有り難くないことに、
そのデビーの予想が、みごと的中する。

ある日、
学校の自転車で遊んでいたベイリーが、
突然、ハンドルに倒れこんでしまったのだ。
慌てて先生が駆け寄り、ベイリーを抱き起こすと、
顔色が真白で、ほとんど呼吸をしていない
急いで酸素吸入をすると、少し回復したものの、
呼吸は、ものすごく弱々しいものだった。

そのまま救急車で搬送されたベイリーは、
よほど恐ろしかったのだろう。
病院で、狂ったように泣き続けた。
看護師や学校の先生が、なだめても、
ベイリーは、決して泣き止まない。

みんなが困り果てていた時、
デビーが、病院へ到着。
すると、ママに優しく話しかけながら、
抱きしめられたベイリーは、
なんと、ピタッと泣き止んだのであ~る。

「ママの力はスゴイ~~♪」
と周りに居た人たちが、口ぐちにデビーを絶賛し、
学校の先生は安心から、
目を真っ赤にして、泣きだしてしまった。
先生も怖くて仕方がなかったようだ。
無理もない・・。

結局、
しばらく病院で、様子を診ることになったのだが、
「それなら、最初から経過観察を、
病院ですればよかったんじゃないのか?」
という素朴な疑問で、いっぱいだ。
新薬の効果も、こんなに早く裏切られてしまっては、
Drたちのプライドは、かなり傷ついたことだろう。

薬のチェンジは、頼むから慎重にやってほしい。
ベイリーが身を犠牲にして、Drに訴えたんじゃないのか?
私には、そう思えてならない・・。




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発作の治療

2009年03月09日 | Weblog
VSK(こどもホスピス)でレスパイト中、
ベイリーがまた発作を起こし、救急車で運ばれた。
幸い発作はすぐ治まり、VSKにすぐ戻って来れたのだが、
なんとDrはその後、
「ベイリーの容態が悪化した場合、挿管はしないつもりだ」
と、デビーに宣告する。
Drは、呼吸器での延命を望んでいないのだ。

大ショックを受けたデビーに、
「最悪の事態を覚悟しなきゃならないわ!
あなたならどうする?」
と訊かれ、私もひどく動揺してしまった。

私がこ~ちゃんの気管切開を決めた経緯については、
何度かデビーに話してきたのだが、
こ~ちゃんとベイリーとでは、症状も違うし、
なによりDrの協力なしに、決断は下せない。

デビーもそれがよく解っているだけに、
同じ状況で、私が何もせずにいられるのかを、
知りたかったようだった。
メチャメチャ答えに詰まる質問である・・。

私がデビーだったら、どうするだろう?
ベイリーのDrは、
親が、薬や治療法に口出しすることは許さないので、
ただ、ただ、傍観者でいなければならないようだ。
でも、ベイリーが苦しんでいる時、
何もせずにいることは、我慢ならない。

やはり、ダメもとで解って貰えるまで、
しつこくDrに、どれほどベイリーを大切に思っているか、
毎日ノイローゼになるほど、言葉を浴びせてしまうだろう。
そして自分の意見を取り入れて貰えるように、
ひたすら説得し続けるかもしれない。

「最悪の事態というのが、どうなるかは、
今、あれこれ考えても仕方ないから、
覚悟を決める前に、解って貰えるまで説得すると思う。
私はしつこいからねー。」
と言うと、
「そうね。その通りだわ。
私も強くならなきゃいけない。
勇気づけてくれて、ありがとう♪」
と、少し気を持ち直してくれた。

アンソニーの症状も悪化していく中で、
誰にも相談できず、
ひとりでこんな大事なことを、
決断しなければならないのは、本当に辛い。
JHDの母親は、みんな同じような状況下に置かれ、
何度も悩み苦しみながら、
その都度、答えを出さなければならないのだ。
その悲しみは痛いほどわかる。

更にデビーには、
Drの治療法に、納得がいかないことが、
時々あった。
それは新薬の投与だ。

以前にも、デビーの希望する薬を、
処方して貰えなかったことがあったが、
今回は、新薬の量について不満があった。

大発作がガンガンくるベイリーに対して、
Drは、新薬を大量に投与する気らしい。
「どうせ病院に居るんだから、試せるだけ試したい」
という考えのようだが、
デビーにしてみれば、
「新薬は、発疹を引き起こす危険があるし、
大量投与の前に、まずは発作を止める十分な量で、
試してほしいの。
そうすれば、病院から学校へ通うこともできるわ。」
という意見だ。

デビーが、頑張ってお願いしてみたのだが、
Drは、絶対首を縦に振らず、
「No!」と言うだけ。
デビーは、
「理由は解ってるわ。それが病院の利益になるからよ。」
と腹を立てているが、そうなのかもしれない。

私の中では、新薬をいきなり大量投与なんて、
絶対ありえないのだが・・。
普通は、服用中の薬を少しずつ減らして、
新薬を少量ずつ入れ替えていくもんだと思っていたが、
ベイリーの医師は、発作を止めるのに必死なのか?

医師との意見の食い違いは、根気がいる。
デビーに「強くなれ!」とは言いたくないが、
ベイリーのため、そして自分自身のために、
「踏んばる時なのかな・・」と思う。
母親という生き物は、人の心が動かせるのだから・・。




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エンジェルたちへ

2009年02月06日 | Weblog


これは、7歳で亡くなった、
ベイリーのお兄ちゃんのキーラン。

最近になって、
ベイリーの幼稚園の時の先生が、
デビーに渡してくれたらしい。
キーランは、ベイリーと同じ幼稚園に通っていたため、
先生はキーランとベイリーの両方を受け持ったのだ。
歯が生え変わる時期なのか、
乳歯が抜けたお口がチョーかわいい

「この時、私がキーランの発症に、
気づいていたかどうかは、解らないんだけど・・」
と言いながら、デビーが、
「キーランの腕が、少し変なのが解るでしょ?」
と私に訊いた。

なるほど。
よく見ると、腕の動きがJHDに似ている。
こんな小さい時から、発症していたという証拠写真だ。
かわいそうにキーラン。
この写真を貰ったデビーも辛かっただろう。

デビーがこの写真を私に送ってくれたのは、
2月4日が、こ~ちゃんの一周忌だからだった。
同じようにJHDで息子を失ったデビーは、
私がどういう想いで、この日を迎えたのか、
痛いほど理解してくれるのだ。

こ~ちゃんの命日の前後に、
何度も祈りを捧げてくれて、
メールで励まし続けてくれた、
その気遣いが、ホントに嬉しい。

そのメールの最後に綴られた言葉は、
更に私の心を、キュッと締め付けた。

「今朝、こ~ちゃんと話をしたの。
彼が抱きしめてくれた気がしたわ。
不思議な気持ちだった・・。」

私は何故か、
「確かにこ~ちゃんがそうしたのだろう」
という確信を持った。
なんの根拠もない、例の親の勘というやつだが、
私たちJHDの母親は、この勘が鋭く、
結構当たるのだ。

キーランもこ~ちゃんも、
もしかしたらまだ、
輪廻転生していないのかもしれない。
そう思うと、気分がだいぶ楽になる。

デビーと私が、息子たちに願うことはひとつ。
「来世でも、必ず一緒に生まれて、
一緒の時を生きようね♪」
ということだ。

ふたりの可愛い笑い声が、
ドアの向こうから聞こえた気がした・・。
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HDファンドライザー

2009年01月24日 | Weblog
1月9日~13日。
快晴の夏空に恵まれ、
今年もまたHDのファンドライザーが、
ニューサウスウェールズで開かれた。
ファンドライザーとは、
チャリティー基金調達のために催される、
イベントのことである。

一昨年、1人で参加したデビーは、
今年は、アンソニーと一緒に出席。
6時間の長旅を終え、
バルコニーがついた可愛らしいモーテルに到着♪
ランチをバルコニーでとり、二人ともご機嫌だ。

今年のファウンドライザーは、
去年同様、ワイン醸造所で開催。
オーストラリアの各州から、
多くのHDファミリーが集い、
会場は大いに盛り上がった。





みんなワインをガブ飲みして楽しそうだ。
ゴルフのパットコンテストなど、
たくさんの催し物がある中で、
デビーは、今年もラッキージャー担当。

参加者に、箱から数字を選んで貰い、
同じ数字のボトルをプレゼントするというものだ。
ラッキージャーは、今年も売行き好調で完売。
みんな景品を貰って、大喜びだったらしい。

ピエロたちが走り回る中、
バンド演奏や、
シンガー達が1日中歌いまくり、
デビーとアンソニーは、音楽に合わせて、
日が暮れるまで踊り続けていた。
ふたりがイベントを楽しめて、
ホントによかったと思う。

売上は$17,000(約100万)♪
ファンドライザーは、今年も大成功であった。






デビー&アンソニー


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デビーの病気

2008年12月30日 | Weblog
12月18日、4学期最後の学校を終え、
ベイリーは、来年の2月1日まで、
長い夏休みに入った。

大発作に備え、2月4日まで、
夏休みのほとんどを、
VSK(こどもホスピス)で過ごす予定だ。

ただ、クリスマスやお正月などは、
自宅に連れて帰ることもできるので、
レスパイトも、上手に併用しながら、
ベイリーを、みんなで看ていくようにしている。
多くの目が、ベイリーに集中して貰えるのは、
非常にありがたい♪
介護者のデビーの負担も、減らせるからだ。

前回の大発作は、
デビーにも、大きなダメージを与えてしまった。
ベイリーを自宅で看たいと思う気持ちが、
大発作の恐怖に押しつぶされて、
彼女をパニック状態にしてしまうのだ。

実は、
デビーは、数年前から鬱病を患っている。
私がオーストラリアへ行った時、
デビーから病気について打ち明けられ、
薬を見せて貰ったことがあった。

「これを飲むと、気持ちが落ち着くの。
薬がないと、パニックになって、
ベイリーの介護が出来なくなるのよ。
薬に助けて貰わないと、どうにもならないの」
というデビーが不憫でならない・・。

アンソニーとベイリーの介護をするうちに、
デビーの症状はドンドン重くなり、
薬はガンガン増やされていた。

実は、デビーから打ち明けられる前に、
「もしかしたら・・?」と私が感じた瞬間があった。
それは、レスパイトファミリーである、
モンロー家を訪ねた時だったのだが、
自宅に居る時と違って、ボーっとし、
明らかに覇気がないデビーに変わっていたのだ。

最初は、
モンローさんにベイリーを預けて、介護から離れ、
ホッとしたのだろうと、思っていたのだが、
ベイリーが、洋服のタグをかゆがり、
首の後ろをかきむしり始めた時、
異変に気づいた。

「JHDの子どもたちは、洋服のタグを嫌がるよね。
ベイリーのタグを、取ってあげた方がいいよ。」
と私は言ったのだが、
デビーは一点を見つめたまま、
「そうね・・・」と言ったきり、動こうとしなかったのだ。

かゆくて仕方がないベイリーは、
デビーに何とかしてほしいと必死になって、
首の後ろをデビーに向けて、かきむしっていたのだが、
それでもデビーは、ボーッと俯いているだけだった。
この瞬間、私は、
「デビーは心を病んでいるかもしれない・・」
と感じたのである。

その時のことを、ついこの間デビーに、
「あの時の私、変だったでしょ?」
と言われ、
「自分でも解っていたのか・・!」
と思い、彼女が可哀想でたまらなくなった。

自分の行動に、違和感を持ちながらも、
薬に頼りながら、ベイリーを看たいという、
デビーの強さに、深く感動する!

クリスマスの日、
家族で一緒に過ごしたかったデビーは、
アンソニーとベイリーを一時帰宅させ、
クリスマスの準備に精を出した。

ところが無理が祟ったのか、
ひどい片頭痛に襲われたデビーは、
バスルームで倒れてしまったのだ。
ベイリーは、怯えてずっと泣き続け、
幸いなことに、家に来たデビーのお母さんが、
急いで救急車を呼び、病院へ搬送されたのである。

突然のことだったため、
ベイリーを看てくれる人が誰も見つからず、
ベイリーも一緒に、病院へ行かなければならなかった。

診察を終えて、少し快方へ向かった頃、
知らせを受けたデビーの友達のキャロルが、
娘のステーシーとともに来てくれて、
ベイリーを自分の家へと、連れて行ってくれた。

自宅へ戻ったデビーは、
自分自身をコントロールできず、
泣き続けていた。
そこへアンソニーが帰宅する。
泣いているデビーを見て、
アンソニーはデビーを抱きしめた。
デビーの泣いている理由を、彼は理解できなかったのだが、
アンソニーは、いつまでもデビーを抱きしめ続けていた。

デビーの薬は、その後また増やされた。
そうまでしても、デビーは、
アンソニーとベイリーとの時間を、
大切にしたいと強く願っているのだ。

最初私は、デビーの症状について、
ブログに載せるつもりはなかった。
プライベートなことは、公開したくなかったし、
ベイリーの症状に絡んで、デビーの私生活に触れる時には、
必ず、デビーに許可を得てから書いていた。

今回、思い切って彼女の病状を載せたのは、
デビーが、公開していいと言ってくれたからだ。
「JHDの子どもを育てることが、どれほど大変なことか、
JHDを持つ数少ない親御さんのために、
そして多くの人たちに知って貰いたいの。」
そう言ってくれたデビーに、心から感謝して止まない。

激動の2007年を終え、
2008年こそは、新薬が見つかり、
HDの進行をストップさせてくれるように、
そして、デビーの心に平穏が訪れることを、
心から願っている。
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大発作

2008年12月07日 | Weblog
11月の終わり頃、
レスパイトで、楽しく過ごしていたベイリーを、
突然、大発作が襲った。
すぐに救急車を呼んで、病院へ搬送して貰ったのだが、
ベイリーの呼吸は25分間も停止。

座薬を入れたが、全く効かず、
救急車の中で、酸素供給し、
ようやく持ち直したのだ。

これは非常に良くない。
これまで2ヵ月間、発作が来ていなかっただけに、
返って、大発作となってしまった気がするのだ。

私がこ~ちゃんを介護していて学んだ事は、
JHDの発作は、「振戦の集結したもの」、
ということだった。

まず、
手足がプルプル痙攣する振戦が、
発作の前に現れる。
その振戦が酷くなり、手足がガクガクし始めると、
ドーン!とデカイ発作になるのだ。
「たまり続けた振戦が、
一気に発作として爆発するんじゃないだろうか?」
という結論に達したのは、それを証明するかのように、
発作後、振戦はピタッと治まることが多い、
という理由からだった。

JHDの小発作は、チョコチョコ起きるが、
大発作というのは、初めは頻度が少ない。
小発作が頻繁に来るのも困るが、
大発作が頻繁というのは、もっと困る。
脳のダメージが大きいし、呼吸は止まるし、
体力の消耗が激しすぎて、命の危険を伴うからだ。

逆に言えば、良くないことなのだが、
小発作が頻繁に来た方が、
大発作で突然命を持っていかれるリスクは、
小さい気がする。

ベイリーの様子を聞いていると、
小発作がほとんどなく、
来るのは大発作なのだ。
私は、それが怖くて仕方ない。

JHDの死亡率No1は、重責発作が原因だ。
末期症状は、大発作の連続となり、
呼吸停止、心肺停止となってしまうために、
我々親は、大発作を何より恐怖に感じるのである。

デビーの恐怖は、ハンパじゃない。
「家で発作が来た時、寝入ってしまって、
気づかなかったら、どうしたらいいの?」
と顔面蒼白だ。
もし、呼吸が止まってしまったら、
どうやって酸素供給をするのか、
そのまま逝かせることになるのか、
考えただけで恐ろしくてたまらないのだ。

いろいろ考えていると、
全てがマイナス思考になりがちで、
デビーは、ついに一睡もできないまま、
朝を迎えてしまった。

嬉しいことに、その日の10時、
ベイリーは、VSK(こどもホスピス)に、
戻ることができた。
大発作で疲れたのだろう。
ベイリーは、ずっと眠り続けていた。
VSKに居れば、職員やDrがずっと傍にいるし、
デビーも安心だ。

Drから電話を貰い、
「ベイリーが目を覚ました時、食べ物の話ばかりされたよ。
眠り続けて、相当お腹が減ってるようだ。
彼はだいじょうぶ。順調に回復してるから心配ないよ。」
そう聞き、デビーはやっと、
ベッドに入ることが出来たのだった。

次の日、
ケースワーカーの運転で、
デビーは、アンソニーとともに、
ベイリーの面会に行った。
元気そうなベイリーを見て、
デビーも、かなり安心したようだ。
(ホントによかったー♪)

しばらくは、薬の調整もあるだろうし、
落ち着くまで、VSKで過ごすことになりそうだ。
デビーの不安は、尽きることがないが、
Drと今後の対処法をよく話し合い、
みんなでベイリーを守っていくしかない。

こ~ちゃん、ベイリーを守ってあげて。
大発作を、薬でコントロール出来ますように・・。





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学校のフォト

2008年11月12日 | Weblog
オーストラリアのメルボルンでは、
毎年11月の第一火曜日に、
メルボルン・カップ(競馬レース)が、開催される。
オーストラリアの人々が、
TVやラジオに、釘付けになるほど人気らしく、
メルボルンは、この日祝日であ~る。

というわけで、アンソニーは、
10月31日~11月1日に一時帰宅したあと、
11月4日に、再び一時帰宅し、
デビーと一緒に、映画を見に行った。
(ベイリーは、夕方までレスパイト

アンソニーは、だいぶ落ち着いてきたらしい。
理解するには、少し難しい映画だったが、
穏やかなアンソニーと、ゆっくり過ごせて、
デビーは満足そうであった。
(ホントに、このふたりは仲良しさんだなあ♪

ベイリーも、相変わらず絶好調
よかった♪よかった♪ ホントに嬉しい!
というわけで、お待たせしました。
今回は、学校でのベイリーの様子をお届けします。

まずは、ホームクラフトの授業。
食物を使って、甘い、酸っぱい、しょっぱいなど、
異なる感覚を味わうというもの。
へら、泡立て器、ポット、スプーンなどの、
台所用具を使用する、楽しい授業である。




続いてこちら。
べイリーの学校には、
自動車学校のような、教習コースがある。
子どもたちは、自転車に乗りながら
侵入禁止や停止などの標識を見て、
ルールを学んでいくのだ。




そして美術の授業。
ベイリーはモデルになったり、絵を描いたりで、
汚れまくるのが大好き。
特に、ゼリーとカスタードで絵を描くのが好きなようだ。
描きながら食べることができるので♪




最後は、子どもたちが大好きな菜園にて。
大事そうに抱えているベイリーが、最高にカワイイ♪
おててがこのように、内側にまるまってしまうのが、
ハンチントン病の特徴。
私はこの症状が、愛おしくってたまらない。



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