オーディオ彷徨録~JBL4331AからALTEC620A~

今までのオーディオの改良や音楽の遍歴に、今後の改善も紹介。いい音に繋がる方法を色々模索したことや、好きな音楽を紹介する。

ジョージ 大塚 市川 秀男~ページ2~

2017-01-31 09:16:46 | ジャズ
 前回は、FOUR WINGSのお話をしましたが、その4人の内3名は、既に紹介したので、残る1名のジョージ 大塚さんのお気に入りを紹介します。ページ2という作品です。これは、FMを聴いていて、アイ・フォール・イン・ラブ・トゥ・イージリーにノックアウトされました。何と華麗にリリカル(エヴァンスとも、キースともスガチンとも違うリリカル)に謳うピアノなんだろうと聴いていたら、これが日本人ではなくてっきり外人と思って聴いていましたのでびっくり。早速、アルバムを入手した。
 先ずは、ジョージ 大塚さんの経歴をご本人のオフィシャルHPで見てみました。興味無い方は、飛ばして下さい。
■1.ジョージ 大塚 経歴
 ”1937年4月6日   東京生まれ   本名 大塚敬治
1950年代末 渡辺貞夫率いる「コージーカルテット」で本格的にプロ活動に入る ’61~’64年 「松本英彦カルテット」に参加、人気を得る。
’65~’69年 市川秀男(p)による「ジョージ大塚トリオ」を結成。一躍スターの座に つくと共に数々の傑作を発表。
なかでも’66年にレコーディングした『ページ2』(tact)は、第2回ジャズディスク大賞に輝いた。
同年ジョージ大塚トリオに、ロイ・ヘインズ(ds)を 迎えてレコーディング、以後多くの海外ミュージシャンとのレコーディングのはじめとなった。
’70年には、「Four Drums」(ジョージ大塚、ロイ・ヘインズ、ジャック・デショネット、メル・ルイス)で全国ツアー。
’72年よりジャズ専門レーベル、スリー・ブラインド・マイス・レコードにて、大野俊三(tp)山口真文(sax)、大徳俊幸(p)、古野光昭(b)からなる「ジョージ大塚クィンテット」で、『ゴー・オン』『ナウズ・ザ・タイム』等、時代の息吹溢れるフレッシュなアルバムを発表。
’73年には「Four Drums」での共演以来、すっかり意気投合したジャック・ デショネットと、『ジャッキーボード』をレコーディング。
’74年より大徳俊幸(p)のかわりに、辛島文雄(p)を抜擢、『Lovin’ You George』で レコード・デビューさせる。
’78年よりトリオ・レコードに迎えられ、同年、初のニューヨークにてレコーディング。 『マラカイボ・コーンポーン』を菊池雅章(key)のプロデュースにより世界のトップミュージシャンを集めて、レコーディング。その斬新な音楽性でジャズ界の大きな話題となる。
同年、11月、『マラカイボ・コーンポーン』に参加し、心許す仲となったミロスラフ・ヴィトウス(b)以下、ジョン・スコフィールド(g)、ケニー・カークランド(p)を招き 「スーパー・フェローズ」の名で全国ツアー、同時にアルバム『ガーディアン・エンジェルス』をレコーディング。
’79年『マラカイボ・コーンポーン』によって打ち出したコンセプトを発展させるべく、日本の若手ミュージシャンによるコンテンポラリー・バンド「MARACAIBO」を結成。
’80年には、ミロスラフ・ヴィトウス(el-b)、ナナ・ヴァスコンセロス(perc.)をゲストと して招き『MARACAIBO』をレコーディング。その後の活動の基盤とした。
’81年には、ニューヨークに渡り、長年右腕として活動してきた山口真文(sax)のアルバム『MABUMI』を、プロデュース。
ジョージ大塚は、新人育ての名手としても知られるが、それは厳しい指導と同時に、非常におおらかな人間形成によってミュージシャンを育成しているからである.。
そうしたジョージ大塚の下より巣立ったミュージシャンは、大野俊三(tp) 山口真文(sax) 植松孝夫(sax) 本多俊之(sax) 水橋孝(b) 古野光昭(b) 桜井郁雄(b) 市川秀男(p) 辛島文雄(p) 大徳俊幸(p)等、数多い。また、海外ミュージシャンと対等に音楽を語り、かつ演奏出来る数少ない日本人ミュージシャンとしても有名で、エルビン・ジョーンズ(ds) ジャック・デショネット(ds)ミロスラフ・ヴィトウス(b) レジー・ワークマン(b) フィル・ウッズ(sax) ケニー・カークランド(p) リッチー・バイラーク(p) ナナ・ヴァスコンセロス(perc) 等と親交厚く、来日の折などしばしば歓談、共演に及ぶ。
ニューヨーク在住の菊池雅章とも、肝胆相照らす仲であり、多くの刺激を与え合っている。
1995年、故大給桜子(p) 山口真文(sax) 古野光昭(b) ミロスラフ・ヴィトウス(b)によるアルバム『ディープ・イン・オータム』に参加、プロデュース。
現在、 若手ミュージシャン、深澤真奈美(p) 高山夏樹(b)とともに 「We Three」というグループ名で活動中。
2005年創立40周年を迎えた老舗のジャズライブハウス「新宿Pit Inn」に毎月出演、「横浜エアジン」に毎月出演。ジョージ大塚NIGHTは知人友人たちで大好評を博した。1993年に始まった「横浜ジャズプロムナード」は現在では、日本を代表するジャズの祭典として広く人々に受け入れられている。本当のジャズ好きとミュージシャン、ライブハウスオーナーたちが手作りで始めたこのイベントに第一回より欠かすことなく、2014年現在まで「ジョージ大塚スーパートリオ」市川秀男(p)古野光明(b)で出演している。 ”

 やはり、’68年にレコーディングした『ページ2』(tact)は、第2回ジャズディスク大賞に輝いているんですね。後で、なるほどと思った次第。特に、市川秀男のピアノは、素晴らしいです。この時代(’68年で私は、13才)にこんなアバンギャルドなジャズをやっていたなんて凄いの一言です。フリージャズも真っ青です。尚、上記ご本人のHPでは、'66年と書いていましたが、ライナーノーツが、'68年なので、68年録音です。

 では、本題のページ2です。


■2.私の大好きな【ページ2】紹介
 (キャッチコピー)
 ジョージ大塚トリオがタクトからリリースした2作目。スイングジャーナル主催ジャズ・ディスク大賞 1968年度日本ジャズ賞。本作は、ジャズ・ドラマー、ジョージ大塚が1968年に発表したトリオの代表作。海外アーティストのカヴァーのみで構成されたモダン・ジャズ・アルバム。
■録音
1968年録音
■メンバー
ジョージ大塚(ds) 市川秀男 (p) 寺川正興(b)

1. ホット・チャ HOT CHA
 最初からゴスペル風のファンキーなテーマで始まる。こういうファンキーなものも市川さんは上手いので感心します。ドラムとピアノのインタープレイをお楽しみください。
2. オン・グリーン・ドルフィン・ストリート ON GREEN DOLPHIN STREET
 ”大地は怒る”という映画のテーマです。マイルスが、モーダルな演奏をしてから他のジャズメンも取り上げ出したようです。これは、フリージャズと間違える程、フリーな10分をお楽しみください。ピアノが、パーカッシブでフリージャズ的なとこもありで、ドラムが時に殴り込みをかけます。でも市川さんは山下 洋輔さんのような乱暴者ではありません。節度あるフリーです。原曲のテーマが最初と最後しかほぼ判らないアドリブが新鮮です。ベースとドラムも後半ソロを取りますし、テンポも途中で変化する幻想的なプレイです。

3. アイ・フォール・イン・ラヴ・トゥ・イージリー I FALL IN LOVE TOO EASILY
 これが、バラード好きの私のハートを鷲掴みです。荘厳で、華麗にして、何しろロマンティック。最初は、静かにピアノがテーマを囁きます。ジョージもやさしくシンバルでサポート。その中をピアノがロマンティックなアドリブを描きます。その世界によって下さい。ちょっと、マッコイや、キースやスガチン的なとこもありますが、やはり市川さんのソウルが私を打ちます。

4. ブルース・バイ・ファイヴ BLUES BY FIVE
 マイルスのオリジナルですが、それよりは、アップテンポで、スイング感が強くなっています。トリオの三位一体のプレイをお楽しみ下さい。ちょっとフリー的な市川さんのアドリブが素敵です。エキサイティングなジョージのソロ~テーマでお終い。

5. ラメント LAMENT
 このグループの重要なレパートリーの一つだったとのこと。JJジョンソンのオリジナル。グルービーで躍動感に溢れるスインギーなテーマから入り、市川さんのアドリブが華麗に、グルービーに回っていきます。ジョージは、オフビートを多用した、先進的なドラミングを聴かせてくれます。途中、ベースソロも良いのですが、とにかく、市川さんのピアノに酔います。

 YouTubeにダイジェストが上がっていますので、今の内に聴いてみて下さい。聴いてみて良かったら入手してもいいと思いますが絶対損はしません。尚、市川さんの弾いている代表的なアルバムは、『ページ1』『ページ2』『ラスト・サマー~ページ3』です。市川さんのHPを見ていたら、まだまだライブでバリバリやっておられるようで、たまには、オマスズとセッションもするなんて、関西では夢のようなこともあるとか。あ~、独身だったら関東へ移住ですね。


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スリーピー 松本英彦 ~FOUR  WINGS~

2017-01-30 11:20:03 | ジャズ
 今回は、松本英彦さん(愛称:スリーピー)を紹介します。
 松本英彦さんを知ったのも、油井正一さんのアスペクトインジャズ(か、FM大阪か?)だったと思います。油井先生には、本当に感謝です。この中の”BUT NOT FOR ME”にノックアウトされました。直ぐに、大学のレコードショップ”セブン”に直行です。あれ、日本人なのに、ロリンズ張りのアドリブができる、凄いなあと感じました。後で、調べたら、スリーピーはロリンズを敬愛しているということで、納得です。
 ■1)松本英彦さん(スリーピー)について
 先ずは、ウィッキペディアから経歴を一部抜粋改変(79年分追加)します。興味のない方は、スルーして下さい。
”松本 英彦(まつもと ひでひこ、1926年10月12日 - 2000年2月29日)は、日本の世界的テナーサックス奏者。ニックネームは「スリーピー松本」。享年73。
1944年 よこすかEMクラブ近くの横浜サクラポート(オルフェアンズと交替)で音楽家としての人生をスタート。
その後、学校に通いながら、米軍キャンプで演奏のアルバイトを続ける。このとき米軍軍人から"スリーピー"の愛称をもらう。
1949年 CBナインへ参加し、ジャズ人生のスタートを切る。
1951年 渡辺晋(のちに渡辺プロダクションを創設)率いる渡辺晋とシックス・ジョーズに加入。
1953年 ジョージ川口、中村八大、小野満と日本のジャズ史に偉大な足跡を残したビッグ・フォーを結成、第一次ジャズブームを巻き起こす。
1959年 白木秀雄のクインテットに参加。
1963年 日本人として初めて世界的なジャズの祭典、モントレー・ジャズ・フェスティバルに招かれ単独出演し、これを機に活躍の場を世界へ広げる。
1964年 2月、チャーリー・マリアーノ『Jazz Inter - Session』(キングレコード)の録音に参加した。7月14日、東京で行われた世界ジャズ・フェスティバルに参加。なお、同日のメイン・アクトはマイルス・デイヴィスだった。トレーンを聴いて触発されモーダルジャズに取り組む。
1968年、ハンプトン・ホーズ『Jam Session』(コロムビア)の録音に参加した。
1977年 文化庁芸術祭大賞受賞。
1978年 南里文雄賞受賞。
1978年 インナー・ギャラクシー・オーケストラに参加。
1979年 スイスのモントルージャズ祭にも出た。モントレー・ジャズ・フェスティバルに再度出た。芸術祭大賞受賞。
1982年 日ソ文化交流としてソ連招待公演。
1987年 国内4会場で、音楽生活40周年記念リサイタルを開き大成功、これにより芸術選奨文部大臣賞を受賞。
1988年 芸術選奨文部大臣賞受賞。
1991年 日本のジャズ界への多大な貢献が評価され、紫綬褒章を受章。
1998年 勲四等旭日小綬章を受章。
入院先の病院の医療ミスにより晩年は活動出来ない状態にあった。
2000年 2月29日死去。73歳没”
 ■2)松本英彦さん(スリーピー)のお墓
 日本人として初めて、モントレー・ジャズ・フェスティバルに招かれたとは、やはり凄い。彼の京都の墓所の大徳寺総見院には壁を隔てて織田信長の墓がある。(合掌)音楽家なら誰もが理想とするであろう夢の墓。石の側にはバンドメンのオブジェ(手前はスリーピーですね~♪)なんと墓前にスイッチがあり、彼の演奏が流れる!その12曲の中に私の大好きな、But Notが無いじゃないの。”スリーピーそれは無いで”という私。スリーピーは天国で、”アッカンベー”ですね。しかも墓参者が自由に選曲できるのは世界唯一。 墓石の左右にスピーカーがあり、ステレオの本格派 。

 ■3)”Four Wings”について
では、私の大好きな”Four Wings”を紹介。先ずは、下の写真から。

最近、もう1枚スリーピーのアルバムが、聴きたくなって、右の”ホット・ジャズ”を入手しました。

【Four Wings】録音:1979年10月23日
【キャッチコピーを少し改変】
松本英彦カルテット(松本英彦(ts),菅野邦彦(p),鈴木勲(b),ジョージ大塚 (ds))の一期一会セッションで、結果的にはラストとなった貴重な記録。さすがに日本のジャズ・シーンを支えた名プレイヤーたち。レイドバックした中にもテクニカルな面をのぞかせる熱演だ。日本のジャズ界において伝説のグループ、リーダーのスリーピーを筆頭にスガチンのピアノ、オマスズのベース、ジョージのドラム贅沢すぎ!その4人が一期一会の形でリーダーの松本の受賞記念に集結し、プレイを楽しんだスタンダードナンバーの数々。これは日本のジャズの一つの頂点。もう一回ぐらいは、やってほしかった。

01SPEAK LOW
 松本を抜いたトリオ構成なので、スガチンのアップテンポのピアノを聴いて下さい。スイング感バリバリです。オマスズのいつもながらのベースはまるでギターのよう。また、ジョージ大塚がハッスルプレイ
02MISTY
 もち、スガチンのピアノソロで始まるが、華麗で美しい。スガチンのミスティへの思い(菅野さんの所で紹介した)を汲んで、スリーピーがしっとりと歌います。
03BUT NOT FOR ME
 これ、いいんですよね。一番好きです。出だしが最高!ミディアムテンポで、悠々と大海を進む豪華船ってな雰囲気ですね。”BUT NOT FOR ME”は、シナトラの歌とかもいいし、チェット・ベイカーの歌が又いいんですよ。失恋した女性が、くよくよしてぼやく歌。まったくうまく始まったのよ、それが、あんなひどい終わり方をするなんて。人生相談なんて、おざなりね。もう幕が下りたのよ、私知ってるわ。こういうときこそ友が必要なのよね、ハッピィエンド物語はすべて結婚で終わるのに、私だけはそうならないっておかしいんじゃない。5年位前にYouTubeに素敵な映像(ネコちゃんとか、森とか玩具とかセンス良く綺麗でした)で上がっていたんですが、消えました。
04YOU DO SOMETHING TO ME
 スリーピーの短いテーマの後、スガチンのピアノも快調にスイング。また、スリーピーに戻り、スイング感溢れるロリンズ張りの太いアドリブブローがあり、再びテーマに戻ってお終い。
05LAURA
 スリーピーのフルートが、余裕綽々です。 屑々と、寂寥感を漂わせたフルートで始まります。そこからは、暗い森に彷徨いこんだ鳥をイメージしたようなアドリブがフルートにて展開される。時に激しく、時に静かに、アドリブは回っていく。幻想的な夢の映像を見ているようだ。エンディングは、印象派の絵のように、ひっそりと終わる。
06FOUR WINGS
 一転、緊張感を持ったアップテンポのテーマからアドリブに入る。ここでも、スリーピーのアドリブは、全開だ。夜の都会の喧騒と静けさ。そんな雰囲気を感じる。

 ”ホットジャズ”も中々どうしていいです。若手のバリバリの一流ミュージシャンを相手に、当時60に手が届こうという松本英彦がこんな緊張感溢れる強烈なアルバムを出しているのだから驚き、しかも内臓をこわして大手術したすぐあとの演奏という。タイトル通りの本当にホットなジャズを心ゆくまでどうぞ。
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今日は、二フレルで家族サービス ~Night Lights を紹介~

2017-01-29 18:15:05 | 日記
 今日は、オヤジとして、家族サービスデイでしたので、エキスポシティ(車で、~15分)に行ってきました。
 日曜日は、ジャズでも聴いていたいのですが、いつもいつもでは、妻も、娘も爆発です。たまにはということで出かけました。
昼飯は、店内に入れるとこはどこも混んでいたので、大起水産?だったかな、その店で、外のテーブルでしたが880円の上・海鮮丼を食べました。これが、ここでは安い方で意外に美味しかった。味噌汁のも美味しいし、ご飯もあったかくて、外が寒かったですが、あったまりました。でも20分待ちましたが。今時ですね、隣のテーブルで中国人の観光客が全員うなぎ丼を食べていました。リッチ!
 では、まず入ったところから。

 日本一高いとかの観覧車

 ガンダムみたいのが、あります。次は、二フレルという触れ合える、動物園・水族館に行きました。

 これは、BLOW UPの世界

 アメリカカブトガニが意外に早足

 これは、地球上の生物?

 ナポレオンみたいなのと、サメ

 ミノカサゴ

 シーホース、タツノオトシゴ

 広い部屋で直径10m位の球に地球の色んな様子を、CG的に処理して、幻想的に動画として投影していました。流氷?

 星と、蛍(緑)
 
 都会のビル

 人工衛星から見た、アフリカを、ドットで表わす。これは、興味深いので、もっと見ていたかった。

 カメレオン君を撮ると、葉っぱと区別できないので、何枚も没に

 ポルカドッツ何とかと書いていました。ジャズの曲の題名にもあるような

 アルビノ君

 ワニ

 昔、ファミリーランドにいましたが、ホワイトタイガー様のお出ましだ

 あー、ねむた。こいつを眠らせない為に、天井のグレーティングの上で飼育員さんが、ホワイトタイガーのヌイグルミを抱いて、汗だくで歩き回ってます!大変そう

 やはり、猫ですね

 定番のペンギンです。可愛い

 その後、娘と妻は、”ららぽーと” というショッピングパークでお買い物。1日、楽しく過ごせました。一度行かれてはどうでしょう?

 【Night Lights】
 では、本題の、NIGHT LIGHTS を紹介します。これは、ジェリーマリガンというバリトンサックスのソロをジャズにて確立した人の作品です。
 先ずは、ウィッキペディアから経歴を紹介。興味の無い方は、読み飛ばしてください。
■1.【ジェリーマリガン来歴】
 ”アメリカ・ニューヨーク市クイーンズ区生れ、その後オハイオ州マリオンに転居する。
1940年代後半からフィラデルフィアで活動を開始、ギル・エヴァンスとの出会いをきっかけにクロード・ソーンヒルのビッグバンドなどのためにアレンジを本格的に手がけるようになり、二十歳そこそこの若さにして、洗練されたモダンなアレンジで、ソフトなダンスバンドであったソーンヒル楽団のスタイル革新に貢献した。
その経験を活かし、1940年代末には、後にアルバム「クールの誕生 (Birth of Cool) 」として録音がまとめられたマイルス・デイヴィスのビッグ・コンボに参加、バリトンサックスでの演奏の他、「ジェル (Jeru) 」「ミロのヴィーナス (Venus De Milo) 」などの作曲などを担当する。そのほか、モダン・ジャズ・ビッグバンドの代表的存在であるスタン・ケントン・オーケストラにも編曲を提供した。
1952年、カリフォルニア州に移り、トランペットのチェット・ベイカーらとピアノレスカルテットを結成。わずか1年間の活動であったが、リズムセクションに鍵盤楽器が必須とされていたジャズの世界に於いては画期的な出来事であり、この動きがアメリカ西海岸におけるウエストコースト・ジャズの顕在化につながっていくことになる。マリガン・カルテットのデビュー・アルバムである「Gerry Mulligan Quartet」は、「バーニーズ・チューン」などが収められ、大きなヒットとなった。マリガンはウエストコースト・ジャズの中心的人物として西海岸に拠点を置きつつ、ベン・ウェブスター、デイヴ・ブルーベック、セロニアス・モンク、ズート・シムズらと交流を深めていった。
1956年、ニューヨークに戻り、セロニアス・モンク等と共演。1958年には、映画『私は死にたくない』に出演している。

1963年にはアート・ファーマーらをメンバーに招き、リーダー作「ナイト・ライツ (Night Lights) 」を発表。1950年代のプログレッシヴな作品とは異なった静謐なスタイルが貫かれており、彼の代表作となる。ちなみにタイトル曲では、マリガンはピアノを演奏している(後年、CDのボーナストラックとして1965年にマリガンがクラリネットを演奏したテイクも収録されている)。

1980年代に入るとフュージョン色の強い音楽性を指向するようになり、「リトル・ビッグホーン (Little Big Horn) 」などのフュージョンアルバムを発表するようになる。この頃に世界ツアーも行っている。
他に共演者はジーン・クルーパ、チコ・ハミルトン、ボブ・ブルックマイヤー、ジーン・クイル等が挙げられる。

1996年1月20日、膝の外傷が元でコネチカット州ダリエンにて死去。68歳。”

■2.【Night Lightsとの出会い】
 Night Lightsを知ったのは、やはり、油井正一さんのアスペクトジャズからです。その番組で、毎回流れるテーマ曲は、Night Lightsのなかの、”プレリュード・イン・E・マイナー”という、元は、ショパンのピアノの小品です。この曲が、番組のムードにぴったりで、この曲を聴くと、油井さんを思い出します。ジェリーマリガンは、ピアノも弾けるバリトンサックス奏者であり、編曲や作曲もできるオールマイティな人でした。このアルバムも、彼のアレンジャーとしての力量が見事に発揮された作品です。それはそうです、マイルス・デイヴィスのコンボに参加、バリトンサックスでの演奏の他作曲などを担当するキャリアですから。
 では、ジャケットは、下のデザインです。

いかにも夜の都会って感じしませんか?

■3.【Night Lights の紹介】 
 Night Lights 録音:1963年9月12日、10月3日、1965年10月 MERCURY
 【キャッチコピー】
 ジェリー・マリガンはそれまで脇役だったバリトン・サックスで豪快なソロを繰り広げ有名になった人だが、63年録音の本作では、ソフィスティケーションの妙で聴く者を魅了する。ファーマー(tp)、ブルックマイヤー(v-tb)、ホール(g)といった趣味のいい奏者との共演で、あくまでもエレガントに、そして知的かつ繊細なサウンドで聴く者をうっとりとさせる。
このアルバムでは、選曲の親しみやすさも魅力。マリガンがピアノを弾いている表題曲はメロディが美しく、ボサノヴァ< 2 >「カーニヴァルの朝」、ショパンのクラシック曲< 4 >「プレリュード:ホ短調」、それにスタンダードと、どの曲もチャーミングだ。簡単にいうと、ウエスト・コースト・ジャズとクラシックの室内楽をブレンドしたような、スマートで上品なテイスト。それに加え、全体が夜のムードで統一されているのだ。楽器編成もユニークだが、それらを効果的に生かしたアレンジも素晴らしい。イージーリスニング的だけど、イージーリスニングとはひと味違う極上のジャズになっているところが、名盤たるゆえんなのである。(市川正二)
 パーソネル:アート・ファーマー(tp, flh)、ボブ・ブルックマイヤー(v-tb)、ジム・ホール(g)、ビル・クロウ(b)、デイブ・ベイリー(ds)他
■4.【Night Lights の各曲の紹介】 
1. ナイト・ライツ (1963 ヴァージョン)
 マリガンの美しいピアノが聴ける。非常にスローなこの曲は、まさに都会の夜の美しさをバックに流れている感じで、大人な雰囲気に満ちている。
2. カーニヴァルの朝
 映画"黒いオルフェ"の冒頭シーンでオルフェがリオの丘の上で昇る太陽を見ながらギターの弾き歌いで歌う非常に美しい歌で、この映画によりボサノバは一躍世界中に広まりました。二人の恋も祭りの終わりと共に終わった。二人は死によって結ばれ、全てが終わった後、太陽の昇らせることができるというギターで、歌い踊る子供たちの姿が新たなオルフェの到来を予感させた。この屈託のない歌の裏にある虚脱感は何だろう。そんな1956年の映画の歌です。
3. ウィー・スモール・アワーズ 
 マリガンのバリトンととジム・ホールのギターとファーマーのペットのアンサンブルにうっとり。夜のドライブのお供にどうぞ。
4. プレリュード : ホ短調
 アスペクトインジャズの油井さんの太い声を思い出します。全てのアドリブがさらっとしていて品のいいマイナーな曲です。この曲が一番好きです。
5. フェスティヴァル・マイナー
 最初ファーマーのメロディ通りのテーマから始まり、ホールのアドリブが効いたギターから、マリガン~ファーマーのミディアムテンポの熱いアドリブに移る。その後バリトン~ベースの絡み~ペットとバリトンのユニゾン~掛け合い~絡みの構成も見事で、ハモリの掛け合いが特徴的で好きです。アンサンブルの妙。バリトンとペットは結構相性がいいことが実感できる。まあ、マリガン自身も、チェット・ベーカーとのユニットで数々の名演を残しているので、その後ファーマーとも名演となったのも頷けます。
6. テル・ミー・ホエン
 スローテンポの美しいバラード。
7. ナイト・ライツ (1965 ヴァージョン)
 今度は、バリトンサックスでプレイです。どちらもいいですね。私は、こちらが好きです。




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ジョン・コルトレーン

2017-01-28 08:25:48 | ジャズ
 今回は、私の好きなコルトレーン(トレーンと呼びます)の作品についてお話します。

 1.ウィッキペディアから経歴(一部改変して紹介)、2.ソニー・ロリンズとセロニアス・モンクの影響、3.ラヴィ・シャンカールの影響、4.トレーンの作品、の順に紹介をします。1.項は少し長いので、興味ない方は読み飛ばしてください。また、1.項の注釈は省きますので、詳細知りたい方は、ウィッキペディアをご覧下さい。
 
■1.コルトレーンの経歴
(私が聴くのは、”バラード”以外は前期までですので、そこまで主体で紹介。)
 ”主にテナー・サックスを演奏したが、活動最初期はアルト・サックス、1960年代よりソプラノ・サックス、最晩年にはフルートの演奏も残している。活動時期は、1950年代のハード・バップの黄金時代から1960年代のモード・ジャズの時代、さらにフリー・ジャズの時代にわたり、それぞれの時代に大きな足跡「ジャイアントステップ」を残した。

1940年代にチャーリー・パーカーらが確立した4ビート・バップ・ジャズのアドリブ方法論を、現代的に再構築した功績は大きい。コルトレーンの構築したアドリブ方法論は4ビート・ジャズだけでなく、ロックやフュージョンなど、他ジャンルのサウンドにもそのまま通用するものだった。このため、コルトレーンの影響は、他のプレーヤにも及んでいる。

短い活動期間にも関わらず、アルバムに換算して200枚を超える多数の録音を残した。2012年現在でも多くのジャズ愛好家たちに愛され続けており、彼の残したレコードはほとんどが廃盤にはならずに(あるいは一旦廃盤になっても再発売される形で)、2012年現在でも流通し続けている。さらに、死後40年以上経過した現在でも未発表テープが発掘され、新譜として発表される状況が続いている。

前期(1958年まで)[編集]

13歳でクラリネットを始める。後にアルト・サックスに転向し、1946年よりプロとして活動開始。1949年にディジー・ガレスピーのバンドに参加し、その後テナー・サックスに転向。ほとんど無名のままいくつかのバンドを転々とした。レコーディングの機会にもあまり恵まれず、この時期のコルトレーンの録音はごくわずかしか残っていない。

1955年に、マイルス・デイヴィスのグループに入る。マイルスはすでに[注釈 1]ジャズの大スターであったため、マイルスバンドに抜擢[注釈 2]されたコルトレーンもその名前が知られるようになり、マイルスバンド以外のレコーディングの機会も多くなる。しかしこの時期のコルトレーンの演奏は決して評判[注釈 3]の良いものではなかった。

1957年に、一旦マイルスバンドを退団[注釈 4]。その後はセロニアス・モンクのバンドに加入し、モンクから楽理の知識を授かる[注釈 5]と共に音楽的修業に一層打ち込む。また、同時期に麻薬中毒も克服。同年3月に、マイルスバンド時代の同僚であったピアニストのレッド・ガーランドの紹介でプレスティッジ・レコードと契約[注釈 6]。5月には、初リーダー・アルバム『コルトレーン』の吹き込みを行っている。

同年7月に、ニューヨークのライブハウス「ファイブ・スポット」にモンクバンドとして出演。コルトレーンはこの月「神の啓示」を得たと語っている[注釈 7]。「神の啓示」が本当に意味するところは本人にしか分からないが、この月以前に録音されたトレーンの演奏はどこか不安定でぎこちなさが残っていたのに対し、この月以降に録音された演奏はどれもが自信に満ちたものに変わっており、本人の内面に何らかの大きな精神的変化[注釈 8]が訪れたものと考えられる。いずれにせよ、1957年7月は20世紀を代表する一人のジャズの巨人が誕生した月として記憶されるべき月となる。9月にはブルーノート・レコードにて初期の代表作『ブルー・トレイン』[注釈 9]を吹き込んでいる。

1958年、モンクの元を離れ[注釈 10]、マイルスバンドに再加入。マイルスはこの時期、コルトレーンをソニー・ロリンズと並ぶ2大テナー奏者として高く評価した。また、音楽評論家のアイラ・ギトラーは、同年『ダウン・ビート』誌において、音を敷き詰めたようなコルトレーンの演奏スタイルを「シーツ・オブ・サウンド」[注釈 11]と形容。以後、この形容は初期コルトレーンの奏法の代名詞となる。一方、コルトレーンのソロはいつも長かった[注釈 12]。また、常にフォルテッシモで速いパッセージばかり吹き続けたため、彼の演奏はぶっきらぼうで怒っているように聴こえたことから、Angry Young Tenor Man(怒れる若きテナーマン)と揶揄されることもあった(「怒れる若者たち(Angry Young Men)」のもじり)。”以上、ウィッキペディアより。

 以下は、ソニーロリンズの所で紹介した油井正一先生の”ジャズの歴史物語”を参照しています。

■2.【ソニー・ロリンズとセロニアス・モンクの影響】
 ソニーロリンズの所で紹介したように、56年5月の、テナーマッドネスで競演したときは、トレーンがロリンズと互角と書きましたが、その意味は、当時テナー界はロリンズ一色といってもいいほど、ロリンズの模倣をするテナー奏者で溢れていた訳で、トレーンも今後の自己の成長の為、真似ていました。つまり、テナーで8分音符を基調としたパーカー派のコード進行に基ずくアドリブの頂点にいたのは、疑いも無くロリンズであり、トレーンも最初はそれを習得したかった。その真似が、一応のレベルに達したと言うことです。同年の10月のマイルスとのセッションでは、既にロリンズの影響は脱して、16分音符以上を基調としたシーツオブ・サウンドの方向性が見えています。その1年後は、セロニアス・モンクとの競演をしていて、影響を受けています。モンクにしつこく質問をするが、モンクは、都度ピアノを弾いて説明をしてくれたと、トレーンは感謝しています。モンクからは、テナーで同時に、2音、3音を出す方法も教えてもらったとトレーンは言っています。だから、ファンは、59年のトレーン、65年のトレーンと言うように、車の形式を言い当てるように、トレーンのLPを聞き分けると言います。トレーンは、その後も常に、半年、1年スパンでそのスタイルが変貌・前進を遂げていくので、カメレオンのようだと言われます。確かに、人間離れした精進を重ねて前進しているのですが、56年にやっとテナーで世に出て、67年に帰らぬ人になる僅か10年の間に、アルバムに換算して200枚を超える多数の録音を残した。他人の30年に匹敵するような10年間であり、まるで、余命を予知したかのように前進、前進し、60年代を揺るがす巨星となって、一瞬の内に掻き消えた。

■3.【ラヴィ・シャンカールの影響】
 油井正一先生の”ジャズの歴史物語”には、以下のようにも書いてあります。トレーンは、マイルスバンドの時代に、世界的に著名なインドのシタール奏者のラヴィ・シャンカール(ジョージ・ハリソンのシタールの先生)が米国公演をした56年ごろ自宅に招いて、入門を願い出た程インド宗教・音楽に傾倒していた。ハリソン同様、シタールやインド音楽・宗教を身につけて自分の音楽をもっと発展させようとしていた事が伺われる。65年に、ラヴィは、オーネット・コールマンの59年の出現以降、”君の音楽が喧騒に満ち、醜悪(ダウンツーアース)になっていて、インド音楽は、もっと崇高(サトル)なものだ。”と、トレーンに電話で忠告したという。しかし、トレーンは、その喧騒の音楽を止める事は無く続けた。そして、67年に渡米していたラヴィに5ヶ月間一緒に暮らして、インド音楽を吸収したいとトレーンが申し出て、その話がまとまり掛けた、67年7月にトレーンは、志半ばで40才と言う若さで、この世を去った。遺作エキスプレッションズは、奇しくも、ラヴィの忠告通り、崇高なものとなっている。もし、トレーンがもっと長生きして、インド音楽・宗教をラヴィの元で吸収した後の作品を私は聴いてみたかった。又、トレーンは、敬愛するラヴィの名前を、次男のサックス奏者(ラヴィ・コルトレーン)につけた。

■4.トレーンの作品紹介
 では、私の好きなトレーンの作品を紹介します。リー・モーガンの所や、ソニー・ロリンズの所でも若い頃の才気溢れて、ともすれば、自分の天才に酔っている時代の作品が好きですと、言ったように、トレーンも、62年の”バラード”と”エリントン&コルトレーン”と63年の”コルトレーン&ジョニー・ハートマン”を除き、60年以降の神になろうとしたトレーン(サンフランシスコには、トレーンを祀った教会が実在するが、スタッフは皆ミュージシャン)はラヴィの意見同様聴きません。同様、油井先生の”アスペクト・イン・ジャズ”で聞いた、”オーネット・コールマン”や、”エリック・ドルフィ”も聴きません。人間であるハード・バップ時代のトレーンが大好きです。以下の作品を良く聴いています。

 左にあるのが、”バラード”の裏で、76年にマッコイ・タイナーが京都に来たときに、貰ったサインが入っています。CDは、3段目の左から順に、”コルトレーンとジョニー・ハートマン”、”プレスティッジ・イヤー”、2段目の左から、”コルトレーン(ファーストリーダーアルバム)”、"ジャイアント・ステップス”、”ブルー・トレーン”、1段目の左から、”バラード”、”スターダスト”、”ソウル・トレイン”
 全部、大好きなので、簡単に紹介します。

 ①バラード 62年 インパルス
 若い頃は、こればっかり聴いていました。渡辺貞夫さんが、80年頃雑誌の取材で、”どんなLPを聞きますか?”と云う質問に、”一生聴くのはトレーンのバラードだね”と答えていました。それで、説明は十分です。これを作るときに、トレーンが、シーツ・オブ・サウンドの時代に、バラードと、&ジョニー・ハートマンのような昔のスタイルに戻った作品を作った理由を聞かれて、”マウス・ピースの調子が悪くて、速い曲が吹けないからだ”と答えたと言われていますが、真意は別の所だと私は、思っています。

 ②ブルー・トレイン 57年 ブルー・ノート
 リー・モーガンの所で紹介しましたように、これは、リー・モーガンの絶好調のトランペットが聴き所です。ブルーノートの創設者であるアルフレッド・ライオンにお金とレコードを貰った恩義に報いるため、後にプレスティッジと契約したにも拘らず、トレーンがブルーノートに入れた作品。アイム・オールド・ファッションド以外はトレーンオリジナルで、参加メンバーもトレーンの希望が通った。

 ③スター・ダスト 58年 プレスティッジ
 バラード好きの私としては、最近もよく聴いています。特に、4曲目の”Then I'll Be Tired Of You”は、リー・モーガンの、”All The Way”に似たような感じで、そのレベル(リーのバラードのベスト3)で魅力的なバラードです。少し甘い所も含めて、全曲お気に入り。この中で、3曲目の”Love ThyNeighbor”のみバラードではなく、ミディアム・ファーストの曲ですが、ここでは、従来のハードバピッシュな演奏と、④の"ロシアンララバイ”で見せた「シーツ・オブ・サウンド」の技法の萌芽が見られるのも面白いところです。

 ④ソウル・トレイン 58年 プレスティッジ
 バラード好きの私としては、”アイ・ウォント・トゥ・トーク・アバウト・ユー”が大好きとなり一時よく聴いていました。その後もコルトレーンの重要なレパートリーとなった。又、最終曲の"ロシアンララバイ”には、コルトレーンの音楽を的確に表した造語「シーツ・オブ・サウンド」の技法が用いられている。とにかく、高速アドリブに酔ってください。ロリンズで言えば、マックス・ローチと丁々発止の4バースをやった、高速アドリブの”イッツ・オールライト・ウィズ・ミー”を連想します。これもロリンズの”ワーク・タイム”の最終曲ですので、何か因縁を感じます。プレスティッジにいたのが、57年~59年ですので、58年はそのど真ん中で、日本ではSJ(スイング・ジャーナル)のゴールドディスクにもなっています。

 ⑤コルトレーン(初リーダーアルバム) 1957年3月 プレスティッジ
 私は、この中の、バラードの”ヴァイオレット・フォー・ユアー・ファー”にノックアウトされた。硬質な音質にも、しっとりとした情感を感じます。シナトラのヴォーカルも爽やかな郷愁を持っており良いですが、これもGOOD。「いつから私のこと、好きだったの?」と聞かれたとき、「あの12月の雪の日からさ。君がいるから、4月のようだったけどね。」とがブルジョア男が答えるキザな歌ですが、僕は、昔の恋を懐かしむそんな心情をトレーンが思いながら歌っていると思っているんですよ。女性が歌うと、題名がフォー・マイに変わることもあります。しみじみとした情感をたたえて繰り広げられるガーランドのピアノも秀逸。3曲目の「Time Was」のアドリブテクニックも聴き所。

 ⑥ジャイアント・ステップス 60年 アトランティック
 この頃になると、従来のパーカー派ハード・バップから逸脱し、シーツ・オブ・サウンドに突入している。その大いなるステップと言う意味もあると思う。少し聴くのにはシンドイが、リズム感が悪いという不器用さを逆手にとって無茶苦茶ハイスピードに音を詰め込んで非常に複雑に変化するコードチェンジの上でシーツ・オブ・サウンドを表現しており、音楽的には大きく発展している。

 ⑦コルトレーンとジョニー・ハートマン 63年 インパルス
  ジョニー・ハートマンの甘い歌声に、トレーンのテナーが後で、そっとやさしく寄り添い、歌います。マイ・ワンなんて、疲れたときに聴くと、癒されること、請合います。マイ・ワンは、アート・テイタム&ベン・ウエブスターコンビが最高なんですが、トレーン&ハートマンもどうして、いけます。ゼイ・セイ・イッツ・ワンダフルも甘いトーンが良いですが、ラッシュ・ライフも人生の道のりを振り返ってみたりして、趣深いです。

 ⑧プレスティッジ・イヤー 57年~58年 プレスティッジ
 これは、好きな曲が目白押しで、目一杯詰まっているので、いろんなアルバムからお気に入りを選ぶ手間が省けるという理由で、単独アルバムではないけど、入手しました。とりあえず、1枚聴いて見たいという方に最適です。プレスティッジ時代のコルトレーンは、凡人時代で、浮き沈みが激しい(これも人間的で良いではありませんか)ですが、これはいい時の作品を選っています。

PS.レコード棚をひっくり返していたら、エリントンとコルトレーンが出てきました。これもバラード路線で、いいんです。
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山本剛さん

2017-01-27 12:04:54 | ジャズ
 今回は、ピアノの山本剛さんです。
 BLOW UPの所でTBM(スリーブラインドマイス)レコードの売り上げベスト10を紹介しましたが、そこで3作エントリーしているのが、山本剛さんの作品で、No2にランクされているのが、MISTYです。(No.1は、鈴木勲 BLOW UP)

 ■1)MISTY という曲について
 MISTYは、エロール・ガーナーという菅野邦彦さんが敬愛し、親交もあるピアニストですが、MISTYは、ガーナーの代表作です。1954年、ニューヨークからシカゴへ空路移動中だったガーナーは、霧中を飛行する旅客機の窓外を眺めているうち、唐突に魅力的なメロディを着想したという。譜面が読めないのでそれを必死で覚えて着陸後、ホテルでテレコに録音したのがミスティの始まり。ガーナーが来日したときに、互いの演奏を聴いた後、菅野さんがニューオータニのスウィートまで愛車「サンダーバード」で送り、音楽談義をしたり、逆に、菅野さんが六本木に開店するジャズクラブ「ミスティ」のピアノの買い付けにニューヨークに行った時にセントレジスホテルでガーナーの演奏を楽しんだが演奏後二人はガーナーのホテルの部屋を訪ね、旧交を温めたということです。ガーナーは何度も「Goody Goody」と頷きながら喜んでくれたという。菅野さんの夢のひとつは、エロル ガーナー ファンデーションと協賛して、世界各国のミスティ弾きをあつめ、世界ミスティコンテストをひらくことである。従って、MISTYを冠するアルバムを日本で作るとしたら、菅野さんと言いたい所だが、現実は、山本剛さんが作っているということは、皮肉なことである。因みに六本木ジャズクラブ「ミスティ」の初代ピアニストが、菅野さん、2代目が山本さんであることも何かの縁を感じる。
 ボーカルでは、ジョニー・マチスの甘い声のMISTYが好きですが、日本ではJUJUのDELICIOUS~2nd Dishのや、40年位前にFMでやっていた弘田美枝子のライブのも良かったです。

 ■2)アバウト 山本剛
 さて、山本剛さんの経歴をとあるブログから拾ってみた。(無断転記・編集ご容赦下さい。)

 ”1948年3月23日、新潟県に生まれる。 高校生時代、アート・ブレーキーとジャズ・メッセンジャーズの生演奏の虜となりジャズ・ピアノを独学で習得する。
日本大学経済学部に入学、1967年、日本大学在学中、19才でプロ入り。ミッキー・カーティスのグループを振り出しに英国~欧州各国を楽遊。
1974年、レコード・デビュー(「ミッドナイト・シュガー」TBM)。スケールの大きなブルース・フィーリングとスイングするピアノがファンの注目を集め、続く「ミスティ」(TBM)が大ヒット、以後レコード各社より数多くのリーダー・アルバム、共演アルバムを発表、人気ピアニストの地位を確立。
1977年、アメリカ、サンフランシスコ、モンテレー・ジャズ・フェスティヴァル出演。
1979年、スイス、モントルー・ジャズ・フェスティヴァル出演。大好評を得、その後渡米、1年間ニューヨークで音楽活動を行う。
帰国後は、六本木のライヴ・ハウス"ミスティー"でハウス・ピアニストとして活動を再開。 笠井紀美子、安田南等ヴォーカリスト達と共演する一方、ディジー・ガレスピー、カーメン・マックレイ、サム・ジョーンズ、ビリー・ヒギンズ、エルビン・ジョーンズ、ソニー・スティット、スティーヴ・ガッド、エディー・ゴメスetc. 多数の本場ミュージシャンと共演。
その間、英国のバタシー・パーク・ジャズ・フェスティヴァル、ニューヨーク独立記念日ジャズ・フェスティヴァル、コンコード・ジャズ・フェスティヴァル等に出演。
TV番組「リュウズ・バー(村上龍構成、出演)」の音楽を担当するなど各方面で活躍。”
 最近の横浜のライブでは、アフリカの民族衣装をまとい、腰まで届く白髪の長髪を後ろで結わえて、知らない人が見たら、ただの奇怪なオッサンということもあるとか。。

 ■3)私の好きなアルバムは、
 以下に、LPを3枚紹介します。

 上は、ジャケットの表ですが、下は、裏です。

 BLOW UPの所でも、言いましたが、ジャケットのデザインがMISTYの裏なんか、粋なコラージュを載せており、今見ても斬新です。ところで、ミッドナイト・シュガーのみライナーノーツがありましたが、鈴木勲も含め他の5枚にはライナーノーツがありません。私が無くしたのかとも考えましたが、どうなんでしょうね?最初から入ってないのかな?ご存知の方おられましたら、教えて下さい。

 ■4)山本剛のアルバムMISTY
 では、山本剛のMISTY(1974年8月7日 TBM録音 TBM-2530)について、お話してみます。
 【キャッチコピー】ジャズ・ピアニスト山本剛がTBMに残したレーベル屈指の人気作品。静かな時は静かに、スイングする時は思いっきりスイングする、山本剛の本領が遺憾なく発揮された傑作アルバム。1974年、スイング・ジャーナルジャズディスク大賞・最優秀国内録音賞を受賞。恐らく、ノイマンのU-87辺りをピアノの弦近くに2個置いて撮ったようなオンマイクの録音。TBMのエンジニア神成芳彦が手掛けた究極のジャズ・サウンド。
    パーソネル:山本剛(p),福井五十雄(b),小原哲次郎(ds)
01. Misty 7:13  
 しばしの静粛な透き通ったイントロの後、澄み切った音色のスローなピアノソロで始まり、そしてベース、ドラムの音が寄り添う瞬間鳥肌が立った。山本剛の鍵盤をひっそり叩く指の動きが見えるようである。言葉少なく、抑えているが、音と音の間に何か訴えかけるものがある。日本では行間を読むと言いますが、そんな感じです。山本剛さんはMistyを他のアルバムでも演奏していますが、そちらは、饒舌で、こちらのアルバムの演奏の方が好きです。私にはできない上手い例えをする人がいて、引用しますが、
”古いオルゴールの蓋を開けたときのような、凍り付いた時間が溶け出すような感覚で、あの懐かしい音がゆっくり流れ出す。この仕掛け、を聴くだけで、ああ日本のジャズだよね、って嬉しさ。山本剛のピアノはとてもキュートで、ガーランド的なコロコロしたスイング・フォーマットのうえで日本の唄心が流れる。”
 正に、この感覚です。”エンディングは、荘厳です。

02. Blues 7:59
 一転、饒舌になって、キレのある音色が小気味よくグルーヴィーにスイングする軽快なアップテンポの自作曲。トリオ色が強くなり、ベースとドラムも前に出てきて音を鳴らし始める。指が、ピアノの上で飛び跳ねます。リズムセクションも負けずに、乗っていきます。最後の4バースもばっちり。
03. Yesterdays 6:09
 最初のベースのイントロ~テーマが、意味深で何が起こるのかという期待を抱かせます。そのスローなベースイントロから徐々にペースアップしていき、ピアノが寄り添って交替する瞬間が正に鳥肌もんです。いいなあ、この感覚。その後、ミディアムテンポでスイングするが、ベースのソロが大好き。フェードアウトが残念。

04.Honey Suckle Rose 6:02
 いきなり、アップテンポのテーマのピアノからスタートする。山本剛のピアノは、スイング全開だ。アドリブも多彩。乗っているのが判る。この時は、スイング感といい何もかも絶好調だったのではないか。最後近くのドラムソロもスピード感バリバリで聴きどころ。

05.Smoke Gets In Your Eyes 6:00
 これも、ピアノのテーマから始まる。4曲目と入りは同じだが、テンポが少しスロー。スイングしていく内にアドリブが湯水のように湧き出てくる。他の曲の引用も出てきたり、自由自在。最後は、テーマをお浚いして、洒落たエンディングでお終い。

06. I Don't Know What Time It Was 6:22
 MISTYの次に好きな曲。最初のテーマからスイング感バリバリでアドリブをガンガンドライブしていく。ミディアムテンポで、華麗なテーマを崩していく、コロコロ感が堪らんなあという感じ。ガーランドでも、ガーナーでもない、やはり山本剛だ。上質のピアノトリオ。この時代の六本木ミスティにタイムスリップしたいなあ。山本剛がピアノの前に座り、安田南がカウンターでタバコをふかす、なんて夢の世界。豪快なエンディングでお終い。

07.Angel Eyes 4:42
 トリオから一転、ピアノソロに戻り、1曲目のMistyと対をなす静かな曲調に戻ってフェードアウトする。

 デビューアルバムのミッドナイト・シュガーや、ガール・トークも好きです。You Tubeでも結構上がっています。







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